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アニメなベルばら対談 その3

もーみんさんとの対談、年が明けて再び!です。
話はあちこちに飛びながら核心へ!!

対談期間2000.1.2.〜2000.11.10.


■対談のスタート■

■原作の衛兵隊の司令官室ってけっこうきらびやか・・・もーみん談
もーみん・・改めましてあけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

なんと、出崎さんのインタビューが載った「OUT」を手に入れることができました。(なんか、当初の目的からどんどんずれていくような気が・・・)
アニメベルばら終了直後くらいのものですが、
内容は特にベルばらに関してというわけでなく、これから始まる「あしたのジョー2」を中心に、これまでの作品への考え方、取り組み方のようなものを語ったものでした。
それでも、どの作品にも一貫している出崎さんのカラーがどういう意図によって作られているのか納得できて、読めてとても有意義でした。
「自分の考えを表現する形で、作品を通して見ている人と対話がしたい」とおっしゃっていたのが、とても印象に残っています。

今更ながら告白しますと、私の「初恋」のアニメは宝島でした。
人気があるから、とかみんなが見てるから、という理由じゃなく初めて自分の意志で「好きだ」と思った作品だったと思います。
出崎さんの存在を知ったのは、その何年も後の話で、ベルばら放映時も知りませんでしたが、子供心に、何か感じてたのかもしれません。
今も、別に出崎さんの作品を全部観てるわけではないですし、作品について論じようという気もありません。(きっと皆さん語り尽くしていらっしゃるでしょうし)
ただ、これだけたくさん感動をくれた監督さんに一言「ありがとう」が言いたいなあ、と思ったりしています。

本当に、言葉や思考が先走ると、大切なことを見落としたり、忘れてしまったりするような気がします。
体験と思考を、交互に繰り返せばいいのでしょうが、私の場合、放っておくと体験1つに、思考×3くらいになっていそうです。
そういえば、石橋の話、以前友人と盛り上がったことがあって、確か私は、「石橋をたたいて(そのうえで)渡らない」とか「石橋をたたいて壊す」とか自己申告したような・・・(爆)

なんか全然ベルばらの話じゃないですね。
あ、羽ペンの件、教えて下さってありがとうございます。
お?と思って、早速原作を開いてみました。
まず思い浮かんだのが、アランの謹慎中に、オスカルがダグー大佐からディアンヌが訪ねてきたと報告を受けるシーンで、とりあえずそこを見てみたんですが(他にもあったら教えて下さいませ)
ほんと、くるるんじゃないんですね。
シャープな感じで、これはこれでかっこよくっていいかも。

そのシーンを見て思ったのですが、原作の衛兵隊の司令官室ってけっこうきらびやか(?)ですね。
アニメの地味ーな兵舎を見なれていたのでちょっと新鮮でした。
そういえば、アニメの衛兵隊兵舎ってどこにあったのかなあ、と思ったことがあります。
オスカルは結構な時間をかけて「通勤」していたようだし、ディアンヌも歩いて面会に来ていたみたいなので、パリに近いのかな?
雰囲気的にもベルサイユよりはパリって気はしますが。(あの隊員達にベルサイユは・・・似合わないなあ・・)※

「オスカル様」もいろんな意味を含んでいそうですね。
個人的なイメージでは、「理想の男性像」のオスカルかなあ。
アニメ放映時、私の周りは原作ファンばかりでしたがみんな、オスカルのそばに居られるからロザリーになりたい、と言ってた気がします。私自身はそう感じたことはなかったので、あんまり彼女に、理想の男性像を求めてなかったのかもしれません。

原作のオスカルは、当時の私にはあまりにも遠い存在でした。
彼女の、何でも言えて何でもできる、そのパワーは、ほんの些細な事にもいちいち傷ついているようなめちゃめちゃ軟弱な子供だった私にとって、とても怖いものだったんだと思います。
今は、もうそんなことはなく、彼女の事が好きです。
原作を読んでいると、オスカルの体温を感じられる気がします。
まあ、やっぱりパワー負けはしそうですけどね、体力ないから(笑)。


なーかる注※アニメでは出てきませんが、多分原作と同じだと思われます。オスカルの居た衛兵隊の所在はパリのショセ・ダンタン。留守部隊の兵舎があったそーです。行ったことないけど。
■「宝島」・・・なーかる談
なーかる・・出崎さんの「宝島」は私も見ました。
ただ、あしたのジョーを見るようにりきんで見てしまったんです。
偏った見方をしたせいか ラストシーン以外記憶から抜け落ちてしまいました。

私も昔の資料を集めていたんですが確かに80年代のアニメ誌は多く出ています。
ただ買ってばかりいたら部屋がいっぱいになってしまいそうでタイトルと表紙と見出しで選んで買いました。

■うーん、と唸ってしまいました・・・もーみん談
もーみん・・最近また、懐かしアニメの特番(最終回特集というやつです)があって、久々に見たのですが、アニメベルばらの紹介の時、「アンドレの遺志を継いで、オスカルがバスティーユへ行った」というようなテロップが流れて、うーん、と唸ってしまいました。
なるほど、そうも取れるんですねー。ううむ。
やはり、オスカルがバスティーユへ向かう動機付けが、アニメの場合希薄だということでしょうか。
彼女がバスティーユに赴くことが不自然にとれるのは、そういう理由もあるんでしょうね。(今頃納得している・・・遅すぎ)
確かに「遺志を継いで」というのは、一言で説明するには一番分かりやすいのかも。
ただ、どうやら私はそう取ってはいないんだろうな、と何となく思いました。
そういえば、最近出た「アニメヒロイン画報」?という本では、「アンドレのあとを追って戦死」みたいなことが書いてありましたっけ。
アニメの場合、別に決めつけてないので、どう解釈してもいいとは思うんですが、なんだか心が痛いです。きっと、こういうのが原作ファンの逆鱗に触れるんだろうな・・・。(そしてまたぐるぐるする私・・・)

■何の得にもならない戦いに身を投じた・・・なーかる談
なーかる・・ありがたいことに、ちらほらですが、「私はアニメからベルばらの世界に入って原作も好きだがアニメも好きです。ベルばらのページではアニメの評判がイマイチで悲しい・・・」という方からの感想メールをいただきます。

いる・・・!!
日本のあちこちに同じ事を思っている人間はいるっ!!と感動しています。

こないだの特番は見なかったんですがやはり特番のために書かれた批評はあんましアテにならないような気がします。
アニメは子供の見る物とタカをくくって、深く読まなかったら(普通はそれで当たり前なんでしょうが)そういう風にとらえられるんだと思います。

私も原作だけ支持していたらきっと「アニメのお陰で原作のイメージがねじ曲げられた」って思ったに違いないですし、自分の支持している作品がたとえアニメという別作品であろうが「一番、言われたくない批評をされた」としたらあまり気持ちのいいものじゃあないでしょう、きっと。

一般の人にはその程度でもどうでもいいことだからいちいち文句は言うつもりもないですがアニメのベルばらを支持している人間が同じくファンに向けて何らかの手段で色々と研究して、自分なりの意見を世に送り出せばいいことじゃないのかなぁとかなりのんびり構えています。

アニメでバスティーユへ行く動機は私も「アンドレの意志を継いだ」ようには思えなかったんですが一言で解説するには ちょうど良かったのかも。
今でもやはり、オスカルは武器すら扱えない兵士たちの親や友達を守るために自分には何の得にもならない戦いに身を投じたんだろうな、と思っています。
でもこんな事、特番で解説したって全然かっこよくないですよね。
派手なパフォーマンスや華麗な建前が渦巻くアニメにおいては、「自由平等博愛」とか大義名分を本編の中でうたってある方がそりゃあ解説のし甲斐もあるでしょうし。

原作ファンの中でも意見が割れてるかも知れないですが「私を撃て」というセリフもあるし、人によれば「後追い」という説もあるようですし、なんだかその辺はアニメとは違うように思います。
■「後を追って」とは私も思いません・・・もーみん談
もーみん・・アニメベルばらファン、いるんですね、やっぱり!
いえ、いるとは思ってるんですが、実際にそういう話を伺うととても心強いです。
アニメのファンって、よりどころみたいなものがないと思うんです。
安心してアニメを語れる場とか、心底支持できる分析がほとんどないですし。
私の場合は、アニメについてのどの批評を読んでもしっくりこなくて、でも、自分では感動を表現できなくて悶々としていました。
雑誌などで、誰か1人でもいいから理屈抜きでアニメを支持してくれる人がいたら自分の近くにアニメを好きな人がいなくてもそれなりに満たされていたのだと思います。
まあ、今考えると公共の場でアニメベルばらを支持することはけっこう勇気のいることだったのでしょう。
かなりの反発を覚悟しなければならなかったでしょうから。
表現する側でなく、批評する立場であればなおさらの事。
それと、当時は、本当の意味で原作とアニメ両方を別々の作品として「理解する」「理解しようとする」人たちが批評者側にいなかったのかもしれないとも思います。

ところで、あちこちに書かれる批評や解説がどうして気になるのかな、と思ったら原作オンリーファンを気にしてしまっているからだと気づきました。
一般の人がどう思おうと、確かにどうということはないんですけど、原作オンリーの人は、「作品に対しての侮辱」とも思うだろうし、それによって、一般の人に原作「ベルばら」が誤解?されるのが、何よりつらいかもしれません。「こんなじゃないのよ!」みたいな。
一般の人には、きっとどのベルばらもひとからげでしょうから。
アニメファンにとっては、原作は大前提に思えるんですが、原作オンリーファンのかたは、アニメなんてなくてよかったのにって思っちゃうかしら。仕方ないですけど。
ただ、未だに原作の影に怯えてしまうなあ、と自分が情けなくなりました。
どーんと構えていればいい話なんですよね。

その特番なんですけど、テロップの例の部分を除いては、かなりまっとうな採りあげられ方をしていたと思います。
映るシーンの前後の説明にテロップが流れるだけで、シーン自体は、何もコメントを加えられませんでしたし。
オスカルのあまりに静かな死のシーンは、何も知らない人が観たら、死んだのか眠ったのかわからなかったかも。
つくづく名場面集向きの作品じゃないなあ、と苦笑。
ちなみに全体としては、アンドレが撃たれるところと、死の間際、そして、オスカルが撃たれるところと死ぬところが映ったんですが、二人の死が、かなり対照的に描かれていたのだと感じました。
アンドレは、撃たれた時に弾が心臓に突き刺さるとこまで容赦なく描写していたのに(あの音が嫌で、いつも耳を塞いでしまう・・・)
オスカルは、実際どこに銃弾を受けたのかもはっきりしないですし。
その後の状況といい、死に際しての態度といい意図的に正反対に描いたのかな、とも思いました。

「後追い」は・・・そうなんですか。
むうう、原作についてはまだまだわからないことが多くて、全てが新たな発見です。
アニメのほうがそう言われるとすれば、撃たれた彼女がアンドレの名を口にしたり、死の間際に、アンドレの姿をまぶたに浮かべたり?したからでしょうか。
なんだろう、考えるたび、人間っていろんな面があるから一言では言えないよなあ、と思ってしまいます。
アンドレの名を呼ぶ彼女も、アランに冷静に指示を出す彼女もやっぱりオスカルなんですよね。
「後を追って」とは私も思いません。思いたくないのかもしれないですが。
一言で言い切ってほしくない、というのもあるし、最後まで、前を向いて生きていてほしい、という願望もあるような気がします。
でも、突き詰めると、彼女に死の瞬間まで
「一個の人間」としてあってほしかったのかな。
男とか女とか、そういうものに限定されない場所にいてほしかったのかもしれません。
アンドレを想うことを心の糧にこそすれ、
それに寄り掛かってしまう彼女であってほしくなかった?
でも、「後追い」と考えることによって、救われる人もいるのかも。
どうも、私は恋愛体質じゃないようで、考えが片寄りがちかもしれません・・・。

そういえば、アンドレ犬死に説についてですが(古いネタですみません)お恥ずかしい話、私はアニメの方が扱い良いなあ、と思っていました(汗)。
他にもたくさん亡くなった隊員達がいたのに、まだ息があったとはいえ、広場まで連れて帰られて、医者に診てもらって、ベッドも用意してもらって、たくさんの人に見守られて、オスカルの夫とはいえ、えこひいきだなあ、と。(嬉しかったんですけどね)
「犬死に」と考える方は、撃たれる理由そのもののことをいっているから、その後の経過はあまり関係ないんですね。
うーん、アニメの場合アンドレは、オスカルをひとり残して自分が死ぬことは望んでなかったんじゃないかなあ、と個人的には思います。
ましてや、彼女を守って死んだりしたら、その後の彼女の苦しみは測りしれない。(そうでなくても、一晩中苦しんでいたのに)
オスカルの「あなたがいれば、私は生きられる、いえ、生きていきたい」という独白を聞いたかどうかわからないけど、きっと、その気持ちは感じとっていたであろうアンドレ、生きたかったろうな、二人で。

■自分に都合良く解釈・・・なーかる談
なーかる・・出崎さんの作品というのは何か緊張して見てしまいます。
出崎さんの演出と聞くだけで「何かすごい事」が起きそうで、期待してしまいます。
で、期待通り、作品はすごかったという事が多くて・・・
あのこだわりが 視聴者へ届くというのはメッセージの発し方がうまいのかなぁと思います。
監督交代劇の内幕、本当はどうだったんでしょうね。気になります。

確かに・・・
アニメの何が良かったか実際の所、言葉にできてなくても 仲間がいたら「よかったねー」ですんでいたと私も思います。
解説、書いた動機というのがやはり好意的に見た物を書かないと、と思ったからです。

特番の名場面ですか?
アニメの名場面は・・・そしたら、セリフや仕草や、時間の流れの中にあるのかもしれませんねー。
それにアンドレの死をリアルに描いたのはオスカルにとって、拷問の上積みみたいな気がします。
ただ、それでもアニメの場合は後追いだとは思えませんが・・・。(すみません、後追いと言われているのは原作だけでアニメについては「後追い説」は無いです)

原作の書かれた年代ってもうかなり前ですよね。
当時の少女マンガのスタイルとか、まだ枠があったと思います。
後追いの形になっていても、当時のマンガのレベル内で描かれたと思うと「死を美化した」と今の時代から批判する気はないです。

アニメ批判の中に、「他の隊員がバタバタ死んでいるのにアンドレだけ特別扱いした」というのもあります。
主人公だから物語の進行上、ああいう特別扱いもある程度、やむないとは思いますが〜〜〜。
だってぽっくり死んでしまうと、肝心なセリフのやりとりとか見せ場が無くなってしまいませんか??
いくらリアルな進行でも、視聴者を意識する時もあるってことでしょぅか。
それとか、こう考えてみる・・・
隊員が減ってしまって袋小路に入ってしまって何とかしてバリケードへ戻らないといけない場面でアンドレのけがで オスカルは奮闘するし隊員もアンドレを助けたいという気持ちでよけい必死に帰ろうとする、という感じで。

ちょっと 自分でもおかしいのは いろんな場面の批判を聞いてもやはり支持している者にとっては、自分に都合良く解釈してしまっているって事でしょうか。

■原作ではオスカルはこれでもか、というくらい容赦なく、その死を描かれたような・・・もーみん談
もーみん・・アンドレの死についてなんですが、わたし、言葉がめちゃめちゃ足りませんでした。
アニメ批判で、実際採りあげられていたのですね・・・
確かに、突っ込みどころとは思っていたのですが。
実のところ、アニメでの描き方について、批判、というか「もっとこうしたら」というものがあるわけではないんです。

私自身も「主役はオスカルである」という大前提で観ているから、彼女にとって大切な存在であるアンドレの事を描くために物語が進行したとしても、まったくかまわないのではないか、と、正直なところ、思います。
むしろ、なんというか、嬉しかったんですよね。
物語のバランスが崩れる危険があるということは、スタッフの方も承知の上だったと思うんです。
それでも、あえてああいう形で描いてくれた、ということがオスカルを、アンドレを大切にしてくれているのだと思えて胸が熱くなりました。
それと、表現したいものが、たとえ厳しい現実だったとしても、だから、全てを現実の通りに描けばそれが伝わるか、というと確かにちょっと違うような気がします。
写真より似顔絵の方が、一枚でその人を的確に表現できるような感じでしょうか?
色々批判もあるのかもしれないけど、自分で突っ込んでしまったりもするけど私は、アンドレの死に到る過程というのは、あれで良かったのだ、と思います。

アンドレの撃たれるシーンが容赦なかったのは、現実は厳しい、という他に彼が男だったからかも、と思ったりもしました。
というのも、アンドレも、オスカルも厳しい現実の中で死んでいくのだけど、オスカルの方には、一枚ベールがかかっているような気がしたんです。
根拠は全然ないんですけど、それが、作り手側の思いやりのように思えて・・・。
アニメを作った人たちが、ほとんど男性だろうと考えてしまうからかもしれません。
例えば、私がアンドレが撃たれるところを描くとしたら(描けるとしたらですが)きっとあれほど容赦なくはしないんじゃないかな・・・。
男の人の事はわからないから。男になったことがないので当たり前なんですが。
アニメのアンドレは、現実味があるように感じるんですが、それは、内面に男性にしかわからないものを秘めているからかも、とも思います。

ちなみに、原作では、全く逆の印象があるんです。
つまり、アンドレは比較的やわらかに、オスカルはこれでもか、というくらい容赦なく、その死を描かれたような・・・。
どちらが良いとか悪いとかではなく、これは描き手が男性か、女性かという違いだけのような気がします。
自分が知っていたり、体験したりしたことはいくらでも厳しく書けるけど、知らないことって、現実的に見れなかったりするし。
異性には甘くなる、ってそういう意味もあるのかな。(逆に卑下したりもするけど)
ただ、原作もアニメも「美化」までは、いってないように思います。
いや、ひいきめかもしれないんですが(笑)。

「後追い」の件は、申し訳ありませんでした。
アニメの紹介で、そう書かれていたのでそう感じた人もいたのかな、と色々考えてみたくなったんだと思います。
でも、基本的に「後追い」とは思ってないんで、混乱しただけでした。
ぶっちゃけて書いてしまいますと、私、原作も 後追い、とは感じなかったんです。
もう全く個人的な意見なんで、読み流して下さってかまわないんですが原作のオスカルって、感情がストレートに表に出る人という印象があってアンドレが死んだ時のリアクションというのは「私はこんなに悲しいんだ」という自己表現の一環だと受け止めていました。
原作にしろ、アニメにしろ、オスカルは悔いなく生きたと信じたい。
だからこそ、「後追い」であってほしくないなあ、なんて。

原作については、池田さんがどういう思いで描かれたのか、とかファンの間にどんな意見があるのか、とか何も知らないのでとんでもない勘違いをしているかもしれません。

アニメの監督交代については、詳細はもう知るべくもないんでしょうが、最初に依頼されたのが、出崎さんだというのを読んで妙に納得してしまいました。途中から監督を引き受けるなんてなんでわざわざそんな大変なことを、と思っていたところがあったので。

出崎さんは、インタビューを読んで「あ、やっぱり」と思うところが多くて驚きました。作品を観て感じたことと、あまり遠くないというか。常に「いかに伝えるか」を最優先に考えている方なのかな、という印象です。

■弱肉強食の世界っていうか・・・なーかる談
なーかる・・資料を見て色々思ったんですが当時、出崎さんも我々ぐらいの年だったんでしょうか。
何を考えていたのかなぁと思いつつ多分、スタッフもそんなに年は離れていないようだし当時のオスカルの性格設定何かについて資料があれば面白いでしょうね。
最初から出崎さんに依頼が来ていたのは知りませんでした。
でも 最初からやっていても 原作ファンの抗議は来ていただろうし大変な目に合われたんじゃあないでしょうか。私も当時 抗議文 出さないで良かったー。

アンドレが厳しい現実の中で・・・という事なんですが言葉は違いますが、アンドレは「男性社会の一員だった」という気がします。
いつかサンジュストのスパイが塔に紛れ込んで、オスカルに襲いかかったとき、オスカルはみすみす殺すまいとして「撃つな」と叫びましたよね。
でもアランとアンドレは撃ってしまう。
男同士の命の張り合いっていうのか、それはある程度男性主体の社会の常識、っていうと固いんですが弱肉強食の世界っていうか、そのまっただ中にアンドレはいるんだけどオスカルはそれに逆らっているって言うか、その中に入らず傍観している感じがします。
まー最後には バスティーユではその中に入ってしまうんですが・・・。
彼女がわざと殺し合いについては第三者でいるというか、そうさせている制作者側の意図も感じます。
単にオスカルが女性だから、男性の制作者が弱肉強食の世界から守っていたのか、(確かに、少なくとも生々しく撃たれるシーンはなかったですよね)あるいはオスカルの人としての気持ちで、「命」と言うものに対する考え方を表現していたのか、それはわかりません・・・。
私はどっちか言うと 後者のオスカルの人間性だと思っています。

もし、(アニメで)オスカルが生々しく撃たれることに抵抗があるとしたらきれいな体に銃弾で穴をあけることへの抵抗・・・というと変でしょうか?
そういう気持ちは同じ女性よりも、男性の方が強い物なのでしょうかしら??謎。
でも確かに、人間って異性には甘いのかも??
多分、アニメの作成現場はたくさんの人たちの脳みそを使って案を練っていく物だと思っていたので、特にシナリオとかは女性も入っていただろうし、アニメのベルばらについては男性が独断で作ったというイメージはあんまし持っていないんですが、中には、どこかに男性が作ったところや、女性が作ったところとか混ぜてあるのかも知れないですね。
でもどうしてかアニメのベルばらは男性本位という批評が多くてどこがどうなってそういうイメージになったのか、考えてみるのも楽しいかも(と言いつつ他力本願)。

彼女がアンドレみたいに死ななかったのは主人公だからっていうとそのままなんですが、主人公の彼女に何か語らせたかったからかもと思います。
少なくとも無駄に命を散らすむなしさを、彼女の死の間際に視聴者もじわじわ感じさせられたし、アンドレが撃たれたシーンをオスカルの視線として視聴者が見ていたのなら愛する者の壮絶な死を見せつけられたという点で残酷だなぁとも思いました。

原作は池田さんだし、女性でしたよね・・・。
だから容赦なくオスカルが撃たれた、かどうかは知る由もないんですが彼女の撃たれ方に対する受け止め方は色々あるようです。
バスティーユ後に彼女を受け入れる社会の受け皿か無かった、又は、男性社会の中に入っていこうとする女性は抹殺されていく、という話を聞いたことがあります。
少女から大人になっていく過程で、夢の世界を抹殺しないと現実の中に入っていけない。オスカルの死は「少女の心の中で切り捨てていかなければならなかった夢」みたいな事が何かに書かれていました。ベルばら本かも???
だから単に「後追い」だけで片づけられないと私も思います。

原作については25年以上前の作品だし、当時のマンガの描かれ方や、その他の制約もあっただろうし、あくまで推測でしかないんですが・・・。
今、思うと、原作の方が女性のジェンダーをきれいに隠して?あったという気がしています。
だから彼女に憧れたのだろうし、男性と女性の両方の優位な所を持っていたことに羨望していましたっけ。

で、ちょっと考えてみたところ、現実の中で抹殺されたのが原作だとしたら、現実に女性としての性を踏まえて描かれていたアニメのオスカルの死と原作の彼女の死はやっぱ違うなぁ・・・と思うんです。

でも日本のアニメは「伝えたい物を伝える」というレベルがかなり高いんですね。
さすが日本のアニメは水準高いはずです。
■「海とオスカル」のシチュエーション・・・もーみん談
もーみん・・アニメについては、そういえばどうして男性の作品だと思ったんだろう?
もちろん、クレジットで女性の名前も見ているはずなんですけどね。
そうですね・・・他の方はどうかわからないんですが、個人的には、当時のアニメ全般に抱いていた不満が出たのかも。
少女漫画原作のアニメでの描き方とか、一般にアニメにおける女性の扱いに釈然としないものを感じていたんだと思います。
でも、だから それらが男性本位の作品だというのは確かにずいぶん簡単に話を片づけすぎですね。
女性なら共感できる作品にしてくれるかというと、いろんな考えの人がいるからそれもまた違うだろうし、もう感性の問題という気がします。
自分としては、あんまり男だ女だと押し付けられない環境にあったし女だということで損だと思ったこともないんですが、実は意外と気づかぬところで負い目があってそれを男性のせいにしていた部分があるのかも。あららら(^_^;

ちなみにアニメベルばらは男性本位とは感じませんでした。
だからなおさら、(その死に限らず)物語全般に渡ってオスカルが思いやりをもって描かれているな、と感じたのかもしれません。
それが男性によってというのは、私の思い込み過ぎでしょうが。
女性スタッフの意見というのも活かされているんだろうなあ、だってアニメのオスカルは、こんなにリアルな「働く女性」なのだから。
それだけに、女性スタッフの方々とアニメのオスカルを重ねてみていた?かも。
(男性社会の中で「少数派」なのだと思っていた?)
いやはや、固定観念とは怖いものです(苦笑)。
でもほんと、舞台裏知りたいですね〜、今となっては無理かもしれないけど。

そういえば、アニメの総集編はようやく観ることができました。
色々言われているキャストは、構えて観たせいもあるかもしれないけどそれほど気にはなりませんでした。
戸田さんのオスカルは、元気な少年という感じですね。
かけ声とか号令とか、すごく堂にいっていてかっこいいな、と思いました。
前半のオスカル、戸田さんバージョンで観てみたいなあ。
それから、本編とは関係ないんですが、エンディングで総集編で使われなかった映像がいろいろ映ったのが、妙に新鮮でした。
TVシリーズビデオでは、セリフやナレーションに気を取られてよく観ていなかったシーンもあったんだなあ。
特に「海とオスカル」のシチュエーションが気に入ってしまいました。
あんまり本筋とは関係なかったけど、映像的にきれいで、雰囲気あって誰が設定したのかわからないけど、すごいな、いいな、と思いました。
そういえば、彼女の最後に映った絵も海辺でしたね。(泣ける・・・)
こうやって、ちょっと違った視点で観れたりするとTVシリーズの方も、またいろいろ新たな発見がありそうでビデオを観たくなってしまいます。
ここんとこ、自分の心でなにかくすぶっている感じがあったんですがそんなのがさーっと流れていったようで、なんだかすっきり。
そういう意味では、総集編観れてよかったです。

この間のなーかるのメールがあまりにくだらなく、割愛。(^_^;)
■生身の人間の内面を描く・・・もーみん談
もーみん・・ベルばら総集編の予告(というか番宣?)も観れました。
とても落ち着いた感じですね。アニメの雰囲気に忠実というか。
アニメは「暗い」と言われる事もあるようですが、生身の人間の内面を描くことに重きを置くとすれば、そんなに明るくならないのかもしれないですね。
いや、やはりラストかな?これだけ観て落ち込む最終回もないかも。
しかし、それも現実、と(泣)。
総集編はビデオ買っちゃったんでまあ、いいんですがその前の特番を観てみようかな、と思ってます。

と、上を書いた後でアニメベルばら本編の番宣も観ました。お、こっちはちょっと情熱入ってるぞ?(笑)

フェルゼン、普通の(?)少女漫画だったらごくごくまっとうな二枚目だったと思うんですが、ベルばらの場合、内容もある意味革新的だったし個性の強いキャラクターたちに囲まれて、影が薄くなっちゃったかなあ、というのが彼への個人的な印象です。
実在の人物だから、また自由もきかなかったろうし。
アニメの方は、キャラクターCDを聴いてわかったんですが彼の出番は前半が多いんですね。
もし、全52話で作られていたら、後半ももっと活躍(?)できたのかなあ、と思うと、少し残念な気もします。

■運が悪い・・・なーかる談
なーかる・・フェルゼンがいまひとつ盛り上がらないのはここ一番、と言うときにいなくなるからかなーと思っていました。
今、アントワネットのそばにいないとどないすんねんーと言うときになぜかいなくて、こういうのって運が悪いっていうんでしょうか。ちょっと気の毒ですが・・・。

■あえて言うなら、「逃げる」こと・・・もーみん談
もーみん・・フェルゼン、確かに大事なときにいない人でした。
作品中で、彼の人間臭さが描かれることってあんまりなかったように思っていたんですがあえて言うなら、「逃げる」ことだったのかな。
でも、主要キャラ4人のうちで、
唯一、逃げることが許されていた人だとも思うんです。
物語的にも、アンドレといい対照になっていたのかも。
アンドレのつらさも相当なものだったろうけど、フェルゼンも別の意味で苦しんだんでしょうね。
人目を気にしなければならなかったフェルゼンのつらさが私個人としては、ダメージ大きいです。
人の噂とか、めちゃくちゃだめなたちなんで・・・。
とかなんとかいいつつ、やっぱりオスカルとアンドレが好きなんですが(爆)。

■作品の見方が違う・・・なーかる談
なーかる・・そういえばアニメ批判で、エースを狙えと同じBGMを使っているからポリシーがないとか言うのがありました。これこそ言いがかりだわっ。なんかそこまで言われると返す言葉がないですし。


でもどうしてかファンというのは何かあったときに解決とかこれからを語る前に自分の感情を吐き出すことが優先してしまっているように感じました。
とにかく単純にベルばらを見たい人と、こだわりたい人とでは作品の見方が違うんでしょうね・・・

■「意見」を言うのは、結構難しい・・・もーみん談
もーみん・・アニメ批判、BGMの使い回しのことまで言われていたんですか・・・。
なんというか、もしその方が真面目に言っていたのならとっても申し訳ないけど、笑ってしまいました。
その人も、嫌いなら嫌いと、一言言えばそれで済むのになあ。

自分の中に湧き出す感情を、なおざりにしてる人って多いなあ、と感じます。
怒りとか不安とかは、確かに自分の中に抱えているのは不快だからとっとと吐き出した方が、楽にはなるんですが。
自分が吐き出したものは、必ず周りに影響をおよぼすということを考えられる人って意外に少ないんですね。
しかし、私も短気なほうなんで、気をつけなくっちゃ。
それと、個人的には怒りや不安は自分を強くするチャンスかも、とも思います。
克服できずに潰されることも多いんですが。
湧いた感情をしばらく寝かせておくと、不思議に変化していたりもするし。
でも、みんな忙しくってそれどころじゃないかもしれないですね・・・。

「意見」を言うのは、結構難しいですね。
「愚痴」や「文句」って簡単なんですが。
自分の感情をぶつけるのが、意見を言う、意志を通すことだと勘違いしてる人が周りにも割と多いです。
人間だから、愚痴るときもあるのは当然だけど、TPOをわきまえて言うべきなんでしょうね。
と言いつつ、私も途中で論点ずれまくりのこと多々あり・・・。

■アニメのむさくるしいー衛兵隊・・・なーかる談
なーかる・・久しぶりにカキコミでお会いしましたね。
私もアニメのむさくるしいー衛兵隊好きですよ。
原作の若者で熱気あふれるのもいいけど。
アニメのアラン、大人だから見ていて安心でしょう?

■笑顔がとても母性的・・・もーみん談
もーみん・・アニメのアラン、放映当時から大好きだったんですが、なんでかなあ、と思ったら大人だったからなんですね。
なーかるさんに指摘されて、ようやく合点がいきました。
確かに宝島のシルバー(私の初恋の人)にしても、アニメのアランにしても危なっかしいところが全然なくってほんとに観ていて安心できました。
観ていた当時は12、3歳だったから
頼りになる大人が好きだったのかもしれないですね。
そんな好みだったせいで(?)、原作のアランは、いまいちピンと来なかったんですが、最近原作を読み返したら、原作のままのアランも、アニメで観てみたいなあと思いました。
表情豊かだし、よく動くし、アニメというメディアでとても魅力的になりうるキャラクターなんじゃないかなあ、と。

原作の衛兵隊は、オスカルがみんなのお母さんというか、担任の(美人の)先生という印象です。
アベイから戻ってきた隊員達を、両手を広げて迎えるところの笑顔がとても母性的だな、と。女性としての包容力の具現かしら、と思ったり。
アニメは、厳然とした男の世界に、オスカルがどう食い込んでいくかという観点で観ていたので、とてもスリリングでした。
どっちにしても、本音でぶつかりあう職場だった気がします。
まさに真剣勝負、というところでしょうか。

■純粋に追いかけているのがちょっとかわいそう・・・なーかる談
なーかる・・アランは身内でごそごそとやりとりするメールではアニメの方が人気がいいんです。
ただ 原作もポイント高いです。
原作も嫌いじゃない、どっちかいうと若いしかわいいし・・・ただ、オスカルを失ってからも純粋に追いかけているのがちょっとかわいそうかなと思っています。

原作も最後の方になればなるほど 劇画調になっていって(池田さんがデッサンを習い始めたからだとか)私、どっちかいうと 中頃のオスカルの感じが好きだったのでリアルすぎるなーと思いながら読んでいました。
確かに 学校の先生って似合いそうですね。
同人のどなたか「ベルばら学園」という?オスカル先生の話をかかれていました。

■長浜さんについて・・・もーみん談
もーみん・・「ルパン」の「ベルサイユは愛に燃えた」は、調べてみたらアニメベルばらの放映開始直前に放送されていました。
製作会社が同じだから、現場の別のスタジオでアニメベルばらを作っていたかも、と考えると、楽しくなってしまいます。
ところで、二木てるみさんの低い声って結構好きなんですよ、色っぽくて。
あ、今週の「ラ・セーヌの星」見損ねた〜、悔しい〜クスン(>_<。)

原作後半の絵って、確かにリアルっぽいですね。
漠然と、画面が濃いなあ、とは思っていたんですが。

この間、ちょっと遠出をする機会があって
そこの大きい本屋で、アニメの監督さんを取りあげた本を見つけました。
それにアニメベルばら前半の監督、長浜さんについてかなり詳しい記述があって立ち読みしてきました。
タイトル忘れてしまったんですが、少し前の本みたいでもしかしたら な−かるさんも読まれているでしょうか。
長浜さんは、かなりベルばらに想いをかけていたということで降番には納得がいかれなかったようですね。
前半は、覚悟していたファンからの苦情もほとんど来なくて現場もノッていたという記述もありました。
なんだか読んでいて、複雑な気持ちになってしまいました。
どんなに情熱があっても、結果が出せなければ降ろされてしまう、というのは現実問題として仕方ないにしても、その情熱を画面から読み取ることができなかったことに寂しさを感じてしまって。
波長があわなかった、ということなのかなあ。
前半の魅力を語ってくれる方、どこかにいないかしら。

■最終回近くのボツシナリオ・・・なーかる談
なーかる・・長浜さんですねー、良い監督さんだと思うし個性もあるし、・・・ただ私も前半のベルばらはなんて言うか当時の少女マンガは「ベルばら連載時」よりもすでにハイレベルになってしまってたしそれに慣れてしまった私たちが見ると、ちょっと物足りなかったような気がしました・・・
確かに前半は原作の通りにしか描きようがなかったから後半の盛り上がりをどう描くか 長浜さんにも色々と考えがあったんでしょうが。
私も前半は愛情たっぷりとは言えない解説なので、どなたか前半思い入れ解説を書いて欲しいです。

最終回近くのボツシナリオを見せてもらったことが有るんですが例の一夜の後、目が見えないアンドレをとある塔の中に閉じこめて、オスカルはバスティーユへ向かった、とかいうあらすじを読んでいたら、何となく笑えました。
やはりオンエアされた内容の方がいいと思っています。・・・でもボツシナリオの方が支持されているそうです。

出崎さんのアニメ・・・なかなか絵が崩れないのも安心材料なのかなと思います。
■その後ろにある感情・・・もーみん談
もーみん・・そういえば、ここ何ヶ月かでずいぶん出崎さんの作品を観てきましたが
確かに、絵は綺麗ですねー。絵が安定していると、安心して物語にのめり込めるから、観る側にとってはかなり大きな要因だと思います。
でも、そういうことをクリアするのって現場ではけっこう大変なんだろうな。

アニメベルばらの前半については、実のところ色々わだかまっているものがあります。
原作のオスカルは、とても熱い人で時々身勝手だったりもするけどそんな部分こそ好きだったりするんです。
人を傷つけたり、自分も落ち込んだりする中でいろんなことを学んでいってますよね。
そんな感情が、本当に真直ぐに伝わってきて共感もできるし、魅力も感じます。

アニメ後半のオスカルは、もう全然原作と違う人だけど、人の弱さや、醜さみたいなものを分かったうえで、それもひっくるめて、静かに自分や他人を受け入れていこうとしていく人のように感じています。
でも、前半のオスカルって何を考えていたんだろう・・・。
確かに原作と同じセリフを言ってたりするんだけど、その後ろにある感情がどうにも私には見えないんです。
原作にある、自分勝手とも受け取れるセリフがカットされているせいかしら。
そういえば20年前は、そういうセリフやモノローグを「なくて良かった」と思って観ていました。子供だったのかなー。

ボツシナリオ、そういえば、37話はクライマックスだったせいか、あちこちの雑誌に予告が載ってましたがどれ一つとして放映されたストーリーではなかったなあ。
おかげで、放映時全く先が読めずにドキドキしましたが。
私が読んだ紹介記事は、二人が結ばれるのはどこかの納屋の中というものでした。
これもボツの一つだったんでしょうか。
そういえば、25話のシナリオというのは、雑誌で見たことがあります。
決定稿として紹介されていたのに、これまた放映されたものとは違っていて興味深かったです。
本当に、ぎりぎりまでシナリオを練っていたということなんでしょうか。
絵コンテでかなり変わるという話も聞きますし。
個人的には、今のところ見た諸々の紹介記事のどれよりも、放映されたものが好きです。
あ、なんか放映時に思いを馳せていたらまたビデオを観たくなりました。

■読者は年を取って大人に・・・なーかる談
なーかる・・長浜さんが どういう解釈で前半を作られたのか・・・私も 知りたいです。

あ、ボツシナリオ・・・放映されたのとは全然ちがっていて・・・のけぞりました。
でもこれの方が放映されたのより良いって声も聞くんです。
うーん・・・
私はどうやら、アニメのオスカルでイメージしてしまうので違和感を感じます・・・これを原作オスカルでイメージすればいいのかなー。

■アニメは、原作に縛られてる気があまりしない・・・もーみん談
もーみん・・ボツシナリオ、ほんとに全然違うんですね、びっくり。
セリフとかは原作に近いようだけど、また違うニュアンスもあるし原作ともアニメとも異なるベルばらとして受け取りました。
こういう解釈と言うか、展開の仕方もあるんですね。
事前に色々打合せがあったり、後で直しが入ったりはするんだろうけど脚本の段階では、個人で書かれたものだと思うのでこういう初期?のシナリオには脚本書かれた方のベルばらの見方ってのも垣間見えるのかも。
なにはともあれ、めったに見れないものをありがとうございました。

それにしても、違うものを見ると、アニメをまた再認識しますね〜。
なんで違った感じに受け取れるんだろう?とか。
ほんとに全く個人的な意見ですが、私もオンエアされたものが一番好きです。
好みの問題かもしれないけど、キャラクターが何かに動かされているというより自分の意志で動いている気がして。

う〜ん、なんだかうまく表現できないなあ。
アニメは、原作に縛られてる気があまりしないんですよ。
「この先何が起こるかわかってるから」って思えない。
だからこそ、放映当時毎回ドキドキして観れたし今でも、原作とは全く違う作品として好きでいられるんだと思います。

うおお、放っておくとまた長くなるので次に回しますね〜(^_^;
どうも、好きな作品は語っても語っても語り尽くせないようです。

■基本的には原作の感動を再び!・・・なーかる談
なーかる・・ボツシナリオ、性格設定とか なんか全然ちがうなーとしみじみ思ったんですがこのボツの方がよかったのにーという話を聞くとオスカルというキャラの受け止め方がそれぞれちがうんだなーと 考えさせられました。

アニメ化するって、基本的には原作の感動を再び!!という思いがあるんでしょうねー。
ベルばらが始まったとき確かそう思ったし。

最終的に、たとえアレンジがしてあってもいいものが出来ていたらそれはそれで良いじゃないの!!
って、今なら言えますが・・・

私もオンエアされたのが一番よかったのでほっとしてます。

■「原作に忠実であること」・・・もーみん談
もーみん・・ボツシナリオ、ベルばらとして、「初めて見るもの」は久しぶりなので、結構ドキドキしたりしてました。
しかし、37話にしろ、38話にしろあまりにもオンエアされたものと違うのでどういう経緯でシナリオが固まっていったのか興味がありますね〜。
全くのボツになって、一から書き直したのか、これを叩き台にして、どんどん修正を加えていったのか・・・。
どちらにしても、オンエア版はすごく練られた感じで深みを感じます。
・・・ひいきめかしら?

ボツの方がいいという方は、原作のセリフがオンエア版より多いという理由もあるんでしょうか。
ベルばらHPのあちこちの掲示板を見ても、「原作に忠実であること」が作品として何より大切だと思っている方が多いように感じますし。
私も、大好きな漫画や小説がアニメ化された時はまず、セリフ回しやストーリー展開に目が行ってぶーたれたりすることもあるんで、気持ちはわかります。
それと「作品として良いもの」はまた別なんですけどね。
でも、さらにそれとは別に「好み」というものがあるんでなんとも・・・。
そういえば「38話アレルギー」の人は原作ファンに多いのかしら。

■今の私には物足りなく・・・なーかる談
なーかる・・しつこいようですがボツシナリオ、やはり内容が薄いような気がしました。
ベルばららしい、りりしいオスカルを描いているようでふと気が付くと30年前の少女マンガのノリのような気がして。
それはそれで楽しめるかも知れないけれど今の私には物足りなく感じています。

■「生身の心」に触れている気がする・・・もーみん談
もーみん・・さて、録画してあった「ベルばら」実写版ようやく観れました!
いや〜、面白かったです。
20年前は、オスカルの胸はだけのところで、あえなく脱落したんですが、今回は、2時間ちょっとがあっという間でした。
オスカル可愛いなあ。アンドレかっこいいし。
って皆さんおっしゃってることですね(^_^;
今観ても、古い感じがしないのには驚きました。
個人的には、アントワネット様がお気に入りです。
ふつーの女性っぽさがよく出てたなあ。
衣装もたくさん見れて嬉しかったです。
フェルゼンとの逢い引きの時、着ていたマントがアニメの20話冒頭のと似てますね、ってアニメの方が後か(笑)。

実写版のオスカルは、生まれたのがあの時代じゃなく、お父さんがあんな人じゃなければ、普通の貴族の女性として暮らしていたんじゃないかなあ。
そういう意味では、少し気の毒でしたね。
ラスト、生き残った彼女は一体これからどうするんでしょう?
やっぱり、ベルナールとロザリーのところにかくまってもらうのかしら??
ちょっぴり心配・・・

それにしても、違うメディアのものを観ると、また改めて原作について、色々考えたくなります。
どちらがいいとか悪いとかではなく、自分の中での原作の捉え方を再確認するというか。
原作のオスカルって、どんな時代に生まれていても、ジャルジェ将軍がいなかったとしても、何かとてつもないことをやらかしてくれたんじゃないかなあ、と思うんです。
とはいえ、「男として育てられる」という境遇とフランス革命前夜という時代背景が、彼女が最も引き立つ舞台だったとも思います。
「まずオスカルありき」という姿勢がアニメ後半や実写にはないですよね。
確かに主役ではあるんだけど、実写では「その時代のなかで生きている」オスカルという女性にカメラを向けて淡々と撮っていった、という雰囲気がしました。
オスカルの役者さんも普通っぽかったし、生身の女性としてリアリティがあったので、これはこれで良いんじゃないかなあ、というのが正直な感想です。

いやはや、ベルばらって本当にいろんな捉え方ができるものなんですね。
奥が深いわ〜。しみじみ。

アニメの方も、早く帰れるときは観ています。
アニメは原作のような強いインパクトはないけど観ているうちにじわりじわりとしみてくる感じがします。
アニメだから生身じゃないんだけれど、「生身の心」に触れている気がするんですよね。
それってけっこうすごいことかも。

■あんましこだわるといろんなベルばらを楽しめない・・・なーかる談
なーかる・・ベルばら映画版を見た人の感想をちらほらもらいますがやはり原作と同じものを期待して夢やぶれたというのが多いです。
でもその内の何人かは現実はああいうものだし原作とは別物として映画版のオスカルを応援したいという風に考えたと書かれていました。

オスカルはかっこよくて大輪の薔薇のように生きなくちゃダメという先入観をどうやってうち消すかっていうことでしょうか。
まーそりゃあー個人の勝手だから 先入観を大事にするのもいいですが あんましこだわるといろんなベルばらを楽しめないのでもったいないような気がしました。



対談2000.1月〜11月
■終わりに・・・なーかるより


もーみんさん、メールでのベルばら考察、ありがとうございました。

この後はどんどん横道にそれて「こどものおもちゃ」「ボトムズ」「エスカフローネ」「頭文字D」「ボボボーボ」「不思議遊戯」etc、数え切れないほどのオタッキーな話に発展していったので、「ベルばら」について特に語って頂いた部分を、ご本人の了解を得て公開させて頂きました。

本来であればゲスト様にのびのびと語っていただくのが趣旨なのですが、ホストである私が暴走しているのを、もーみんさんにさりげなくフォローしてもらう結果となってしまいました。

その上、もーみんさんの低姿勢をいいことに、私が勝手にしゃべくっているお見苦しい部分もありますが、もーみんさんのご発言には「はっ」とさせられることが多く、話の流れとして両者の対談という形式を残すことにしました。

話の中で色々と印象深いことが多いのですが、中でも「女性が描いたベルばら」と言うのであれば、原作の「オスカルはこれでもかというくらい容赦なくその死を描かれた」というくだり。

これはまさに、作家が女性(オスカルと同性)であったことに由来しているのではないかという、もーみんさんのお考えにはついつい相づちを打ってしまいました。
又、アニメでは出崎氏によって、女性であるオスカルは大切に扱われたんだなぁと言うことも。反対にアンドレは袋だたきで放置状態?

又、こうやって対談をまとめてながら、原作者の池田さんが命を吹き込み作り上げた大切なキャラクターの命を、自分の手で無惨に奪い去るという「構築と破壊」の図式に、作家としての激しさと厳しさを改めてかいま見た気分です。


■おっと!後記の途中ですが、この対談を編集中にもーみんさんからコメントを頂きました!


*************************下記*************************

なんだか、こうして改めてみてみるとすごいですね。
ベルばらについて、こんなに語っていたんだー、と他人事のように驚いてしまいました。
そして、自分の思い込み暴走っぷりに赤面(..;)
でもまあ、こんなファンもいるということで、ありのままをさらけだそうかな(おい)。
正直なところ、今は考えが少し変わっている部分もあるのですが、当時の想いの雰囲気が伝われば嬉しいな、と思ってます。

もーみん 
2004/08/05
■最後に


尚、この対談の中で語られている情報や過去の出来事については、裏付けを取っているものではありません。
中には思いこみや、記憶の中で誇張されたり削り取られたりしている部分もあるはずですので、正確な情報をお探しの方は「間違っているかも知れない情報を信じ込まないよう」お気をつけ下さい。

又、過去のどなたかの発言を、私のいい加減な記憶を頼りに書き出していますが、あくまでそう言うご意見があったという話題として出しただけであり、それらの発言内容を否定する意図は決してありません。

以上、うろ覚えの記憶も含まれておりますが、個人的なオタクな対談として「会話の妙」を楽しんで頂ければ幸いです。

末筆ながら、このサイトへの対談の公開を快く承諾して下さったもーみんさんに、厚く御礼申し上げます。

なーかる

サイトへのアップロード 2004/0806
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