アニメ対談4
オモテ・・ジェンダー=「(文法上男女の)性、性別」・・
思わずカタカナ辞典で調べてしまいました(苦笑)
原作が「女性が描いたジェンダーへの戦いである」という考えは、実は(オモテも含め)ファンが作り上げた幻想だったのではないかと、今では思うのですよ。
原作が発表されたときの時流に(女性の地位向上を女性自身が訴え始めた・・)丁度乗った時期と相まって、ファンのちょっと大きい女の子達は、オスカルを女性の地位解放の旗手の様に感じたんではないでしょうか。
(中ピ連とか知らないだろうなぁ・・若い人は。とりとんさんは知ってますよね?・・^^;)
もっとも・・まだ子供だったオモテは・・読んだ直後は、そこまで難しい事は考えませんでしたが。
でも、程なく、自由だ、男女平等だ〜とか学校で習っても、実際の社会では相変わらず、女性の地位は低いし給金は安いし、「女のくせに」とか暴言吐かれる現実(って、こんな事ないですか?オモテは見ず知らずのオヤジに言われた事があって、頭沸騰しましたよ〜!今だったら、「アンタに養って貰った覚えはない!
付いてるだけで偉いのか!!ソレでなんか世の中に貢献した事あるのか?」と言い返せますが、その時はそんな知恵も思いつかない程若かったので、「くそじじぃ〜!」と怒鳴り返して逃げました・・笑)に気付かされる。

原作オスカルは、「自由も平等も教科書の中にしかないじゃない・・」と言う事を、一時忘れさせてくれたんですね。
オスカルが、ヒーロー(男&男社会)の添え物じゃない!?
自分で自分の運命を切り開くヒーロー性を持ったヒロインに見えたんですよね。

特に、アニメが公開されてからは、一種アレルギーとも言えるアニメへの反応はまさにコレ?「女性(原作者)が描いたジェンダーへの戦い」をアニメの監督が冒涜した!?と取られてますよね。
何しろアレルギーですからね。じんましんブツブツわいている本人でさえ、原因が分からない(事の方が多い)んですから。
突き付けられた、アニメに何ら拒否反応起こさなかった私には、???の嵐でした。
とりとんさんのおっしゃるとおり、私には、オスカルの変化より、男どもの変化の方が興味深い程でした。
ルイ16世、フェルゼン、ブイエ将軍、ダグー大佐、むさい衛兵隊員(^_^;)・・
そしてもちろん、我らがアンドレ!も、私たちが知っている(と思っていた)原作の彼らとは、違いますよね。
こう言ってイイなら、一様に思慮深いし、落ち着きがある。

原作者の池田さんは、ナポレオンとかロベスピエールで、フランス革命の後半を描きたかったのだと聞いています。
でも、当時の少女漫画誌で、そんなおっさん達が主役の難しいハナシは描いても売れない。悲劇の王妃、アントワネットが主役だったら描いても良いよ〜と編集者に言われたとかなんとか。
けど、池田さんは、悲劇の王妃のお約束ドラマを描きたくなかった。
そこで苦肉の策で?アントワネットの周辺に自由に動き、考える事が出来る人物としてオスカルを置いたのではないでしょうか?
オスカルのキャラクター(性格・気質)については、当時、池田さんのマンガに時々出てきた少年ぽい少女達の踏襲だったのかな?と想像できます。
池田さんのお母様だったかが女子校出身者で?お母様から伺った昔語りの“素敵なお姉さま”へのあこがれが、そう言うキャラを描かせるのかも・・
というご本人の弁をどこかで読んだ記憶があります。昔。
実在の人物アントワネットの代わりに考え発言するオスカルって・・
原作者の自身のあこがれだったのかもしれませんね。

しかし・・黒い騎士を捕まえようとしたオスカルですが、アンドレを偽騎士に仕立てて、ジャルジェ家を中心にして囮の泥棒をさせますよね。
今夜辺り現れてくれなければ、明日はジャルジェ家〜というこの期に及んでも、オスカルはジャルジェ家の警護を怠っています。
あげくロザリーを人質に取られてますが・・アノ1件・・
少女漫画だったからロザリーは、真面目に、ただ地下牢に押し込められてましたが・・リアルな劇画だったら、ロザリーどうなっていたか(^^;)てゆーか、その後一緒に捕らえられたオスカル共々、殺されるより前にどっかにうっぱらわれててもおかしくないですよね(^^;)
(↑その前にズタボロにされているかも〜別の暴力で)
やっぱ、この辺りの展開の詰めがあま〜いのは・・原作者が24歳の若い女の子だったから・・?と、今の私たちは感じます。
もちろん、当時低学年層の女の子達も読んでいた原作に、そんなリアルな設定は必要無かったのでしょうが。

もう一度、原作に忠実なアニメリメイクを望んでいるファンがいる〜と聞いた事がありますが。無理でしょう。
そのまんま、飛び出す絵本みたいに?寸分違わず作るならともかく。
脚本家が解釈を加えて作ろうとしたら、まず設定でつまずくと思います。
原作のストーリィ展開そのものに無理があるんです。
シロウトでお遊びのサイドマンガ描いている私でさえそう思うんですから。
アニメは男性監督が良いように、オスカルをもてあそんだ〜と言われているそうですが、たぶん、女性監督でも、女性脚本家でも、(たぶん原作者でも)大幅に原作の展開とキャラクターの性質を変えなくては、どんなに演出力があってもアニメ化は無理でしょ。

どうしてもアニメ化したければ、オスカルを10歳若くする。
しかたないんで、オスカルが成長するまでをはしょり前半をアントワネットのみの主役にする。
こうすれば、原作オスカルの、何をしていたのか立証できない年月が解決出来る?若気の至りで、平民側に付く事も無理がないし、下手したら?その前にジェルジェ家を出奔してても不思議じゃない。
この場合、オスカルとアントワネットの接点はほとんど無し。
でも、オスカルが平民側に寝返る事にも不自然さが無くなるし。
それか、ベルばら仮面〜!(ナンノコッチャ・・)とか銘打って昼は近衛隊長、夜はオスカルが度派手なコスチュームで、悪い貴族をバッサバッサ成敗する。仮面以外は顔を覆うモノものがないのに、何故か誰もオスカルだとは気付かない。で、その仮面とか、コスチュームが子供向けオモチャで販売されて、絵入りのお菓子とか、ふりかけが出来る(爆笑)OP、EDは毎月売り出し中の若手アーティストの曲が使われて、夏冬休みには、オリジナルストーリィで劇場板が上映される!?

そして〜本編の最後は、一族郎党世話になっているアントワネットを裏切っている事を悩みながらも、自分の気持ちを偽れないオスカルは、やがて近衛隊長の地位と貴族の身分を捨て、素顔でバスティーユ攻撃に参加する。
いかがでしょう?(笑)

とりとんさんの、「なぜアンドレはオスカルをバスティーユに行かせたか?」も謎ですが、オモテはその前に、「何故オスカルはアントワネットを裏切ったか?」も謎なんですよねぇ〜(^_^;)
特に原作のオスカルの場合は、フェルゼンの帰国を促した事と、プチトリアノンに引き込む事を止めたくらいで、とりたてて、アントワネットや王家がフランス革命に巻き込まれる事を阻止しなかったし。
アントワネットにしてみたら、寝耳に水だったんじゃないかな?
とりとんさんとの笑い話じゃないけど、アントワネットが処刑されて天国にたどり着いたら、一番先にする事は、オスカルを殴る事だったりして!?(爆笑)


とりとん・・gender=今は「性差」という意味合いで使われているようですね。
オスカルは「ジェンダー戦士」という考え方は連載以降、ファンの願望がそうさせた部分があると思います。

 これはアニメというより、原作についての事なんですが。
元々、主人公はアントワネットのはずが、中盤はオスカルがメインになっている。
ひょっとしてこれは人気が出たからとはいえ、池田さんの本意ではなかったんじゃないでしょうか……と想像してみる。
 アントワネットを描くことで、可憐な少女が骨太になっていく過程は池田さんの真骨頂と言えますし。それにロベスピエールはおいしいキャラだし、オスカルも含めて反組織的なキャラクターを使って、今の体制に疑問を投げかけることがそもそも原作者の書きたいことではなかったかと。
だけどファンの心は性差に対する強い抗議と、マンガの中だけでもいいから性差によってへこまない女性を望んでいた?
 原作者が女性だからという理由で、ベルばらのテーマは性差別と戦うことだと理由づけることは池田さんの意志ではなく、男対女の図式を望んだファンの希望だった、というと大げさでしょうか。

 原作序盤を読んでいても、あんまし男女の性差がテーマとは意識してないのに、後半、勢いづいて原作オスカルはスーパーヒロインへと変貌していきます。
彼女に与えられた使命は、重要な脇キャラとしてアントワネットのそばにいてストーリーテラーの役目を果たし、最後に寝返って体制への批判をするはずが、いつの間にかあれもこれもと使命を背負わされてバスティーユへ行き、結局原作オスカルの本質は?となると、誰も明確に答えられない。
原作オスカルの悲劇って、普通の人間として描き通せなかったことじゃないかとも思えます。

 なんだか原作対談みたいになってしまいましたが、ベルばら原作全編を通して、序盤の当時のマンガらしいキャラクターから、ラストはリアルなキャラクターへの移り変わっているのも作者自身の変化と言えるかも知れません。

 ベルばらは今も知名度もありますが、再アニメ化は特にテレビでは無理かなという気がします。グッズが売れないことにはスポンサーも困るでしょうし、描写の制約も以前より厳しいそうですね。
原作に忠実なエピソードを描くにしても、原作オスカルの抱えた「ファンの期待」を全てまかなうのは難しい。まず、原作オスカルはこういうキャラだ!という明確な答えを、ファン自身が30年経っても出せない(いゃ正確には、原作オスカルを明快に語れると言う方がいらっしゃるのを私が知らないだけですが)のに、アニメ化に際してスタッフの誰かが自分たちなりの「オスカル」を定義したら再びファンは反発し、アニメ批判にしかならないでしょう。

「何故オスカルはアントワネットを裏切ったか?」
ははは・・・何ででしょうね。(^^;)
二人が最後に会ったときも、フェルゼンは帰ってくると予言するにとどまってましたし。
気安く助言できる立場で描かれていた初期のころの二人の関係のままなら、多分、革命が起きるまでにオスカルがアントワネットを止めてますよね。

 最初からそうなる筋だった、というのは答えにはならないですが、貴族の中にも「今までの体制」にひずみを感じてしまった人がオスカルだった、それほど、時代が一人一人の心の中に「今は激変の時代だぞ」と呼びかけていたというドラマチックな展開を狙ったんじゃないですか(くっ…苦しい言い訳をして書き逃げする)。

 天国の話なんですけどね、これを読まれている皆さんに解説しておきます。
この対談の裏で語っていた「笑い話」を最初から言うと、「天国で幸せになるオスカルとアンドレ」という所から始まってます。
天国には次々と死んだ人たちがやってくるので、ボックス席でない限りオスカルやアンドレはいつまでも二人きりで居られません。

 しばらくするとルイ16世やアントワネットもやってくる。
そしたら、現世のままの意識を引きずって天国で暮らしていたら、死んでからも同じ人間関係の喜怒哀楽で悶々しなきゃならない。
ラブラブな部分はいいとしても、それ以外のこともチャラにはできません。
当然、オスカルとアンドレも二人きりにはなれず、反対に、アントワネットが「どうして寝返ったのよ!」と詰め寄ってくるかも知れないし、ルイ16世はいつまで経ってもフェルゼンが目障りでしようがない。
これでは、「天国でしあわせにくらしましたトサ」という図式にはなりません。

 天国論をここで云々するのではないですが、オスカルは思うとおりに生き、天国ではアンドレと幸せに暮らしたというのは、あくまで都合のいい想像でしかないということ。
もし天国があるとしても、そこは魂たちが大元へ帰っていく所であり、そこには現世での「オスカル」や「アンドレ」というしがらみもないところ、なんじゃないかな。
 生きている間にすべきことや、生きている間の喜怒哀楽は、やっぱし生きている間に後悔なくやっとけよ、という事だと思います。


オモテ・・とりとんさんが語っていらっしゃる間に、考えたんですが・・
なぜアンドレが、オスカルをバスティーユに行かせたか?ですが、やっぱ、思慮が足りなかったのだろうと思います(笑)
特に原作のアンドレは、平民だけど、そのことで障害になったといえばオスカルと対等に恋愛が出来ないと言う、制度上の身分の差だけ。
衛兵隊に転属してからようやく、アラン達と関わるようになったけど、それ以外の平民達の事を知っている訳ではなさそうだったし。
パリが相当物騒になりかけた頃、オスカルでさえ、スープ以外食べるものがない、平民の日々の暮らしを理解していなかったんですから。

原作では、出動命令が出ていた朝(バスティーユに向かう当日)、アンドレは、自分の考えに間違いがあったのではないか?と不安になってますよね。
これは、地位も身分も捨てて、平民のために力を尽くすだろうと思っていたオスカルの行動がはっきりしていなかったから・・だったんでしょうが。
このことからも、アンドレには、オスカルを止める意志など無く、そのあとの、衛兵隊員達に自分の取るべき道=平民側に付くという意志を話すオスカルを見る、アンドレの期待に満ちた顔を見ても、オスカルはバスティーユに行くべきで、自分はそのあとを付いていくもの〜と考えていた節があります。
その考えは純粋に、目の前で苦しむ人々=この場合は同じ衛兵隊員の仲間を見て、何かしたい!という思いから来ていたのではないでしょうか?

当時は、女性の考えるとおりに異議を唱えることなく従順に、しかも頼りたいときには、しっかり受け止めてくれるあの原作アンドレが良いなぁ〜と、そう言うアンドレに愛されるオスカルが良いなぁ〜と思ったモノですが・・(って、コレってオモテだけでしょうか?・・^_^;)
今は違いますよ〜現実の世の中や社会はもっと複雑で、きれい事ばかりじゃない事を身をもって知ってますから。
アンドレには・・自分のパートナーの男性には、もっとたくましく、小賢しくても強くいて欲しいと思いますもん。
原作アンドレ素直すぎ〜です。
武力にたけていなくても、地位や身分がなくても良いけど、もっと現実をみて、賢くなきゃ〜ダメですよ〜!

結局、大胆に結論を言ってしまうと、原作オスカルがバスティーユに行きたかったからアンドレも行ってしまった〜のだと思うんです(笑)
でも、オスカルは何故バスティーユに行きたかったのか、何をやりたかったか実は、コレが最大のベルばらの謎かも知れない〜〜と言わせて頂きます〜!!

オスカルが出来た人であるという、見た目や行動や風評や評判があればある程、原作オスカルの行動はオモテには理解出来ない。
未来の明るく正しいフランスのための礎になりたかったのであれば、1個中隊などと言わず、全軍を手中に収めて、あのままバスティーユだけでなくベルサイユ宮殿も襲撃して、ルイ16世を処刑して、クーデターの首謀者になれば良かったのではないでしょうか?そして、レベスピエール達と手を組んで早急に新しい国造りをする!
そうしていれば、ナポレオンなんて台頭するスキなんか無くて、また王制に戻るなんてことも無くて、フランスはヨーロッパのどこよりも強大な近代国家になって、世界地図塗り替えてたかも(爆笑)

でも〜王室の存続を考えながら、フランスを正しい道に導く事もオスカルには出来た筈なんですよね。
オスカルはそんな大それた事をかんがえていた訳でなく、タダその場の人たちの為になれば良かった?心優しい人だから??
いや、それは、一兵士ならともかく、王室に深く関わってきた軍人家系の出のオスカルでは影響ありすぎ。あとの事を余りにも考え無さ過ぎといえるでしょう。

あらら??ホントに・・どうして、アニメ対談なのに、原作を語っているのかなぁ〜(^_^;)
それは、原作を語らないと、アニメのオスカルの行動を説明出来ないから〜なんですよね?とりとんさん。
アニメオスカルに主体性がないと言われて久しいですが、何故主体性がないのか、無いように振る舞っている様に、出崎さんが描かなくてははいけなかったか・・の鍵は、全て原作オスカルが持っている〜が、とりとんさんとオモテのたどり着いた結論だったんですよね。


とりとん・・気が付けば1ヶ月半ほど対談を滞納していた私です。
アンドレはなぜ、オスカルを止めなかった?か、ですよね。

アニメのアンドレならオスカルを止められたと思います。無理矢理にでも。
彼女の命が残り少ないから自由にさせておいたというのも一理ありますが、事が事だけに、危険を伴う場所へみすみす彼女を先頭に立てるというのも男が立たないし。じゃあなぜ?ってことですが。
アニメでは男と女の関係が現実的に描かれていると思いがちですが、ここで2人が手に手を取って革命に飛び込むくだりについては、現実めいた男女の関係ではなく、惹かれ合う2人の人間が同じ気持ちで困難に立ち向かうという抽象的で純粋な関係に描いてあるんじゃないかと思っています。

原作についてはアンドレがオスカルを止めるということすら選択肢にないように見えたのですが〜。
なにせベルばらの主役は絶対オスカルで、アンドレというキャラは彼女の行動を盛り上げる最高の名脇役なんじゃないかと個人的に思っているぐらいなので……
「光と影」というのだから光を際だたせるのが影の役割で、逆に光によって影もくっきり浮かぶとも言えますし。(原作が名脇役というのならアニメもそうですけれど)
だからこそ、アンドレが「?」に思っていたオスカルの気持ちが知りたいんですよね。

多分、オスカルが民衆側へ寝返ることはこの朝の時点で私にも解りました。
だけど、この寝返りがどんな意味なのかを知ったのは私が大人になってからです。
しかしオスカルなら解らないはずはなかったでしょう、バスティーユ後の顛末を。
彼女の頭の中にフランス万歳という意志があるのなら、彼女が夢見たフランスの国家とはどんなものだったのか?それは私にも永遠の謎です。
(原作のこの辺をしみじみ語られる方ならうまく解説して下さるのでしょうが)

第一、原作とアニメではオスカルに関わってくる事の善し悪しが全然違う。
原作ではオスカルの外部に何か彼女を怒らせる原因があって、彼女はそれに対し反発して行動しますが、アニメではそうではない。
世の中には絶対的な善悪はなく、彼女はその中で自分がどう行動するかを悩まなくてはいけない。行動の原動力は彼女自身の意志の中にあります。

結局、バスティーユ後の王室のたどる末路がオスカルに予測できたから、アニメのオスカルは単純に意志決定が出来ず、情熱を燃やすこともなく、沈黙しなければならなかった。
このあたりは実際アニメでは自分の意志で動いているのに、それが言葉で表現してなかっために、主体性がないように誤解されてしまうんだと思います。

アニメで原作オスカルの推進力が無くなったのは、オスカルが世の中に対して一方的に怒ることができなかったからでしょうし。
立場上、王室に付くか民衆の盾になるかのどちらかを迫られ、黙々と決断した裏には、自分自身もきれい事では済まされないと覚悟していたんだと思いますよ。
王室を寝返ったら今度は民衆の英雄に・・と、身を翻すほどオスカルも要領がいいはずないし、だから民衆にもオスカルは賞賛されず、黙って責任だけ背負ってしまったんじゃないかなぁ?
原作よりはっきりと命の期限を切られたことも、長期間のスパンで物事を解決できない立場にオスカルを追い込んでしまっていたし。
あと半年と言われて、自分に出来る事ってすぐには思いつかないですよね。

まぁ、結局、このオスカルの沈黙がアニメにハマる原因なったわけでもあるんですが、自分の意志決定を黙ったまま行動で表現する裏に、一体どんな葛藤や試行錯誤があったんだろう?という色んな感情が今の私に共感できたから、結果オーライなんですけどね。(^^)

この辺の事をアニメではアンドレが「何が正しいのかわからない」とモノローグで語っていましたが、正しいから行動するのではなく、今、時代に対して自分にできることをしようというアニメの考えは、オスカル主体にバスティーユが描かれた原作とはやはり別物でしょう。

原作がそうだから、アニメでもバスティーユへ行かなければならなかったのは絶対的ですが、もしも原作無視ができたなら、オスカルはベルナールやアランと組んでもっとうまく立ち回りができていたと思うんですよ。
オスカルにしても、自分のせいでジャルジェ家の体面を真っ向から汚すことを避けたいだろうし、アランたちにしても貴族から寝返ったオスカルと共に戦うというのは、一番に貴族側から狙われる標的になりそうですし、本当ならベルナールあたりが気を利かせてオスカルを参謀役にしておいて、彼女を戦闘の最前線ではなく背後に回しそうですなものです。

あっ、この場合もちろんオスカルの病気もナシでお願いしたいです。
ただし、彼女が革命後に生き残ったとしても、元貴族という高い壁が本人にも平民との心の間にも残る事だろうし、その場合は彼女が寝返ったために親しい人たちを裏切ったという罪の意識はずっと背負うことになるでしょう。

基本的に、貴族側に居続けることも出来ず、民衆側にとけ込むことも出来ず、居場所がないオスカルの生きる道は、信念を曲げてどこかで妥協するしかない。
そりゃあ、もちろん妥協は誰でもしていることなので、オスカルが使命感を失って匙を投げてしまってもおかしくはないですが、物語のテーマを語るためには、彼女が意志を貫き、過酷な運命が架せられたのは仕方なかったのかも知れません。

アニメを見始めて、このオスカルならどうにかしてバスティーユ後も生き残ってくれるんじゃないかも?という期待をものの見事にうち砕かれたラストにはやはり原作やテーマに沿わないといけないと言う常識にうちのめされたと同時に、ここで命を落とすはずではないのにという無念の想いでがっくり脱力しました。


オモテ・・とうとう来てしまいましたね(^_^;)
1ヶ月半、続きが届くのが楽しみでもあり、恐ろしくもあり!?
そろそろ結論を語りましょうか?と振ってから、半年くらい立ってませんか?(爆笑)
しかし・・時に慎重に、時に暴走気味に?語ってきましたが、ゴールは初めから一つ。
私達はそこへ向けて進んでいるのだなぁ〜と、やっと、ここに来て先が見えてきましたね。

長々と語って来ましたが、結論は・・私が言っちゃって良いですか?(^_^;)
アニメと原作は別物〜と言うことでしょうか!?(爆笑)
ココだけ読んだたら「はぁ〜??」とか言われそうだけど、私達の対談をココまで読めば、分かってもらえる・・よね?だめ??

原作は30年近く前に発表された子供向けマンガです。
未就学の子供さんが読んでも理解出来るように描かれたマンガです。
その原作と、十数年後、中高生以上含む大人を対象にして作られたアニメとでは、エピソード表現や、キャラの存在意義や性質が違っても仕方のないことで・・。

逐一原作とアニメの違う所を取り上げて、原作オスカルはこう言ってこうしているのに、アニメオスカルは同じ事をしないのでダメだ〜とか、アニメオスカルが原作オスカルのやらなかった事をして、イメージ壊したとか、比べること自体ナンセンス。
ベルばらを子供向けマンガで表現すると、原作になり、アニメで表現すると現存するアニメになるのですよ!と爆弾発言!?

監督を変えて再アニメ化すれば、現存する情けないアニメとは違う、きっとすばらしいベルばらアニメが出来ると考えている原作ファンが多いですが、それも無理でしょう。
原作ファンが考えている形でのアニメ化は不可能です。
(理想に燃え、正義と熱血漢のかたまりで、賢く優しく美しく、恋人の前ではたおやかな、他人を救うために自分の犠牲もいとわないスーパーヒロインが主役のアニメは!?)
例え監督や脚本が女性になっても、原作者の池田さんがおやりになっても無理だと思いますよ〜。

原作が子供向けマンガだからレベルが低いと言っている訳では決してないんですよ〜。
例えば、大人向け小説と、小さい子供向け童話とでは、語っている物が違うし、(普通)語りかける対象も違うと言っているのです。
子供の頃好きだった、シンデレラという物語を大人になってから読んで、「たった1回だけ会った王子に恋をして、勢いで結婚したシンデレラって、絶対後で苦労するわよ!」などとマジで批判する人は普通いませんよね。
けれど、シンデレラを大人の鑑賞にも堪えられる実写映画にしたら?
何本か海外で制作されていますが、童話とはまるで趣が違うストーリィになっているのもあります。

私が知っている映画版の1本は、王子がやっと探し当てたシンデレラをお城に連れて帰ると、身分違いだと、両親である国王夫妻や臣下に反対されるんですよね。でも実際はそうなるでしょうね(^_^;)
だけど、この映画を見て、国王夫妻ってなんて意地悪なの!?とは思いませんよね。だって、国家の存亡が掛かっているんですから。
王子(王位継承者)の縁組みには。
もちろんラストはハッピーエンド。
臣下のモノに言い含められて、こっそり城を出て王子の前から姿を消したシンデレラの前に、魔法使いが現れて(貴婦人風)「若い女の子って、決して言われたとおりにはやらないものね。
白雪姫もそうだったわ」といって、王子と別の女性(隣国の姫)の結婚式に乗り込んで、魔法で隣国の姫には、王子の従兄弟を娶せてその場でダブル結婚式〜でめでたしめでたしになるの(笑)

もう1本は、王子に身分を偽っていたことで、財産目当ての他の女性達と同じに見られ、シンデレラストーリィの最大の見せ場であるはずの舞踏会で、決別宣言をされる・・と言うモノでした(^^;)
こちらには一切魔法はナシ。(シンデレラはお母さんの形見のドレスで舞踏会に行ったの)
でも、ラストはこちらもハッピーエンド。
シンデレラは自分の才覚と強い意志で、幸せを勝ち取る〜!
というモノでした。

ベルばらだってそう・・アニメはもちろん、実写版も、宝塚も、原作とは全く別物ですよね。
その中で、なぜアニメだけが今まで批判を受け続けてきたかといったら、原作と一番近い表現方法で、原作に一番遠いモノを作ってしまったから・・じゃないでしょうか?

私は今でも原作が大好きですよ〜。
子供の頃、原作を読んでオスカルに夢中になって、オスカルのようになりたいと思ったモノです。オスカルは長い間、私の理想の大人でした。(あ、姿形のことだけじゃ〜ありませんよ。念のため・・^^;)
本当に、自分が大人になって、オスカルのような大人になるのは、幻想だったのね・・と気づいてからも、カミサマにお願いするように、「オスカル様だったら、きっとこうする!だから自信持て〜!!」なんて事をこっそり胸の中で唱えてたりしました(きゃぁ〜恥ずかしい・・^^;)

でも時に、「私はオスカルじゃないんだから、こんなコト出来なくてもあたりまえね・・」なんて都合良く逃げる口実に使ったりして。
オスカルを高い高い理想の頂上に押し上げて、届かなくて当たり前と思うようにしていたのも事実。

そんなとき、アニメベルばらと出会ったんですね。
だから前半は、懐かしい気分一色で、昔好きだった童話を読む感覚で見てました。
ところが、後半に入った頃から、「な、なんだこれ?コレ本当に子供向けマンガだったベルばらのアニメ??」と驚いたんですよ。

オスカルが周囲に気を使っている!オスカルが控えめ!!オスカルが慎重!?
いや〜ビックリしましたよ、最初は。
けど、アニメ全話を見終わる頃には、全知全能のオスカルの本当の姿を知った様に感じてました。
自分と同年代で、同じ女性で、やりがいがあるけど、キツイ仕事を持ってて、家族は愛しているけどしがらみがあって、好きな人がいるけど片思いで・・
だったら、実在の人物だったら、生身の人間だったら、こうなるだろうなぁ〜と思いました。
アニメオスカルの生き様に共感しました。
感動して、1週間泣いて暮らしました。いい大人が。
たぶん今の私が、原作を全く知らないとして、原作を読んでもアニメを見たときの、この気持ちにはならないと思います。

でも、原作を10歳の頃に読んだときは、感動したんです。
1週間どころか、1ヶ月は泣きました。数年はボ〜ッと呆けてました。
おかげで人生変わったと思ってます。
そう言う意味で、私の中で原作ベルばらは、今も大事な、大好きな物語です。でも今は、もっと好きなベルばらが出来てしまったんです。
それがアニメベルサイユのばらなんです。

アニメベルばらが嫌いな、認められない人がいるのも理解しましょう。
だけど、逆に、アニメが原作以上に好きで、アニメの方が良い出来だ・・と思っている人間もいることを認めて欲しいですよね。
あと、アニメだったら無条件に批判して良いという風潮もどうかしたいと!思っているのですよ〜。
一時期に比べたらかなり少なくなっていますが、皆無ではありません。
批判も悪口も、言ってくれても結構、責任を持っていただけるなら。
でも責任取れないなら、最低限のマナーとして、アニメファンの目の届かない所でやって頂きたい。
そうでなければ、私達アニメファンもやりますよ〜原作批判・・などという物騒なことを言い出してしまう〜(^_^;)(>_<)
原作も好きだけど、愛しているアニメのためなら、やっちゃいますよ。
それ位!?(爆笑)

とりとんさん・・ごめんなさい、もっとオブラートに包んだ、優しい?
内容にするつもりだったんのに、暴走してしまいました。
でも、今言わないといつ言う!?・・と、私の心の中の本音が外に出てしまいました。
もちろん、責任持って発言しました〜!
私のベルばら人生掛けて(笑)
それでも悔いがないって程、アニメベルばら好きですから〜。
付ける薬ないですね(^_^;)


とりとん・・色々考えてみると、ベルばらファンにも色々いて当たり前だったんですよね。(^^;)
とにかくアニメが嫌いだからと言うアンチアニメファンがいるとしたら、その逆のアンチ原作ファンの人もいるのかも知れない。
だけど、そう言う人が今のところ出てこないのはそれを言ってしまうと原作ファンの人を傷つけるから・・と思っているからかも知れない。
とにかく私も根拠のない批判とか、愛情のないお笑い系作品論(作品のあげあし取り)は、やはりどこかで誰かを傷つけて、知らぬ間に隠れた棘を作り出しているかも知れないと思います。
そうでなくても、人間、生きているだけで知らぬ間に誰かを傷つけているのは
もう当然のことだし、批判をする事で、やがて論争が巻きおこったり、まったく違う所で仕返しに合うかもしれない。
人を呪わば穴二つとはよく言ったもので、発言するときは落ち着いて考えて、批判するにしても一生懸命考えた末の発言でないと、無責任な発言のためにやがて大きな責任を負うこともあり得る話です。

特にインターネットではついつい目の前にはモニターとキーボードがあるだけで、後はモニターに写る活字という無味乾燥なモノと思いがちですが、実は大勢のベルばらというゆるいひとくくりの人たちの前で壇に上がって拡声器でしゃべっているのと同じなんですよね。
それもその一言一句、録画されていて後で何かあったときには証拠となる。
中には共感してくれる人もあるけど、あまり興味が無くてかいつまんでしか聞かない人、あるいは快く思わない人、色々な人が聞いている。その中での発言はやはり責任が重い、そう感じます。
まぁでも匿名性があるのがネットなので一概に責任が云々とは言えませんが…。
特にオモテさんも私もサイトを運営している関係上、逃げ隠れはできないという責任はありますよね。
やっぱり違う立場の人も尊重しましょう・・と言うと、まるで昔教室に貼ってあった張り紙みたいですが、今頃身に染みますワ。

対談の結論は……ん〜〜?そうですねぇ。
交互に発言することで色々と掘り下げてきたのが一番有意義でした。
誰かと「ベルばら」って何?という気持ちを対談にしていくのはホント楽しい作業です。
だけど「オスカル様かっこいい〜!」というヨイショ対談がしたいワケじゃなく、作品のどこがどう気に入ったのか、分析したり推測したり、で、それがデータとして残ることがすごく大事だと思いました。
何事にも好き嫌いがあるのは当たり前でしょうが、その理由がどうなのかと言うことを、根拠と共に残すことが大事なんだな〜って。
……って、コレ結論でも何でもないんですけどね。

色々とアニメについて語ってきたけど、やっぱり基礎である原作にもいくらか触れることになる。そしたら30年前にドキドキした原作を、今度は今現在の自分の立場で、前とは別の視点で見ることになりました。
うんうん、今でも面白いし、別の見方がいっぱいできる!
やっぱり登場人物間のからみ具合とか、ドラマチックだし!

でまぁ、そうしてあらためて読んでいくと原作オスカルってはっきりスッキリしているようで、意外と彼女自身の本質って見えてこないんですよ。
何て言うか、人間どこかで自分を試される事ってありますよね。
あっちを立てたらこっちが立たないとか、本心とは違う行動を余儀なくされたり。
そういう困った分岐点に立った時や、あらかじめ事の真相を知っていたらオスカルが行動を起こしにくいであろうことが、すんなり排除されている…と思うんです。
自分の道をばく進しているはずのオスカルは、外からの刺激に対して怒りや喜びとして反応しているけれど、彼女自身が主体性を持って何を悩み考えたかという部分はきれいに隠してある。で自分でも不思議なのは、そういうところに今までつっこんだことがないんです。やっぱり原作オスカルだから、それでいいのだ〜!それでいいのだ〜!みたいな所をずっと引きずっているんですよ、私も。

たとえば、アンドレの失明も彼が撃たれるまでオスカルは気付いていない、又、衛兵隊に転属する折りもアントワネットへの忠誠心には触れずに、ベルナールの言葉に影響されている事が描かれている。
ジャルジェ家を捨てる決意をしたときも、父にかかってくる責任については触れていない等々。
これらの、きっとオスカルが感じたであろう葛藤に触れていないのは、池田さんに実力がなかったからではなく、ベルばらというお話がそもそもアントワネットの生涯を描くものであって、オスカルは彼女を写す重要なサブキャラだったからだと思います。
つまりベルばらの本筋はオスカルがすごい人だというものではなく、アントワネットとその時代の動乱がメインなんじゃないかなぁって。
・・・とまぁ、すでに子供ではない私が今感じたことなんですけどね。

それとオモテさんの言われるように時代が古いということ、あるいはそこの部分まで漫画家が描きたくても少女マンガとして描かなくて良いと言われたのか、あるいはハードスケジュールだったと聞くので、色々と無理が有ったのかも知れない。
ましてやファンの声も色々と取り入れられ、オスカルを描く上での苦労は大変だったと思います。
あの時代、池田さんが描かれた他の作品の登場人物の心の動きやぶつかり合いは子供心にものすごくしみるものがありましたから、描こうと思えば描けたでしょう、きっと。
(実は、その後のジャムばらを読んだとき、オスカルの心の動きが描いてあったのでちょっと嬉しかったんですよ。もし私に弟が…みたいに遠い目になっていたところとか)

私はアニメのリメイクについてはほぼ賛成ですが、もし原作に沿うとしたら、このあたりのオスカルの心理描写は必ず書き込みされる部分だと思います。
多分、原作に沿ったリメイク希望の人も、一言一句原作のままで場面レイアウトもまったくそのまんま・・では、ちょっと寂しいと思われるんじゃないかな?まったく同じならアニメ化する意味もないし。

ファンとしては原作オスカルの心の動き、悩みや葛藤、又は躍動感あふれるシーンを超希望!だと思います。つまり、原作の謎を解きたい気持ち、それはオスカルとはどんな女性なのか知りたい気持ち。
そしたら、やっぱりオスカルの内面を具体的に描かなきゃいけない。
とすれば、今ファンが謎に思っているオスカルの心の動き、そういうものも謎のままではなく、制作者はオスカルの言葉や態度に置き換えてきちんと語らなきゃいけないでしょう。
だけど今までファンが語れずにいるものを、もしも誰かならきっと原作通りに、原作のイメージを損ねずに描いてくれるはずだというのなら私は無理だと思います。
それはあまりにも他力本願だし。

そういう「原作オスカルの思考を考察する」という風なファンのご意見を単に私が知らないだけかも知れませんが、先に描いた「アンドレの失明を知る時期」「衛兵隊転属の真意」「ジャルジェ家の体面」あるいは「オスカルの寝返りはやがてアントワネットを追い込むことになるのが予測できたはずでは?」などなど、実際、オスカルが悩まなきゃいけない「謎」の部分をどう処理するのか?
私が今ちょっと考えただけでも本当に難しい。

もしリメイクするならこの部分を「原作に沿って」という漠然とした希望ではなく、ベルばらを一番愛しているファンの側からリメイクの制作者に対して「ここはこうだ!」と提示して、オスカル像をもっと具体的な「人間」としてファン自身が肉付けすることはすんごく前向きだと思います。

原作オスカルを「すごい人だから」という抽象的な言葉で「不可侵聖域」にしてしまうより、具体的に「こういう人だ」ということを話し合うことは大切なんじゃないのかな。
……と、こんな話も以前したのでかなりしつこいですが。
またファンの中には原作オスカルを「謎」のままにしておきたいと言う方もあろうかと思うので、リメイクには賛否両論があるでしょうが。

そこで…!なんですが、実はアニメは原作ベルばらのこれらの「謎」に答えたひとつのモデルケースだったと言いたいんですよ。
ひょんなことでバスティーユまでにアンドレの失明を知ってしまい、だけどアンドレの決意を尊重したオスカル、衛兵隊転属もベルナールの言葉ではなく、自分がいたたまれなくなって自立しようとしたオスカル、出動前夜、父に謙虚な手紙を残すオスカル。
どれもオスカルが悩みながら、「ベルばらなのだからストーリー展開などについてベルばららしさが失われない範囲」の中で彼女が自分の意志で主体的に決めたことばかり。
ただし、ベルばらという枠がなければ、アニメのオスカル(もしそうなるとこの名前も変わっちゃいますが)は違う行動に出ていたかも知れません。

ひょっとしたらこれらのアニメの行動はどれも「イマイチ」と評されているかも知れませんが、実は原作の中で触れられていないオスカルの心の動きを具体的に描いた一例としての場面だと思います。
で、実はこういう場面を取り上げてアニメは「イマイチ」と評するので有れば、廻り回って原作を批判するということに私は気が付いてしまったんです。

アニメのここが気に入らないから・・というのを聞くと私は、では原作ではどうだったのかを考えました。そしたらそこには原作の「謎」があるだけで、中身はオブラートに包んである。
ならばと、この「アニメのここが気に入らない」と同レベルの「つっこみ」を原作に当てはめてみると、実は原作についても何とでも言えてしまう。
やっぱ、そういうのはあまり嬉しいことではないし、同時に二つの作品に対して毒が吐いてあるなんて、結果的にいい気持ちはしませんでした。

それと「まず原作」と言うことも聞いたことがありますが、その考えは原作を愛するという意味で尊重したいですが、私は「まず原作」の立場ではありません。
まず原作からベルばらが始まったということは間違いありませんが、今もベルばらを考えるとき、まず原作を考えたいかと言えばそうではない。
「まず原作だった」ということですが、今は「アニメを語りたい」と思う。
その中で原作も一緒に反映できたら楽しいし、何らかの具体的な発言が原作ファンの人たちの創造力の刺激になったらそれはそれで良いじゃないか?って。

でまぁ、話は戻りますがベルばらが何かのメディアで(アニメや映画や小説)リメイクされるときは、もう、ベルばらファンのために作られるのではない?!と言うことです。
特に商業ベースに乗せるとしても、多くの層を取り込もうとしたら現存するファンだけではなく、原作ベルばらを卒業した人や新たにファンになる若い人を対象にするんじゃないかと思うのは私だけかなぁ。
やっぱリメイクするならファンがさらに増えれば良いなと思うし。

としたらリメイクの作り方は今風になるだろうし、先ほどの心理描写は高い確率で出てくるし、「少女マンガ」としてあり得たオスカルとアンドレの関係が、今、求められている男と女のあり方として成り立つように変更される可能性は高い。
だから、「原作通り」というリメイクはやっぱり難しい……という結論です。

でもリメイクがもしあったとしたら新規のファンが又増えるだろうし、そんなときに、データとしてベルばらを語ったものを資料として蓄積しておきたいな、と……。
でまた、読んだ人がそれに対してどう考えるかはその人の自由ですが、やっぱりベルばらは良い作品だということ(この対談の場合は特にアニメ版)を、古いファン(何度も失礼)がデータとして公開することがプラス効果になるとも思う。
そういう意味で対談をして良かったなと実感しています。
何かリメイク論になっちゃいましたね?

あ、いや待てよ、まずこんな怒濤のごとき対談を、資料として読む人がいるのかどうか?という所からしてアヤシイですが、無いより有った方がマシという程度に考えて、どちらかというと対談を
楽しんできましたよ。・・なっ・・長い〜!!


【あわや?この長い対談もゴールか・・というところで、肝心のオスカル絶命シーンを語っていないことに気づいた、とりとん&オモテ(^^;)残りはアニメオスカルの崇高なる生き方と死に方を語る事にして続く・・夏までには終わるかな?(笑)】


とりとん・・アニベルはオスカルの死を語り終えた後、静かに終わりました。
オスカルの生と死を語る・・。この重い課題を前にしばし立ちつくしてしまった私たちでしたね。
自サイトの解説でも、彼女の絶命したシーンについてはかなり口が重くなってしまうので、彼女の死を考えることはここはひとまず宿題にしておこうかなと思います。
そしてオスカルの生き様については色々と語ってきたとは言えいまだ語り足りない部分がありますが、彼女の死を考えるイコール生き方を語ること・・だったんじゃないかな?と思うので、今までの対談から総括して、今、この場でキーワードだけを残したいと思います。

オスカルの孤独、意志、そして信じる心。

パンドラの箱を開けたら最後に希望が出てきたように、アニベルのオスカルの死に対して言葉に出来ない虚脱感を感じたものの、それを越えた先に何かしらの希望を彼女が残していったのではないかと思います・・・いや、思いたい!
その何かを感じることこそ、私たちの心の中でオスカルが永遠に生きるということなんじゃないかなと。


オモテ・・原作至上主義ファンのアニメ迫害が許せなくて始めた対談だったのに、気が付いたら自分自身の「心のアニメオスカルを探す旅」になっていました(苦笑)
アニメ批判からアニメベルばらを擁護し、アニメ批判の定説を覆す・・という目的が達せられたかどうかは分かりませんが、私の中のオスカルを探す旅(=アニメオスカルの原作通りの死を受け入れる)は目的地にたどり着けたと感じています。

あ〜う〜、とりとん様!ラストのラスト・・オオトリを任せて頂いて有り難うございました!実はこれを書いているのは、この一つ前の自分のパートを語ってから、数ヶ月は経っています。この間、実は、おもて咲はベルばらを廃業して、ペンネームを変え別ジャンルに転向してしまいました。対談もそのまま、夜逃げする様に、立つ鳥跡を濁しまくりで、ベルばらから離れました。
他のことは何の心残りも無かったのですが、この対談をしめないまま、廃業してしまったことをずっと心苦しく思っていました。今読み返してみると、危なっかしい事をボロボロ言ってますが、熱意とやる気も溢れる程ありました。
この対談をやっていたときの気持ちは嘘偽りのないモノでした。
今回、とりとんさんことなーかるさんが、この場所を提供してくださり、「対談」を復活してくださいましたことを、心から感謝致します。本当に有り難うございました。

ああ〜!スッキリ〜、これで心おきなく私のベルばら人生に幕を閉じることが出来ました。今、私が心の中に思い浮かべるオスカルは、憂いを帯びた切れ長の目を少し細め、おだやかに微笑んでいます。アナタに出逢えて良かったわ〜!!とアニメオスカルに伝えられるモノなら伝えたい。メルシ〜オスカル!(笑)


とりとん・・実のところこの「アニメ対談」を考案し、世に送り出したオモテさんの行動力には頭が下がる思いです。
対談はこれにて第一幕は終了致しますが、アニメ版ベルばらを語りきったかと言えばまだまだ全体を見通すにはほど遠く、私の頭の中では永遠に続く課題であります!・・・と言ってもおおげさではありません。
オモテさん、今回の対談はこんなに長くなるとは思わなかったけど本当に面白くて、一アニベルファンとしてすごく有意義なものでした。私こそ色々とお世話になりありがとうございました。
またどこかで機会があればぜひ対談しましょうね!


最後に、この対談におつきあい下さり、時には叱咤激励&熱い気持ちを書き込んで下さったオンリー掲示板の参加者さんや陰で応援して下さった皆様にオモテ咲&とりとんより厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。

対談者:おもて咲
      とりとん


対談終了:平成14年10月20日


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