アニメ対談2
以下は平成13年7月1日更新

とりとん・・会えない時間が愛育てる?というアレですね!
(うっ、ふるぅ〜)
衛兵隊に行ってから、やはりくどいですが、オスカルとアンドレがそれぞれ独立したなーと思うんです。
原作を読み返すと、アンドレはジャルジェ父の命令で衛兵隊に入ってますね。光と影を体現しているんですねー。
どっちが良いかではなく、どうしてアニメでここを変えたかなのですが、二人の関係とか、オスカルの今までの生きてきた環境とか全てが壊れて再構築されていく過程をアニメでは楽しめるんだなーと。
特に恋愛という部分だけではなく、オスカルの生き方そのものとしても。

淡々と静かに流れていく衛兵隊の時間経過って、結構好きなんですよ。
水たまりが出てきて雨上がり、とか、落ち葉が散って秋が来たな、とか。
対談も淡々と流しているので(いや、濃いかも?)色んなエピソードを取りこぼしているような気がすごくするんですが、とにかく先へ進みます。

隊の中の信頼関係がそれなりに落ち着きを見せたのが「嵐のプレリュード」のゴタゴタ以降でしょう。
私はこの回までが比較的衛兵隊編での平和なエピソードと見ています。
この後からはだんだん世相の暗い話になってくるのでオスカルとアンドレの関係も物語の表舞台からなりをひそめてしまいますし〜。

アニベルって、単に「オスカルとアンドレの悲恋」というのではなく意外とオスカルの生き様に重点が置かれていると感じているんです。
物語の主題として、私は二つの柱を持っていると確信してますし。
簡単に言うと「オスカルという貴族に生まれた女性の生き様」と「オスカルが女として自覚していく過程」の二つなのですが…。
この二つ目にあたる「二人の恋愛」は、結構、それぞれのファンが遊べる部分なんですね。
だから、もっと恋愛場面としてのバリエーションを見てみたいと思うものだし、自分の理想とする恋の行方・結末を当てはめてみたくなると思うんです。
たとえば、バスティーユを越えて幸せになる二人とかは人気ですし、原作でのアンドレの献身ぶりが良いなと思えば、それが固定観念になって、他の解釈は頭に入りにくくなる。
ひょっとしてO&Aの恋愛については、ファンの一人一人が自分の想像する恋愛模様にインナートリップしていって、実際にベルばらという物語の中で語られている恋愛って、実のところ追求されずにヴェールにかかったままのような気もしています。
確かに他人の恋愛ゴトなんて追求しても楽しくないかも知れないし、それなら自分なりに解釈していって妄想する方が楽しいですしね。
そういう私も、自分なりの解釈が入ってしまうとは思うんですが、アニベルの二人の状態は「嵐の…」の回の段階では「うやむやな関係」としておきたいと思います。


オモテ・・ファン心理としては、O&Aのもっと親密なシーンを見たかったぁ〜〜!
とは思いますが・・ストーリィ的にはアレで良かったんだと思います。
結果的にあのO&Aだから、もっと幸せそうな表情が見たかった〜と思ったわけですから。
原作ではアンドレとの恋愛を通して、オスカルは自分を見つめ直した・・という描写がされていますが、アニメオスカルは、ストーリィの随所で、幾度も自分自身の在り方を問い直しています。
アニメオスカルには、恋愛を通して自分を再認識する作業が必要なかった・・というのもO&Aの恋愛部分がはしょられた原因ではないでしょうか?

さて・・なにやらメンタルな面ばかり語ってしまって、肝心な?エピソードをずいぶん取りこぼしているような気がして・・ああ〜もったいない(^_^;)
というわけで、ここからは落ち穂拾いよろしく・・エピソードを取り上げましょうか?
32話の「嵐のブレリュード」では・・前奏曲・・なんて生やさしいもんじゃない目にO&Aが合ってましたが(苦笑)
私が気付いたのは、オスカルの認識の甘さでした。この期に及んで、あぶないパリへ金ぴかの馬車で乗り込んでいる。アランでさえが「アブナイなぁ・・」と考えていたのにです。
オスカルのために世の中の流れに気を配っているはずのアンドレさえ、何も感じていなかったんでしょうか?
(1個小隊くらい引き連れて行けば良かったモノを・・ラサールの釈放のお礼なら、喜んで付いていく者がいただろうに?)
半死半生の目にあった直後に、たたみかけるようにディアンヌの死、平民の力により開催が決定した三部会・・オスカルは言葉もなくだだただ傍観者としてたたずむだけ。
映画版オスカルじゃありませんが・・「違う人間」という言葉が脳裏に浮かんでしまいました。
アランの部屋をたずねた帰り・・O&Aはどんな言葉を交わしたのかな?ーなんて想像するしかないのですが。このあたり・・(というかアニメの、特に後半かな?)オスカルのモノローグが全然ありません。オスカルが何を考えているのか想像するしかありません。よーく見ると表情を変えているオスカルの瞳に、なーんか、出崎監督の「自分で考えろぉ〜!」ってメッセージが隠されているような気がしてなりません(^_^;)


とりとん・・二人の人間は光と影という一心同体ではなく、あくまで独立した者同士。これもまた良いんじゃないかと思います。
「ベルばららしさ」を定義すると、オスカルは特別な人、オスカルとアンドレの恋愛は18世紀最大のド恋愛として捉える風潮がファンにはあります……よね。
生まれる前から恋に落ちるとわかっていたという感じのセリフをアンドレも言ってますが、実は前世からの取り決めだったという前振りがあるのでもなく、何代か前の取り決めという展開は「はいからさんが通る」の十八番ですしねー。

アニメでは私が思っていたあらゆる原作らしさという物がガラガラと崩れたんです。
若いときは、それが嫌だったんですよ。
何が原作らしさというのはあくまで感覚的な物なんですが。
もしかしたら、崩れていったのは私が勝手にベルばらを自分にとって都合の良い物語に解釈していた事かも知れない。
そして崩れた後、残った物の中に、実は池田さんの訴えていた物があったのかも知れない。そんな風にも思っています。
今は、ここまで崩れたのなら、とことん崩してしまう方がいいし、その後で私自身の中にあるベルばららしさを自分でもう一度組み立て直せばいいのであって、それもまた楽しい作業じゃないかと思うようになりました。
一度ベルばらから離れてたのに、再びアニメで再燃したというのは、自分自身の中でベルばらを再構築できたからじゃないかとも思います。
この対談も、書いている解説も、私にとってはその作業なんですよ。
アニメが原作通りだったら、それなりに納得しつつ、それなりに楽しんだかも知れない。けれど、このアニメ版はここまでベルばらを深く見つめる結果になったのだから、こんなに崩してくれてありがとーという感じです。

赤い糸とか、切っても切れない絆とかは、あくまで理想なんですよね。
現実の世の中では何かと裏切られたり傷つけたり、なかなか強い絆って難しい。
それでも信じられる物を「ベルばら」という架空の物語の中に見つけだしたいものです。
この二人にそれらがそなわっていたら良いなというファンの願いももちろんあります。
確かに、オスカルとアンドレの絆って信じたいものです。
でも結局、現実には「絆」って自分たちの努力で作っていくものでしょう?
当然、私も小心者なので偉そうには言えませんが、ホントーに、絆を継続させるのは生易しいものではない。絆は知らぬ間に妥協とか諦めにすり替わってしまう。
オスカルとアンドレが絆を持ち続けるには努力がいるはずだし、もしアンドレがどこかの時点でオスカルを諦めていたら、ジ・エンドだった訳で!!

でね、そういう努力みたいな物をアニメで感じるんですよ。
(長い導入だった……)
お互いに気を配ったり、時には一線を引いて接したり。
それは互いが絆を継続させようとする努力のたまものだったんじゃないかって。
イコール「思いやり」って言えばダサいかも知れないですが…。
だから二人の恋愛の中にも、二人の世界に閉じこもることだけではなく、もっと根本的な、人との関わり方・接し方みたいな物を感じるんです。
そう言う意味ではこの二人は心が強いっていうか、絆を大事にしていたんだなって。

脱ベルばら宣言と言うんじゃないですが、二人の恋愛を考える時…
オスカルという一人の女と、アンドレという一人の男が、同じ時代に生まれ、そして出会って、互いに惹かれあった。
というシンプルなものでいいんじゃないかと。
ラスト近くでオスカルがアンドレに切々と語りかけるシーンがありますよね。
「生まれてきて、出会って、そして生きて、本当に良かったと思いながら…」って。
本人たちに取れば、自分たちの関係はごく自然で、ありきたりで平凡な物だったはずなんですよ。
ここまで、シンプルな状態に私の頭も一旦白紙に戻し、そこから二人の恋愛を考え直してもいいかな、と。

ところでエピソードですね。
オスカルがアンドレに傾いた自分の気持ちに気付くシーンが出てきますが、これってアニメ独自の展開に差し替えるのが難しいほどベルばららしいワンカットですよね。
ある意味、キンキラ馬車で出ていって襲われたのは、ファンへのサービスシーンではないかいな?と思うんですがぁ〜?
だけど、その後、雨のサンルームですごく穏やかな目をしたオスカルが回想していたシーンは良かったかなー。
あっ、その後、アランのアパートへ行く二人も無理なく自然でいいなー。
アパートの階段でおばさんにクレームをつけられて、思わず顔を見合わす二人なんてまるで友達感覚。ひょっとして、世がこのまま何とか落ち着いてしまったら、二人はこのあいまいな関係のままで、ずるずるやっていたんじゃないかと心配します。

【とりとん&オモテ・・O&Aの運命の絆を考える】

オモテ・・生まれて、生きて、恋をして・・うーむ、いい言葉ですねぇ(*^_^*)
オスカルのそのセリフ。なんか前向きで。
私もアニメに心酔しだした頃から、O&Aのドラマチックで運命的な恋愛に、なんかこー違和感感じていて。この対談で、いえ、たった今・・確信したような気がします。
O&Aの愛は偶然の産物ではなく、O&Aの努力によって生まれたって?(笑)

こうして見るとアニメオスカルはシンプルに?シビアに?考えてたんですね。
運命なんていうと、偶然みたいで、自分たちの努力も頑張りも・・何も関係ないみたいだし。
じゃあ、たまたま引き取られてきたのが、アンドレじゃなく別の男の子だったら?
しかもブーサイクな?(爆笑)
でも・・そう言えば、アンドレは「生まれる前から・・」なんて言ってたなぁ。
そっか、アンドレの方がロマンチックだったのかぁ?女は現実的ですからねぇ(笑)
ま、それと、アンドレはずっと片思いをしてきたから、運命を希望の一筋に考えるのも無理ないし。
オスカルには、アンドレとの愛は、自分が一生懸命生きてきた証に手に入れたもので・・それを運命と片づけられたら・・嫌かもしれない・・ははは。

最近手に入れた某資料では、アニメ後半監督の出崎さんは、O&Aを、悲恋に散る運命の恋人達・・にはしたくなかった?みたいなことを書かれてましたね。
普通に男が女を愛し、女が男を愛する姿を描きたかった・・みたいな?
なんか・・このあたりが、前半監督とも、私たちファンの従来の観念とも違ってたんだーと・・その資料を読んで感じました。
その資料を読んだとき、オスカルとアンドレを女と男ととらえるなんて・・
そんな当たり前なことなのに、私には新鮮に感じたんです。
が・・実は、出崎監督演出のアニメ後半に惹かれたときから、ニュアンス的には感じていたことで、こうして対談して自分の気持ちを突き詰めたら・・なぁーんだ、私って、そんなことを考えていたのねと認識したわけです(笑)

暴漢に襲われて「私のアンドレ!」で、自分の気持ちに気付いたオスカルですが・・うーん、
原作が一番の頃は、なんてロマンチックなエピソードだ!と思ったものですが・・
今となったら、もっとシンプルに、ひっそりとしたモノでも良かったかなぁ・・なんてね(苦笑)
ブイエ将軍のお礼に行くから「私に付き合え」といった、何気ない一言の方がいいなぁ・・
なんていったら、物議を醸すかな?
それに・・アニメオスカルだったら、やっぱりフェルゼンを助けに、また飛び出しちゃったんじゃないかな?なんて思うのですよ。それは、フェルゼンがまだ好きだから・・というのではなく、ただ人道的にで。結局、全ては自分の不注意から起きた事ですからねー。

はっ!?・・なにげに、だらだら語っちゃいましたが、私・・とんでもない仮説をぶちあげてませんか?(爆笑)


とりとん・・オスカルとアンドレと言う前に、ただの男と女。
私も最近、その某資料を読んで、これだって思ったんです。
そう、ごくシンプルに考えたらいいのだと。
ベルばらの二人だから特別なんだと、肩に力を入れるのはやめたのだと。
おもてさんが前々から、二人の恋愛を「運命」で説明づけてしまうのはどうだろうか?と言われていましたが、私も大きくうなずいています。

惹かれあうことに悲劇はない、出会ったのが激動の時代だったというだけで。
それも運命だといえばそうなんですが、「運命」とはかくも便利な万能熟語なんですよね。
何か起きそうなのも、何かが起きても、全て運命だったで片づけられるし。
「運命」という言葉は絶対的な決まり事として使いますが、こう言ってしまうと、自分の人生が特別な物に見えるんですよね。何か大きな力に動かされているって。
そりゃあ、自分で努力もしないで運命にまかせるのでは物語になりませんが、むしろ、人間が何でもかんでも不可能を可能にしていって、どんどん天狗になってしまわないように、いましめとして「運命」という概念が必要なのかも知れません。

だけど、アニメのオスカルとアンドレには、二人が互いに相手を思いやっている気持ちを評価してあげたいと個人的には思うのです。
だから私も、彼らの微妙なやりとりを「運命」の一言で片づけるのが惜しい!!
それがたとえ、平凡なことであったとしても、毎日を地道にこなしている二人に私は共感したのだから。
……「運命」は効果的に使うと良いスパイスなんですが、使いすぎると元の味がわからない?

精一杯やって、その上で自分にどうしようもできないことは「運命」と思ってやり過ごすのが生きていく要領でしょうが、オスカルの場合、自分の命の先がほとんどない上に、すでにハッピーエンドが無かったわけで、報われない人生の先に、何を信じて戦うのかという…一種の虚しさが…彼女が語らずに逝ったおかげで…視聴者の心に未消化のまま残ってしまうんですよ。

暴徒に襲われたオスカル、その後、すっくと立ち上がっていたから、私も人道的な理由でフェルゼンの後に続いて出ていきそうなものだと思いました。
彼を信じて任せたのかも知れないけれど、下手したらあのままアンドレは縛り首だったわけで、せめてアンドレを助けるために飛び出すとか?
でもそれも無理だったのかなぁ。後でかなりの打撲傷だとばあやも言っていたから。
しかしついでに言いますが、結構、言葉を選ぶアニメオスカルにすると「私のアンドレ」はかなり過激な発言だと思うんです。
例えば、必死で「アンドレが!アンドレが…!」と叫んで暴れるだけで、勘のいいフェルゼンならピンと来るはずですし、オスカルの必死の形相を見ただけで「君のアンドレは私が助ける」というセリフを続けられると思うんです。
ちなみに、ここのフェルゼンの表情がものすんごく良いんですよ。
オスカルが自分に向けたのとは違って、まっすぐにアンドレを愛しはじめている。
フェルゼンの目が祝福していているんですよー。
それもアントワネットとの恋の行方も見通せない状態だし、オスカルとは色々あったフェルゼンの事だから、せめて君たちは幸せになって欲しいって。
そいで、余計なお世話ながら、オスカルはこの件についてフェルゼンにちゃんとお礼を言ったのかなーって疑問に思っているんですが、普通、ばつが悪くて顔を会わせにくいですよね。せめてお礼の手紙かな?
翌日にアンドレがフェルゼンの無事をオスカルに伝えていて、その次には三部会の訓練前に、これまたアンドレが「スウェーデンに帰国した」と彼女に伝えているだけで、オスカルとフェルゼンのその後の出会いは描かれていません。
ひょっとして、オスカルとフェルゼンがこういう形で「和解」し、わだかまりが消えたあのサンタントワーヌ地区の路地が、二人の今生の別れになったのかな……と。
そう言う意味では、フェルゼンとオスカルの事が決着したのがこのシーンであると言えるのなら、必要な場面でしたね。


オモテ・・運命論まで持ち出して・・暴漢事件でここまで盛り上がるとは思いませんでしたねぇ(笑)
フェルゼンとオスカルはこれが最後で出会うことは無かったんでしたね。
そう思うとオスカルとフェルゼンの縁も、濃いような薄いような・・。
18で出会って約15年?ですか・・平和な時代なら、案外男と女の友情が生まれたかも知れませんね。
友情といえば、フェルゼンとルイ16世も・・もしかして、あんな形で出会ってなければいい友達同士になれたかも(苦笑)
ジョゼフの容態を悲観して礼拝所で祈るアントワネットを見つけて・・傍に行こうとしたフェルゼンが、ルイ16世を見てハッとして、姿勢を正しますよね。その前をルイが「前を失礼しますよ」とか言いながら通って行くがシーン好きです!
それぞれに立場があって、でも、ルイはアントワネットを、アントワネットはフェルゼンを
愛している。それぞれみんな譲れない想いを抱えている。
某資料では・・出崎さんが、ルイが甲斐性なしだからアントワネットがフェルゼンを愛した・・みたいな安直な関係にしたくない・・と書いてましたが・・。
(原作では仕方なかったんでしょうね。読んでたのが、小さい女の子達中心だったんですから。)
好きなら好きでいいじゃないか!?みたいな?(笑)
これもあれでしょうか・・フェルゼンとアントワネットの恋愛を、異国の貴公子と悲劇の王妃の枠にはめたくなかった・・ただ惹かれあった男と女にしたかった、出崎さんの思考が反映されてるのかなーなんて思ったりして。

ルイがアントワネットと夫婦揃って祈りはじめた姿を見て、フェルゼンはその場を去っていきますよね。
あとで聞いたら?その場だけじゃなく、フランスまで去っていってるじゃありませんか!(苦笑)
セーヌの流れのように静かに穏やかにアントワネットを見守り愛したい・・といったフェルゼンですが・・
ルイがちゃんとその役割を?果たしているのを目の当たりにしては・・フェルゼンも退場せざるを得ないでしょう。実際、次に登場したのは(アラン達の話に寄れば)ルイも困り果てて、誰かの救いの手が必要になったバレンヌ逃亡計画の時ですからねー。

そしてジョゼフはたったの7才でこの世を去っているし。この時代、子供って無事に育つ事って難しかっただろうけど、父と母のいいとこだけを受け継いで生まれたような、この王子がもう少し早く生まれてて、病気なんかしてなかったらフランスの歴史は変わってたかなぁ・・なんて思うのでした。


とりとん・・「前を失礼しますよ」は、私が夫だっていう意志表示に見えますねー。
あんなに穏やかにフェルゼンにケンカ売るなんて、さすが王様の貫禄!!
気の毒だけど、フェルゼン出る幕なしって感じでした。
結局、居場所を無くして故郷へ帰っちゃいましたが、その時はオスカルもアンドレから報告を聞いて「・・・」だし。
オスカルってば、ちょっと前まで好きだった男でしょー??

でも何と言っても一番、自己中心なのはやはり女王様ですね。
自分が寂しいときはフェルゼンにすがり、ピンチにオスカルを盾にし、ここ一番では夫にもたれかかり、その時その時に誰かが救いの手を差し伸べているから良いものの、あれでは廻りは振り回されっぱなしです。
ジョゼフの病気の責任を自分が背負うのならいいんですが、責任の半分を負わされたフェルゼンの立場が無いですよね。
せめて、悪いことをしていると懺悔するのなら、フェルゼンに対して、故郷へ帰るように勧めるとか、自分からアクションを起こすべきでは??
フェルゼンはそれでも約束通り、ぎりぎりまでアントワネットを守ろうとしているのに、彼女は果たしてフェルゼンのことを思いやっているのか疑問でした。
ちなみに祖国へ帰るフェルゼンに対し、アントワネットがどう対応したかも謎。
第一、フェルゼンとアントワネットの関係はどこまでだったのか、推測するしかないですが、あのアントワネットの猛反省ぶりからして原作と違って、かなり深い仲だったのかも知れません。

ルイ16世はあまり人柄とか描かれずじまいなので多くは語れませんが、妻と共に運命共同体として結構しっかりしているように見えるんです。
あれならアントワネットも夫として尊敬できたはずなのにって思うし、どちらかというと、ルイ16世はアントワネットを妻として愛していたんだろうかって。世継ぎを産んでくれたから良いようなものの、彼女の心は外国の貴族のところに行ってしまっているなんて、彼のプライドずたずたですよ。
なら、彼は憎しみも愛情も越えたところに到達して、その上で彼女を妻として愛していこうとしたのかどうか?
で、そこら辺のルイ16世の気持ちを、ひょっとしてアントワネットは気が付いていたのかどうか?……この夫婦の謎です。

一皮むけば、単なる男と女の色恋沙汰、果てはキツネと狸の化かし合いかも知れない世の中に、何かこうやって見ると、みなさん、人生どこかで焦げ付いて、なかなか生きることを謳歌できていないようですね。

そして、こうやって書いていると、やはりオスカルとアンドレのことを書いている方が楽しいと思います。
この二人のほうが相手に対する丁寧な気持ちがよりはっきりと描いてあるんですよね。
後半に主役から完全に外れたアントワネットたちについては、あまり良くも悪くも書きにくいと言う気がします。

ジョゼフはあまり語りたくないなぁ。
かなり前半で撃たれて死んだ子もいたけど、その子もあわせて、架空の物語って、時にはストーリー展開のために、情け容赦なく無差別に人が死ぬんですよね。
あんなに壮絶に生きたオスカルですら、生きていたいと言うほどの喜びも知ったのにって思うと……虚しい。


オモテ・・後半の主役は言ってみれば、世相?革命??だし、O&Aのことすら周辺の出来事で、O&Aはコマのような扱われ方だったから、アントワネット、フェルゼン、ルイの関係が謎のママでも、いい方だったんでしょうね。
ほら・・事故モノのスペクタクル映画?によくあるじゃありませんか?事故が起こる予定になってる飛行機とか船とかビルとか・・に、吸い寄せられるように集まってくる、それぞれ事情を背負った人たちをカメラが狙う手法・・っていうんですか?
その中で一番長く写ってて、最後まで生き残っているのが人間の主役かな?・・というやつ(笑)
アニメ後半はまさにそう言う感じがします。
雨の中・・議場の警護をするオスカルが、疲れからか立ちすくむんですが(その直後吐血する)そのときに「三部会が成功するように議員と機会を守るのが私の役目」とオスカルが言ってるんです。
決して・・自分が三部会を成功させる・・とは思ってないようでした。

原作連載当初のままアントワネットが主役だったら、革命の嵐の中・・次々と去っていく、オスカルは側近の一人で・・アントワネットは悲哀を背中にしょいつつ、真の女王に目覚める・・とゆー、神々しい物語だったんですよね(笑)
革命を貴族側から描くには、こうしてアントワネットを主役にするか、アランやベルナールのような訳あり貴族?を中心に持ってくるしか、ドラマとしては成り立たないと思います。

最初のほう〜〜〜でいいましたが、オスカルほど主役に向いていないキャラはないんです。
オスカル自身の物語ならいいですよー。でも、ほとんど順風満帆に革命直前まで人生を送ってきたオスカルを取り上げても・・ドラマにはならないでしょう。
先にたとえた、事故モノスペクタクル映画で・・そうですね、最近ではタイタニックですか?(笑)
で言えば・・過去の重責も、将来の不安も何もなく、人間もできてて、綺麗でカッコイイ人物じゃ〜映画タイタニックでは存在出来なかったでしょう。
アニベルは、沈没する巨船タイタニック(革命)に代わって、ローズさん(オスカル)を主役にしたようなモノ・・といっちゃあ、乱暴でしょうか?(爆笑)
オスカルという人物が魅力がなくて役不足・・といっているわけではないんですよ、決して!
特にアニメオスカルには、もっと適任の役?位置??が合ったんじゃないかと思うんです。
あそこまで壮絶に生きて死ななくてもいい適役が・・と思ったら、なんか悔しいというかー悲しいとゆーか。

三部会ではロベスピエール達が一部の貴族と僧侶の合流に力を得て、独自に国民議会
を立ち上げてましたが。ここにオスカルが存在感を示す余地はありません。
わずかに、議場閉鎖を命令したブイエ将軍に抗議する・・というシーンがありましたが、あっさり却下されている。これって、凄くリアルですよね。
社長の命令を伝えた課長あたりに、現場の主任が抗議するとこんなもんでしょ?
相談された現場の部下アランが「仕方ないでしょ、給料貰ってるんだから」と返したような、その直後のシーンも、凄くリアル。


とりとん・・確かにおもてさんのご指摘通りですよ!
オスカル中心では革命は乗り切れません?!あ、いや、冗談抜きで。
アニベルは途中で貴族側から民衆側へ視点が変わったので、ジャンヌのような迫力は平民にしか発揮できないし、貴族として意地を貫くのはアントワネットにしかできない。
そもそもベルばらという物語の基礎は「貴族社会」だし、そこで生きる人たちの生きざまが中心である以上、沈むタイタニック号のように、ベルばらの主役はこれから栄える平民ではなく滅んでいく貴族側なんですよね。

ただ、貴族側にいるアントワネットやフェルゼンは後半にだんだん出番が無くなり、感情移入ができない人たちになってしまい、ワケあり貴族はしぶい脇役に徹している。
頼みのオスカルは負け組にいながら、勝ち組の応援?に行ってしまうし。
主人公不在という形で、群像を描いたと言ってしまってもいいかも知れません。
絶対というものは何もない。敵・味方に別れた双方の生き様を描くという意味で、群像ものは私は結構好きなんですが…。

薔薇は美しく散るという主題歌のタイトルとは違って、実際オスカルがやったのは裏切り行為であり、華々しいとはほど遠いんですよ。
自分の主人アントワネットに、まぁ言わば剣を向けることになるのだし、民衆にしてもオスカルは信用できない敵だし、どちらを向いても悪者にしかならない。
でも、本当にオスカルの寝返りは仕方ないと思うんです。
身分制度が古いものになってしまったことに気が付き、自分がさも当たり前のように、誰かの犠牲の上に恵まれていたことに気が付いてしまった後では、オスカルが何かしなくてはという気持ちになるのは当然です。
と言うか、普通なら何かしなくては!と思うだけで、現実は色々考えて、やらずに済んでしまうのが、オスカルは本当にやってしまったという感があります。
それが後半のストーリーをオスカルが引っ張っていける唯一の方法だったんでしょうねー。

後半を見ていくと、原作ではバスティーユまでは、オスカルが革命を説明してくれています。
アニメでは後半、オスカルがストーリーテラーの役目をしていないので、彼女の沈黙が、いかにも身動きできない立場を物語っていますね。
民衆が盛り上がるさなか、ポツンと独りいるオスカルが何度も描かれています。
人々の盛り上がりを陰から見守り支えるだけで、中にはとけ込まない。
まるで愛する人をそっと見守る誰かのように…
…って言うと、もう彼しかいません。
結構、この二人は似たところを持っているんですねー。
世相について二人がどう語ったかは全然描かれていない部分ですが、意外と情勢については触れていないかも知れません。
それは仲があまり良くないからではなく、触れたところで何もならない、互いに心配事には相手を巻き込まずに置こうとしていたのかなーと。

オスカルは時にすごく厳しい顔をして、独り何かを考えている。
この時、自分の体の具合とか、世相についても最悪の事態を想定して、何かをせねばと決意しているようでした。
それと、アンドレもベルナールの集会に行ってましたね、それもわざわざ聞きに行っている。本当は仲間に入りたいのかも知れない。
でも、彼はそうしない。
二人は一個人としてバラバラに行動し、別々に考えている。
実はアンドレとオスカルにも別の世界があるんですね。身分も違うし、一緒にいても生きてきた視点は違うはず。
ついでに言うと、オスカルは貴族側と接触し、アンドレは平民側と接触している。
もしかしたら、この先の動乱でオスカルとアンドレの考えが食い違い、たもとを分かつことだってあるかもしれないのに。

そんな二人が、実はいろんな壁を越えて信頼をしあっているというだけで、何かホッとするんですよ。あれだけ別々に行動しているけど、一緒にいる時は違和感なく自然に接しているし(毎度お邪魔なお目付役のアランも一緒ですが!)、多分何か問題が起きてもうまく乗り越えるだろうって。
今更ながら思いますが、アニベルの二人のやりとりが地味でよかったと。
男女の仲については、不器用で、普通すぎるほどの二人のようですから、どうもドラマチックな盛り上がりが似合わないんですよ。
やはりクソ真面目すぎるオスカルのために、「仕事上」という形で一緒に居られるように手順を踏み、衛兵隊に潜り込んだアンドレが一枚上手ってとこでしょうか。

あっ、ところでどこまで話は進んでましたっけ?
三部会前にアランがひょっこり帰ってきましたね。
古巣へ戻る気持ちになって、ちょっと吹っ切れた感じが頼もしいです。
それと「王妃になり損ねた」発言ですが、あれをアンドレの前で言ったオスカル、どういうつもりだったんでしょうね?
アンドレもリアクションに困りますよ。
一応、自分に「王妃」という立場を仮定するって事は、女性として誰かの妻になることでしょ…。
アンドレでなくても、そういう事を想像するオスカルを目の当たりにしたら言葉をなくして固まるような気がします。


オモテ・・いきなり話はそれますが・・私、アニメの主題歌ってあんまり好きじゃないんです!?
ああ〜ついに言ってしまった〜〜(^_^;)
リズムはけっこういいんですが・・歌詞がなんだか納得できないんです。まるで、オスカルが
「自分は特別だから、普通は似合わない」って言ってる見たいでしょ?
なんかアニメオスカルには(特に後半には)全然似合わない気がします。
「王妃になり損ねた」発言も、ほんのジョークのつもりだったんでしょうが、合いませんね
たしかにアニメオスカルには(^^;)
好きだ・・といわれただけで、結婚、王妃・・を連想できるほど、アニメオスカルは柔らか頭じゃないでしょ?なんかもっと真面目に切り替えしそう(苦笑)
後半オスカルは、原作のオスカルとは大きく違う思考や思想を持って行動していますが、やっぱり踏襲しなくてはいけない部分があるんですね。当たり前だけど。
議場への入場制限をして、平民議員に嫌がらせをするシーンがありましたが・・
アニメオスカルはここでも、抗議したって一現場主任としてはどうにもならない事が分かってて、入場の指揮を執る大佐に詰め寄ります。
その大佐に「君だって、命令されて議場を閉鎖した」と突きつけられてぐうの音もでなくなるんですが。
なんどもなんども・・「こんな会社やめてやる〜〜!」という場面に直面しても言えない。
原作オスカルなら、わぁ〜〜と他へ(椅子とか?)発散してましたが(苦笑)
一見、控えめで、ここぞと言うときに聞きたい言葉を言ってくれないアニメオスカルはちょっと弱腰〜に見えるんですが。実は冷静に判断してて、一現場主任として手が出せない
事態も、発想を変えて、一現場主任として解決している。
議場を勝手に開放したことを、現場警備の責任者として対応した!・・といって、ラ・ボーム大佐を煙に巻く所はも〜〜〜、ホレボレ!
凄く真面目で、ユーモアのセンスはあんましないけど(笑)・・切り返しが絶妙なので、笑えないけど妙に納得させられる・・そんなセリフをアンドレに言って欲しかったなぁ・・
なんてね。あ、「王妃発言」の代わりね(^_-)


とりとん・・主題歌は、最初からあるものなので、前半のためにあったと思います。歌詞は「オスカル絶対主役」と言ってますね、確かに。
大輪の薔薇と言うなら、やはりアントワネットのように、王族の娘として生まれ、生き方を運命づけられた女性にはぴったりなんですけど。
オスカルは自分の生き方を自分の気持ちで決めていける立場にいたのだから、薔薇と言うより、凛とした野辺の白百合かなー?
原作では華々しい薔薇としてオスカルが演じていたので、それはそれで良かったし、アニメはアニメなりに別の意味で良かったから両方楽しめて、それで良しとしています。
うっ…、でもカラオケでは歌っているとオスカルにハマれますね。
こう言うときは、原作オスカルの華々しさを当てはめてみてます。

すんません、ついでに言うならエンディングの「光と影」も今更ながら私のアニメのイメージとは違います。
個として独立した二人はすでに対等なんですよ。光と影のように互いに無いところを補い合って一心同体というよりは、いつしか同じものを共有し合っている二人と思っているので。
光と影と聞くと「サスケ」じゃん、と思ってしまう私は古いっ?!
2番の「思い起こせ、剣を置いて〜」のくだりは結構、的を得ていると思うんですけどねー。
何でも自分がしなければと、背負い込むオスカルに対して余裕を持って見守っている男性がいるんだなーって。
そこで、自分も一人の男にすぎない、君も一人の女に過ぎない、思い起こせ、原点に戻れっ、て言ってるみたいです。
「もう一度巡り会いたい、ただの男と女、素顔のままで」という歌がどっかにありましたが……。コレ、恋愛の基礎だと思うのです。
オスカルとアンドレ、「ただの男と女」説、これ絶対、良い!!

ところで、オスカルは中間管理職なんですよね。
自分の権限の範囲で立ち回ることしかできなくて、革命に関しても、命令系統に関しても実は無力。
時には怒りのあまり背負い投げしてましたが、実際の議会での進展とか管轄外での改革には触れられない。
でも軍人として生きてきた彼女はこのポジションで、世の中の変化が無事に行くようにという考えで行動していました。
いわば20年ほど、武力を扱う職業に就いて、それは色々考えて自分の生き方を定めてきたと思うんです。身に染みついたものもあるだろうし。
オスカルは何せすごいから革命に飛び込んだ人というより、武人という職業人として貫いて生きた人なのでしょう。
それって職業病〜?という疑問も頭をよぎりますが。(^^;)


オモテ・・オスカルって軍人なんですよね・・って今更なに納得してるんだ〜〜!?(^_^;)
けど、これほど軍人に向いていない人もいないですよね(苦笑)
原作のダグー大佐が、自分は貴族以外のモノにはなれない・・と言ってますが、それはそのまま軍人・・と言う言葉にも変えられると思います。
軍人は上の命令に絶対ですからね。それが、正しいか、正しくないか・・なんて、下のモノには関係ありません。言い換えれば、上の命令を聞けないモノには軍人なんて務まりません。
原作オスカルはよくブイエ将軍と衝突してましたが(苦笑)たぶん・・実際にはあり得ないエピソードだと思います。
原作連載時代、女性の地位向上の動きとか流れが強くなってきた頃で、オスカルを自分自身に置き換えた女の子達が、男性上司に臆せず堂々と対等に立ち向かうオスカルに快哉を覚えるにはよかったのかも知れませんが・・
シビアに考えると、軍隊では無理があるだろうなぁ・・と、今思います。
ですから、オスカルは普通の企業の中間管理職よりはずっと、動きにくいはずなんです。
命令にも、ブイエ将軍にも従えなければ。
なぁ〜んで、とっとと軍人やめて、ついでに貴族もやめて・・ベルナール達と一緒にやれなかったのかな・・って、そんなことしたらベルばらはなりたたない・・なんて事はつっこまないでね(苦笑)

【とりとん&オモテ・・オスカルの軍人適性論を語って逃げる!?】

とりとん・・いやぁー、ホント、軍人に向いてませんね!
うかつに「軍人オスカルはかっこいい」とは評価できません。
確かアランがケンカを売っていたのも傭兵だったし、当時はどれほど軍隊の統制が取れていたのかよくわからないんですが、しかし、軍人というからには組織の上下関係は絶対なものでしょうし、それに反発したオスカルって一体……(以下省略)
それでなくても一般の企業でもあまり反抗的な中間管理職は確かに煙たがられるものですが〜。

私も…オスカルは軍人として生きたと書こうとして違和感を感じて手が止まったんです。だから「武人」にしてしまいました。
戦闘能力を持つ人という点では同じかも知れませんが、軍人より武人の方が「組織」という枠にはまっていないイメージが強かったので。

そもそもオスカルというキャラ自身が、反体制・反組織的なキャラだと思うんです。
というか原作を読んだときに、オスカルとはそう言うキャラなんだろうなっていう思いこみがありました。
時代の流れの中で、自分の生き方を組織の中で見いだすか、又は全てに逆らってでも個人の意志を優先させるか等々、色々ありますが、オスカルはとにかく自分の意志で「変だ」と思ったことにはノーを言う。
これが当時は気持ちよかったんです。
世の中には筋が通らないことがいっぱいあるのにノーと言えない部分があっても、オスカルならノーと言えるんだということ。
特に当時の男女同権教育について言えば、同権なのに同権ではないのは当たり前という常識も、オスカルは180度ひっくりかえしてしまった。
(だからといって女尊男卑か良いかと言えば別物ですが。)

それに、男ならそれでも組織の統制が大事とばかりに自分の意志を押し殺してしまいそうですが、彼女が女というのはその点、組織に縛られていない自由人だったと思います。これは現代の感覚かも知れませんが、女性は組織の中にいても、組織を構成する一員には入れない。そのかわりにある程度自由に泳げるという感覚に近いと言えるでしょうか?

ただ、何事にも「ノー」だけではいけないので彼女自身の意志がどうなのかはっきりさせなくちゃタダのワガママなんですが…。
その辺のオスカルの意志の違いが原作とアニメでははっきり違っていましたね。


オモテ・・どうも〜お久しぶりです!お忙しい時にとりとんさんからの言い出しっぺでご愁傷様でした(^^;)そう言う私も、ここ3ヶ月くらいで、一生のうちに絶対越えなくてはいけないハードルをいくつか跳び越えてたりして・・ちょっと人生観変わったかも〜。
対談も珍しく数カ月ぶりで・・さて、何から手を着けようかぁ?と途方に暮れるばかり。
こんな時は、初心に帰るのがセオリーっしょ!?(ホントかなぁ・・^^;)
と言うわけで、エピソード解説しながらリハビリしようと思うんですが?よろしいでしょうか。
とりとんさん?

で、対談読み返してみたんですが・・あちこち飛び回ってるんでここから!って判断しにくいんですが・・そう言えば、三部会場の国民議会派を武力で排除する命令を無視したあたりが、あんまり具体的に語られてないので、このあたりから・・
今まで、何事にもはっきり「ノー」と言わなかったアニメオスカルの、ほとんど初めての完全拒否だったりしてと思うのですよ、この一件は。
アラン達にもあっさり命令を拒否されて、ブイエ将軍、銃殺の求刑はぜったい八つ当たりですよね(爆笑)
ところで、ここでの命令拒否なんですが・・オスカルは何でここで拒否しちゃったんでしょう?
だって〜国民議会派は武器を持ってなかったでしょ?平民って帯剣出来るんでしたっけ?
だったら、ここはオスカル達が出動して、その場を丸く収めれば、あんな大騒動に
ならずにすんだんじゃ??と思うのですよ(笑)
オスカルだったら、兵士に銃撃の命令は出さないし。
ここまで地道に自分の立場の範囲内で行動してきたオスカルが、急に、ハデに正義感を振りかざしちゃったようで・・なんか違和感感じるんです。
妹も母親も死んじゃったアランには、あとも先もない。アニメでは描かれなかったけど、他の隊員も似たり寄ったりだったはず。
命令拒否した、平民兵士達は窮鼠猫を噛んだんだと思うんだけどー。
オスカルの行動の意味はどこにあるんだろう?・・と、なにげにとりとんさんにふって終わる(^^;)


とりとん・・ここらあたりが、オスカルにとっても最後のターニングポイントだったんじゃないですか?
私が思うに、そもそも原作オスカルというキャラの存在意義はつきつめて行くと「王室を寝返ってバスティーユ攻撃の突破口になる」ところだと思います。
後日、原作者の池田さんが何かの談話で「バスティーユの場に衛兵隊の兵士たちが加わっていた」と言われていたように、何かの事情で国王軍の兵士たちが寝返って民衆についた・・そこへ至る過程と葛藤をドラマとして描きたかった・・そう言う部分があるんじゃあないでしょうか。

きっと平民議員は死んでも退かないと言うことを承知の上で、オスカルは出動できるか?というどうしようもない壁に、ついにぶつかったような気がするんです。軍属として、命令に背いた自分はここで死んでも仕方ないという気持ちはあったと思います。
ただこの後の展開は、やはりアントワネットの厚情とは言え、オスカルが身分剥奪もされずに助かったのは奇跡(ドラマですから?)。
アベイ牢獄から兵士たち(アランたち)が釈放された史実をうまく取り入れるための「つなぎ」と見ています。

・・ここで、身分も何も奪われて、オスカルが全てを失っていたら、違う展開になっていたんでしょうが、彼女の運命は原作通り、「バスティーユで銃撃される」という結末だったんでしょうね〜。

原作とアニメ。セリフの違い、オスカルというキャラの持つ信条の違い、などがあったにせよ、彼女の行動自身はどうあがいても、原作に沿わさないと「ベルばら」でなくなってしまうから致し方ないと思います。


オモテ・・原作ではオスカルを成敗しようとしたジャルジェパパを止めるのはアンドレって事になってますよね。この後の告白シーンで、アンドレの存在感を際だたせるための、前振りだったのかな〜なんてね。
原作では、その時点でパパは、アントワネットの許しを得ているのに、オスカルを成敗しようとしていたのですから。
アントワネットの使者が来て、初めて手を下ろしたアニメのジャルジェパパですが。「もはやこれまで」のパパの言葉に、ジャルジェ家が崖っぷちに立たされている悲壮感が溢れてました。
この辺もなかなか面白い、アニメならではの描写です。
アニメのジャルジェパパの方が王家に絶対服従していたってことでしょうか?

アニメにはこの後、ベルばらファン(原作ファン?)待望の告白シーンがありません。
初めてアニメを見たときは、私もびっくりしました。ここで告白しないで、どこでやるの〜〜??って。
でも、よくよく考えてみれば、自分の部下は捕らえられて、明日をも知れぬ身。
のんきにラブシーンなんかやってる場合じゃないですよね(笑)
けど、命を懸けた二度目の告白をしたアンドレと、茫然自失でそれを聞いていたオスカルを見て、そこにはカケラも甘い雰囲気はなかったけど、やっぱりコレもラブシーンだったのかなぁ・・って。
翌朝、粗末な身なりでベルナールを訪ね、アラン達をすくうための策に協力してくれるようベルナールに打診しに街に出掛けるオスカルだけど、そこには、アンドレの姿はなく・・
けど、彼が関わっていないわけはなく・・アントワネットの使者の伝言を聞いた後、二人はどんな
時間を過ごしたんだろう・・って、スケベ根性からではなく(笑)興味津々。
きっと、一緒にいたと思うんです。でも、お互い、今は言えない一言を抱えたまま朝を
待ったんだろうなぁ・・って。切ないですよねぇ。

ところで、ベルナールに会いに行ったオスカルは、なんで、軍服を着ていかなかったんだろう?って、
ずっと不思議だったんですが・・まあ、あの時期軍服でウロウロしてたら命が危なかっただろうけど・・オスカルは自分が卑怯者になっていることを分かっていて、軍服を着ていかなかったのかなぁ。
策を弄し、自分の部下を助けるために、結果的に王家に不利益をもたらす行動を起こそうとしている自分を戒めたのかなぁ・・なんてね。


とりとん・・なるほど!原作ではジャルジェ父はアンドレの告白によって勢いが萎えてしまっていましたよね。
アントワネットの許しがその時点で出ていなかったアニメは、オスカルへの厳罰は当然とした他の将軍たちの意見をアントワネットがかろうじて止めたという感じで、かなり緊迫していましたっけ。
このシーンの見所は色々ありますが、やはり革命に関する部分については父と娘の対立と激突、それと父とアンドレの「身分制度」に対する考え方の違いの激突だと思います。(娘をめぐる男同士の激突も良かったですが…)
アンドレはどさくさに飛び出してきて告白していますが、原作と違い、ジャルジェ父の怒りを鎮めた「知能犯」というものではありませんでした。
ただ、父の混乱ぶりは原作以上でしたが!!

ここでのアニメアンドレの見所ですが、知能犯ではないものの、オスカルが好きだ!父を刺して彼女を連れて逃げる!というせっぱ詰まった告白だけではなく、身分制度そのものへの疑問を父に対してきっぱりと意見しています。
オスカルもアランたちを助けるまでは死ねないと言い切り、・・・これって、父は一度に二人を相手にケンカしているようなもので、アンドレがオスカルを助けたという感じより、いつの間?にか父に対抗するという事で結束した二人の関係を感じます。
(でも、本当にいつの間に話し合ったのかなぁ?)

結果的にオスカルとアンドレを救い、引くに引けない父を救ったのはアントワネットだったわけで、原作のようにアンドレによって助けられたという旨のオスカルの告白シーンにはつながっていません。

私も、ここはベルばらの見せ場なのにぃ〜と思いましたが、舞台のように見せ場をちりばめてある原作と、時代の流れが色濃いアニメでは同じ見せ場は無理だったのかも知れません。
あの展開では、部下が銃殺刑になりかけている時に、これ以上、自分の恋愛沙汰でゴタつくこともオスカルにははばかられたと思います。

そう言えばその後、ベルナールに会いに行ったのは昼間でしたね。
彼の家に行かなかったのは、単にロザリーを省略するためかも知れませんが、余計なことを彼女の耳に入れて心配させたくなかったのかも。
私服で行ったのは前の一件でこりたのと、アンドレを伴わずに行くからだと思っていました。ここで自立というのは変かも知れませんが、出来るだけのことは自分で処理するオスカルの性格なんじゃないですか?
特にアニメではアンドレは「お供」という図式はないようですから。
ただ、ベルナールに会う段取りをつけたのはアンドレじゃなかったのかなぁ〜?
その後で、民衆の動員作戦が成功したことを喜んで知らせに行ったのはアンドレでしたから。

ひょっとしたらアントワネットにアランたちの命乞いをしていたら、上手くいっていたかも知ませんが、今更、いつ寝返るか知れない身の自分から、そう都合良く頼み事が出来るほどオスカルは要領のいい人間ではないでしょう。

アベイ牢獄包囲の画策の事実がばれたら、オスカルは命はなかったはずですが、アランたちの釈放は、自分が責任を持ってやらなければならないと決意していたでしょうし、無血で事態を何とか良い方へ向けたいというオスカルの、時代へのささやかな抵抗だったのでは…?と思います。
特筆すべきは、この件でオスカルは民衆を動員して、有事に対して彼らが団結するということを実行させてしまいました。
犠牲を出来るだけ出したくないと言うオスカルの信念と行動が、やがて王家を追いつめていくことになる…これをオスカルの責任というのか、時代の流れの悪戯というのか、判断はそれぞれにお任せというところでしょうか


オモテ・・このあたりのオスカルときたら(アンドレもだけど・・)いつ命を落としても不思議じゃない状況の中にいます。初めてアニメを通してみたときは、原作の確認?の様に見ていたので、原作通り進まないO&Aのラブストーリィとかに大不満でした。
けど、今思うと・・ずっとO&Aファンだったオモテは、ストーリィの大局を見ずに、O&Aの関係の成り行きしか、見ていなかったのだと言うことに気付きました。
何度も、なあ〜んども言いますが、アニメは最初からオスカルが主役のストーリィです。
そして、バスティーユで死ぬことが最初から決まってました。
ストーリィ上のペース配分から行くと、バスティーユの2週間も前に見せ場?のラブシーンがあるというのは、実はとても不自然。ベルばらが恋愛が中心のドラマなら、もっと最初の頃からO&Aは愛(だけ)に悩んでいただろうし。ベルばらが恋愛ドラマならO&Aはバスティーユには行ってなかったでしょう。てゆーか、行く必要なし?
そう考えると、原作のO&Aの告白シーンというのはファンサービスの一環だったんだなぁ・・と言う気がします。
今冷静に・・でもないかぁ(苦笑)アニメファンとしてベルばらを見ると、アニメはストーリィ展開とかに無理がないなぁと感じます。あ、別に原作が無理だらけって言っている
訳じゃありませんよ(爆笑)アニメと原作では表現方法が違うので、それぞれのストーリィ展開の仕方があって・・、んで、オモテはアニメの方が好みなんですぅ(爆笑)

アラン達のアベイ牢獄からの救出方法も理論的でした。
この時期、平民が押し掛ける程度なら、大した暴動にならないだろうというちゃんとした読みがないと出来ない相談ですよね。平民に、まだ武器が行き渡っていないことを把握していたんでしょう。衛兵隊員には武器使用をさせないようにして、頃合いを見はからってアラン達の釈放を申請する。たしかに、オスカルにしかできない策です。
そして、ここでまたいい味だしてたのがサンジュスト!オスカルとの死闘は格好良かった!?(笑)
しかし、冷徹なテロリスト、サンジュストにも彼なりの正義があるわけで・・
光と影、陰と陽、白と黒、いい人悪い人・・だけでは区別できない、図りきれない複雑さがあやなす人間模様とでもいいますか・・。
アニメはこれからどんどん、その深みへと分け入って行くんですが・・ここにO&Aラブラブの世界・・例え主役二人のでも、存在する余地はありません。
そんなぎりぎりの状況だから、何気ない言葉や、視線、触れ合う手と手のさりげないシーンが際だって見えるんですが。
これが十数年前、子供のために作られたアニメと言うのですから、今更ながら驚かされます。


とりとん・・原作がそうであるように、アニメもまたベルばらという枠の中からはみ出すわけにはいきません。
「オスカル」の生き方は、死に場所でわかるように恋愛に生きたのではなく自分のすべきことをやり遂げようとした行為に現れています。

ではアンドレというキャラの存在意義は無いのか?となるのですが、オスカルの立場からいって、彼女を支えてきたという点でポイントは高いと思います。

でも女にとって恋に生きるか自分の生き方を取るかというのは、今も大問題です。両方が両立できたら良いんですが、現実の話ではないベルばらの中でさえ両立は難しい。
確かに原作の連載中、世相の悪化と共にオスカルの疲労や責任は増し、アンドレがそばにいてくれるのが心の支えになっているのはよくわかりました。
だからここで、ファンの期待と本の売り上げ?の為に、ふたりの恋愛が大きく取り上げられたと私も思っています。

バスティーユまでの短い間に、必要以上に燃え上がらなかったアニメですが、もう一押しでどうとでもなってしまうはずの二人が、ストイックに恋愛を遠ざけてしまったのは、自分たちのことより他人のことを考えなければいけない立場にあったことを見ても、かなり事態が緊迫していたんだろうなと感じました。
それなのに、やはりどことなく二人の関係が緊張関係にある男と女という雰囲気がある!これは当時も今も、お子様にはわかりにくいでしょう〜。
アニメベルばらが大人になったファンから支持されるのは、自分が何らかの恋愛について体験があるから…隠れた地味な恋愛行動に共感できるんじゃないでしょうか。

結局ですね、ファンの望みは何だろうかって事になるとオスカルとアンドレはどうにかして幸せになって欲しい、見たいな部分があると思うんですよ。
ただ、それを望むと物語はテーマを貫けない。アニメを作る段階でオスカルの死は避けられない物だったはずだし。
アニメではこの物語は恋愛物ではなく、オスカルというキャラの生き様がテーマなんだよ、という筋を通すために、ファンサービスであるアンドレとの逢瀬を極力抑えつつ、…抑えながらも、実はこの二人は惹かれ合っているんだということが、ほんのりわかってしまう。オスカルとアンドレの抑えた演技が、代えって色々と想像を生むんですよ。……って変な表現になりましたが……。

ところで、アベイ牢獄からアランたちを救い出す場面ですが、アニメはオスカルが自ら企んだ計画の警備に当たっていました。ここで作戦を「妨害」するサン・ジュスト君と戦う羽目になったんですが、部下の救出に奔走している様がなかなか良かったです。
ここの場面、原作ではオスカルが自分の部屋にとじこもったんですが、読んだ当時、子供の私は、部屋にこもったらお風呂も入れないし、歯磨きやトイレはどうしたんだろう?って真剣に悩みました。
今、考えたら民衆の結束を信じてオスカルは部屋にこもったとわかるのに!!
子供の時は、自分にも理解できる身近なところだけ、やたら現実的に考えていたんですね〜。
逆を言うと、自分の理解を超える範囲は理解できずにいたか、描かれてあるもの全てをうのみにしてしまったか。

原作についても、大人になってから色々な違う見方に気がついたという事を聞きますが、アニメも又、各場面を見て登場人物の心理を自分であれこれ考えるだけの年になって初めて楽しめる作品なのかも知れません。
特に恋愛については描かれ過ぎず語られ過ぎず、という控え目な演出なので、見る側も「ベルばらはこうあるべき!」という先入観にとらわれず、頭を柔らかくしてから、想像力を働かせて鑑賞するのが楽しむコツでしょうね。


オモテ・・原作のラブシーンは分かりやすかったですねぇ(笑)
10才の子供にでも、O&Aはラブラブ〜ってのが分かりましたもの。
そのラブラブだったO&Aが引き裂かれ、二人とも死んでしまう・・こんな悲劇的な物語・・10才の子供だった私には衝撃的でした。

でも、原作ベルばらのO&Aラブラブは、言ってみればハッピーエンドの先取りで、ラストは悲劇だけど、その前に美味しいデザートをお腹いっぱい食べた〜!っていう満足感があったんですね。
もちろん、O&Aが死んでしまうのは悲しかったけど、7巻8巻を開けばO&Aも私も、いつでもハッピー!?だったし(苦笑)
アニメO&Aにはそのご褒美が?ないまま、死地に向かってしまって・・
ご褒美を期待して見ていた視聴者は愕然でしたよね(爆笑)
 
それでも、すでに大人になってからアニメベルばらを見た人は救われたと思いますよ。
自分の今まで生きてきた人生に照らし合わせて、アニメO&Aは、きっとあの時の私のように、あの時間を過ごしたんだろうなぁ・・なんて思いを馳せることが出来て。
大人になりきってないまま、アニメを見ちゃった人は悲劇デスよぉ(笑)
かくいう私も、最初のアニメとの出会いがそうだったんですが・・
「なんなのこれ〜〜????」って思いましたよ。
ラブラブシーンもないまま、O&Aが何を考えていたのかも思い至らないまま最終回(しかも私が見たのは打ち切り版!)だったのですから。
そのまま今も、アニメO&Aが・・いや、アニメそのものが分からない、アニメ否定派の人たちの気持ち分からなくもありません(笑)

なんか、ラブシーン談義でここまで来てしまいましたが・・物語は政治的な思想が色濃く反映される展開で、フランス革命がメインの物語だったら当然の成り行きなんだけど・・原作連載時、だからといって、おじさん達の政治的思惑を語り続けるシーンを描く訳にはいかなかったんだろうなぁ・・それで、原作では世情の緊迫した状況を、O&Aのラブシーンで・・表現したんでしょう。
普段りりしいオスカル様でも精神的に追いつめられ、普段影に徹しているアンドレに支えられる・・と言う図式で。

アニメの次回予告のナレーションで、国民の暴動に備えて、国中から軍隊をパリに集めた、フランス国女王として命令を下した・・というアントワネットに、「あの優しいアントワネットはどこへ!冷たい権力者になってしまった」なんてのがありましたが。
アントワネットは、国民を虐殺するために軍隊を召集したつもりは、まったくなかったはずです。結果的にそうなったとしてもデス。
ただ、今まで自分が生きてきた社会や環境や、自分の立場や、子供達を守るため!
と言う意識しかなかったと思います。
アニメがオコチャマゴールデンタイムに放映されていた悪影響だったんだろうなぁ・・と思うのですが、平民は可哀想で、貴族はオニ〜!みたいな?カンタン図式(笑)
アニメそのものは複雑に作られているのに、この単純なナレーションに、とっても違和感感じたのは私だけでしょうか?(^^;)

またまた長くなってしまいましたが・・エピソードを語らずに終わるのはもったいない?ので。
原作では、アンドレとラブラブになってから、ハッピー気分でアントワネットを訪ねたオスカルでしたが、当然アニメではそんなふわふわした雰囲気は一切ありません。
アントワネットとの最後の別れの・・いって見れば、オスカルが今まで自分が所属してきた社会と一切絶縁してしまう直前で、思い悩んでいるオスカルの心の内が分かるようなシーンでした。アントワネットとの会見を、一人執務室で思い出すオスカル。
アントワネットの「あなたを頼りにしています」の言葉を反芻しながら。
誰と!なんのために?なんて、もうオスカルは言いません。
もう自分が何をしなくてはいけないのか、分かり切っているのだけど、最後の迷いが断ち切りがたい・・暗い執務室から徐々に上に引いていくオスカルが小さくなっていくアングルが面白い!


とりとん・・最初の放映を見ているときですが、アニメのオスカルは本当につかみ所がなかったですね〜。
こちらの地方は最後まで放映していましたが、私なんてバスティーユへ行ったオスカルに対して「行く必要なし!」という風にさえ思いました。
なにせ当時は十代の少女ですからね〜。おいしい場面を再びという期待が大きくて、「ベルばら」に関して原作で知っている事以外の展開をされたって理解できるわけなし!
何のためにに行ったのかわからないんじゃ、つまらないでしょ?
原作が行ったから、とりあえず流れ作業としてそういう結末にしなきゃ、と言う程度の認識なんだろうって思えたんですよ。

昔のアニメ批判を見ていたら、この辺の事に対する批判が結構ありましたが、やはり原作を見失ったということが言いたかったんじゃないかなぁ。
では、オスカルというキャラが原作通りではなく、別の●●ということを考えていたからでは?という発想の転換は…当時は原作のイメージが濃すぎて、出来なかったんです。
今なら出来ますよ。原作以外にも、ベルばらという物を色々と楽しみたいし、オスカルを定義するとき、原作オスカルオンリーとは思っていません。

それにしても…愕然という事態があちこちで発生するアニメでした。
自由平等友愛の精神で突撃せずして、バスティーユへ行ったオスカルの気持ちがうすぼんやり解ったのは成人してから…それもかなり後でしたし。
常々のアントワネットに対するオスカルの対処なんですけどね、何か事が起きて忠告しないオスカルに情けないとさえ思った物が、実は「忠告すること」自体がありえないんじゃ?と言うこともそうですし。
アニメは原作のアレンジですが、アレンジを見ることで自分の中のべるばらのイメージがいかに原作の棒読みだったか…これもまた愕然としました。
つまり、ベルばらの登場人物のスタンスはどれもドラマになりうる物が目白押し。
女の生き方一つとっても色々と出てくるし、オスカルというキャラだけで考えても色々な生き方や考え方を私自身で創造・想像してもいいんだってことを気付かせてくれたんですよ。
(いや、そうじゃなくてベルばらは原作通りという意見も当然ありますが。)

何度もしつこく言ってますが、アニメ版は自立した関係が描かれています。
後半、オスカルは独り居て考えていることが多いんですよね。
アンドレに頼った形跡もない、婆やにお酒を止められている場面もない、ただ、病気にむしばまれている。
夕暮れの司令官室なんて嵐の前の静けさだし、彼女の心の中で自分が何をすべきか、自分が歴史の中でいかにそうしなければならない位置に巻き込まれてしまっているか、考えると言うには選択肢が他に見つからない現実を静かに受け止めていた時間だったんでしょう。
多分、アンドレは頻繁にオスカルの部屋に入っては来なかったでしょうし、あの厳しい目の奥で、アンドレとの将来を考えるほど事態は甘くないことは分かり切っていたと思います。

ラブラブが少ないついでですが、あの森の中でアンドレが「屋敷に帰る」と言っていたら、きっとあの二人はそのまま別れていたと思います。
(まずあのアンドレがすごすご屋敷へ帰ることは100%無いですが)
もし、アンドレがパリへ行くことを渋っていたら、オスカルはアンドレの意志を尊重して「好きだ」とうち明けることも彼の負担になると思い、何も言わずに済ませていたことでしょう。

可愛くないですね、オスカル。誰にもとことん頼らずに済ませてしまおうとして。
でも、私はそんなアニメのオスカルがとても好き〜。
相手のことを最大限に考えることは、甘い言葉ではなく、相手の負担にならずに自分で背負い込んでしまう事と思いこんでいるあたり、逆に相手のことを必死で考えている裏返しでもあり、いじらしいです。
特に、自分がアンドレを愛していると言うことで、彼を余計に傷つけてしまったらとそこまで…とんでもなく相手を気にしている女性なんて……今時、希少価値。
早く押し倒せよ!アンドレ!と思わず心の叫びっ!

そう言えば、アンドレがパリの巡回にオスカルを呼びに来るシーンがありますが、咳き込む彼女を見るなり、アンドレが「隊長」ではなく個人的な呼称「オスカル」って呼んでいました。
オスカルはとっさに風邪と言い訳していましたが、ここぞとばかりに「まかしとけっ」て笑うアンドレがいかにも彼らしく、まかせるオスカルの様子を見ても二人の関係は(互いに男女という意識を脇へ置きながらも)自然な感じでした。
しかしアンドレが彼女の顔色さえ見分けられないのがつらい!

この、さりげない二人のシーンは、超地味ながらファンへのサービスシーンだと思うんですよ(…あまり説得力ないかも)。


オモテ・・アニメのO&Aは公私の区別をきちんと付けていたようでしたね。
それは、貴族と平民、部下と上司を、自分たちが肝に銘じるためだったのではないでしょうか?
いつも傍にいて、口ほどにものを言う視線を受けながらだと、いつか、きっと、一線を越えてしまうと、O&Aはお互いに暗黙の了解で分かっていたのでしょう。
あ、一線って・・別にそのものズバリって事じゃないですよ(笑)
お互いのことを一番に考える余裕がない時に、気持ちを打ち明けるって事ですよ。

さて、ここまでアニメを見て来たら、そう言えば原作があったんだ・・と言うくらいアニメの世界に没頭してしまうんですが、毎回。
そうすると、原作にあったエピソードなのにとても不自然というか、合ってないなぁ?というシーンの一つや二つがでて来るんですよね。私的に。
その一つが、肖像がを描かせる・・と言うことなんですが。
アントワネットが召集した軍隊が街に溢れ、理不尽な取り締まりや不当な逮捕がちまたに溢れ、平民達は食べるものさえない・・と言うときに、のんきに肖像画!?
なんて言う私はオニですか?(爆笑)
ただ・・その静かな時間が、唯一アニメオスカルの気の休まる時間だったんだろうなぁ・・と思うと、前言撤回(苦笑)
このときの回想シーンに使われた映像が、使い回しじゃなかったのが、ファン的に嬉しかった〜!!
画家が去ったあと、部屋で一人発作?にみまわれているオスカルの元へ、アンドレが姿を現すんですが・・その時はもうオスカルはいつものオスカルで・・
お願いだからオスカル様!ここで彼に「一人にしないで・・」って言って!!って切実に感じましたよぉ(T_T)

原作を読んでいた子供の頃は、オスカルってとても力のある人だと思っていたんですよね。
実際、原作ではそう言う描かれた方してたし。それどころか、軍隊は衛兵隊と近衛くらいしか無いような描かれ方でしたよね(苦笑)
アニメでは平民対貴族だけじゃない、複雑な社会情勢や勢力争いも描かれてしました。
だから、原作のように単純に貴族の圧政に苦しむ平民を救うオスカル!を描けなかったんだと思います。この辺の所が原作派にはご不満のようですが(爆笑)
けど、オスカルは衛兵隊という、フランス軍の中の一つの部隊に過ぎない隊の隊長で・・
オスカルに出来たことというのは、衛兵隊に下される平民への発砲命令を拒否することだけ・・だったんですよね。市中見回りにでたオスカル達が、別の部隊から、邪魔だから帰れ!
みたいな仕打ちを受ける。そのあと小競り合いをしてぼこぼこにされたアランが(笑)「もし革命になったら勝つのは民衆ですよ」とオスカルに言うんです。
勝つのはオレたちだ・・とは言わない。
実は平民対貴族の図式の中に、オスカルはいない!?存在出来ない!!??ことをここに来て、見ていた私は気付いたわけです。
オスカルは飢えた民衆ではない、自分の地位と名誉だけを守ろうとする貴族でもない。
正義に燃える革命家でも、テロに走る過激派でも、国を憂える政治家でも・・ない。
自由と平等と博愛を旗印に、平民の象徴として、いきなりバスティーユに躍り出ても、説得力ないっすよね。
実際、平民側として戦闘に加わろうとしたとき、すぐには信じてもらえなかったし。
そのことが、アニメ批判最大の標的となっている、伝説の発言「従う」に繋がる!
という、私達の長年の仮説のさわりをちょこっと披露して・・あとは続く(*^_^*)


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とりとん・・一触即発のパリに比べて、ジャルジェ家の屋敷の廻りは時間が止まったみたいに静かなんですよね。
オスカルの司令官室もそうですが…。
静と動を組み合わせた画面処理が多く使われていましたっけ。

オスカルもアンドレも、自分たちのことだけでなく世情に関しても言葉少な目。
彼らは時代の解説者ではなく、当事者として時代の波にすでに放り込まれているようです。
このあたりがアニメに主体性がないと言われ、原作と比較される部分かも知れません。が、しかしこれは単に演出の違いにすぎないと、今なら解る。

原作にしても、アニメも宝塚も…実は…!
オスカルがどんなに肩に力を入れてがんばっても、現実は世の流れに逆らえるはずもない。
彼らはやがて戦いが始まると、民衆の盾になるしかない立場にすでにいるんですよ。これはオスカルが自分の意志で決めても、そうでなくても、やらなくてはならない事だったと言ったら極端ですか〜?

アニメはあえて、オスカルの意志を言葉で表現していませんでした。
ただ流されただけという批評も聞きましたが、どんなに崇高な理念があったとしても、現実はアントワネットを裏切り、武力以外の解決法を探し出せなかったオスカルにきれい事をいう資格があるかどうか疑問です。
最後まで武力対決を避けようとしながら、結局は武力行使に及んだというオスカルの不完全な対処法に、結局彼女は自分の命を犠牲にするという代償を払ったのですし。
だから自分の行動に言い訳せずに黙していたあたりが、かえって正義の味方になれなかったオスカルの立場とその心情の、複雑さを物語っていて本当に良かったと思います。

原作を読んで、私も崇高な理念を掲げるオスカルは本当に強い人だと思いました。
原作のわかりやすさの秘訣は、時代の変化や誰かの心情など、全てのことについて、登場人物の誰かが「オスカルは○○な人だ」とか「私はこう思う」とか「今の時代は○○だ」とか、言葉にして表現してくれていたところですよね。
少女向けのストーリーとして、当時は読者に親切な作り方だったのでしょう。
読者に理解できないところがないように、スムーズに読めるようにという配慮がありました。
特に、ベルばらは当時珍しい大型歴史物だったので、幅広くファンに理解してもらうためさぞ「わかりやすく・かつ楽しく」という点で連載時は苦心されたんじゃないでしょうか?
バスティーユ攻撃についても、上記のような複雑なオスカルの気持ちを少女誌で表現すると言うのが無理だったのかもしれません。

アニメは、あえてそれを登場人物に言わせず、見る側に考えろ!と言う。
オスカルというキャラの気持ちを自分で考えていかなければ、そりゃあ、想像力を働かせないままアニメのオスカルを見ていると、得体が知れないキャラです。
でも、大人になった自分が再放送を見て、オスカルに対して当時とは違う物を感じた日にゃ、知恵の輪がピキーンとはずれたような感動が湧いて出て来るんですよ〜。ね、オモテさん?


オモテ・・ええ〜〜?いいんですかぁ??そんな美味しい所から私に振ってくださって!?
アニメの地に足のついたと言うか、リアルなーというか、エピソードや描写がええ、ハズしまくってくれましたよ、知恵の輪(笑)
その分、原作にあった夢や理想や妄想の部分を壊しちゃった事は否めませんが(苦笑)パリ出動前にオスカルはもう一度アントワネットを訪ねますよね。
軍隊のパリ撤退命令を出してもらうために。
これは原作にはなかったエピソードですが、・・あんなに世話になったアントワネットや、ルイ16世を裏切ることになった、後日の寝返り劇の衝撃を弱める、ワンクッションになっていたのだと言うことが分かりますよね。
だって〜〜原作オスカルってば、その日の朝まで親の家で、貴族として何不自由ない暮らしを享受しておきながら・・戦闘になったとたん「国王の道具になるのか!?」なんて言い出して、いきなり平民を率いる自由の女神〜になっちゃうなんて、あんまりにも乱暴な展開でしょ?
もっと単純なのは衛兵隊員!?(爆笑)たった1年ほどオスカルの影響を受けただけで、「あなたについていきます〜!」はないだろぉ〜オイオイ(^^;)

所が、現実の世の中そんな簡単なモノではなく・・例えばアニメでは、戦闘が始まって寝返った衛兵隊員を引き連れたオスカルが、平民達と合流しようとしてもカンタンに受け入れてもらえなくて、ベルナールに助け船を出してもらって、ようやく認めてもらってたけど・・これが現実だと思う。
自分は貴族だった・・それだけで、今ここで殺されても仕方がないとオスカル自身が言うくらい、平民対貴族の溝は深かったんですから。
ここで、その日の朝まで貴族だったオスカルに、あっさり心酔する平民がいたらフランス革命は起こってなかっただろうと、大人になったオモテは思った。
だから・・のオスカルの「従う」発言になったのだと・・。

アニメオスカルは言います。
自分が発砲を命じても従わないだろう・・だから、今ここで、自分は衛兵隊の隊長であることを辞めると。自分の命令に従わないであろう、隊員達を理解すると。
たんたんと自分の想いを語るオスカルは、まるで慈母のようです。
でも、アニメの自立した衛兵隊員達には階級章ブッチぎって、気勢を上げるよりずっと効果があったでしょう。
オモテはこれはオスカルの・・言ってみれば言葉の策略だと思うのです。
平民であると言うだけで、虐げられた来た隊員達に、貴族のオスカルが上に立ったまま気勢を上げても、それがどんなに正しい言葉でも、素直に耳を傾けるモノはいないでしょう。
平民のアンドレを愛し、信じ、なおかつ彼に従いたいと・・ただありのままの今の自分の想いを語ったオスカルだったからこそ、アランは「隊長を辞める必要はない。
一緒に戦おう」と返したんだと思う。それまで、敵には回したくないけれど、敢えて仲間と認める事もなかった・・貴族であり、女であるオスカルを、隊長として認めたんですから、すごい効果があったんです。

「従う」と言う部分だけを取り上げて、アニメオスカルを主体性のない、情けない女の代表の様に嘆き、忌み嫌う風潮があるけど、そもそも「従う」事がそんなに悪いことなのかなぁ。
正しいと思ったら、それが誰のささやかな主張であっても、従う・・と言うことが出来るアニメオスカルって、かっこいいなぁ〜とオモテは思うのだけど。
何がなんでも上に立ち、自分の主張を押し通し、従わせるのがオスカルなのだとしたら、そんなオスカルは、大人になった私にはもういらない・・と思うのでした。


とりとん・・ええっ!オモテさん、いきなり核心部分にイッちゃってますが、肖像画をほめるアンドレの場面とかのエピソードについて語るのは、このあとに置いておいて、とにかく早いうちに核心にも触れておくのもいいかも?!ということですよね。

私は最初の放映時は「従う」だなんてどうにも納得できなかったタイプです。
おそらく当時、オスカルというキャラを「女は男より強い」という護符にしていたと思います。
確かに仕事にしても何にしても、女は男に及ばないと言われると反発したくなるもので、何を基準に優劣がついたのかは知りませんが、そうではないのだという一つの理想型をオスカルに託していたのです、多分。
女たちが意識して必死になっているのを知らず、俺が偉くて当たり前やんけと思いこんでいる無神経な男たちに、女の実力を解らせてやろう、と!?
まあ、現実の中で自分を奮い立たすひとつの手段として、例えば会社で、隣にいる同期の男たちよりがんばって、私を認めさせてやる!
という精力剤(←オスカル)みたいなものかも知れません。

で・まぁ、男も気の毒で、女に負けたら恥という社会に縛られているわけで、……この話はどんどん男と女の複雑な問題みたいになってきますからやめときますが、アニメで問題となった「従う」は、実は原作の中に含まれている、「女性(男性)という性をどうとらえているか」という考え方が大きく関わっています。
「従う」という発言が問題であるのならば、現実の男女のあり方を問う前に、まず原作と比較してどう問題になったか?は、答えは原作の中にあるはずです。
原作の中では「男」や「女」を、オスカルを通じてどう語っているかを先に論じたら、「従う」発言についてもっと色んな解釈が生まれるんじゃないでしょうか。
(今はアニメを語るだけで精一杯なので、誰か原作論を語って欲しい!!)
こないだパラパラとめくっていて、ロザリーが「女なんかに!」と叫んでいたので、ちょっとドキッとしました。…やはり四半世紀前の漫画という印象を受けました。
今の時代なら池田さんも、女性(オスカルetc)を、どう描かれるかな?
とも思います。すごく見てみたい!

さて、アニメの「従う」発言ですが今思うに、あの場面、オスカルを女として描いていない?と思えるほど彼女を無性別と言うくらい割り切って描いてあります。
あのセリフはオスカルというキャラの立場であれば、男であろうが女であろうが関係なく、「人間オスカル」として同じ事を言っていたように思います。
彼女としては、自分の貴族という身分を、たとえ同じ目的で戦うにしろ、どうしても平民の部下たちと同列に置いてはいけないという負い目を持っています。
これまで貴族が徹底的に平民たちを自分たちと区別してきたように、オスカルは今、自分の意志でへりくだり、全く逆の立場を彼らに対して取ろうと努めている。
自分の意志が彼らに命令という形にならないよう配慮し、痛々しいほどの決意を言葉に託したらああなったとも言えます。

又、それを理解した部下たちもいい奴ばかりでしたね。
第一、オスカルに一目を置いていたアランがオスカルの恐さを一番知っているでしょう。
その人物がお前たちの意志に従うのだとへりくだってきたら、彼らにとっては頭ごなしに命令されるより、本心であなたが隊長ですよと、逆にオスカルを立てようとするのも不思議ではありません。

な〜んちゃって、「従う」の一言でこんな色々と物議を醸した原因のひとつはオスカルが言い訳をしなかったからですよね。彼女は無口なので。
だから解釈が色々と思いつくわけで、もうひとつ、彼女が女だったからこそあり得た別の解釈を上乗せしますと、部下に対してへりくだったのと同時に、昨日妻になりたてのオスカルのことですから、夫婦になったことを噛みしめたいと思っても不思議ではない。
明日にも戦いが始まるかも知れない、それに自分の命が燃え尽きるかも知れない、そんな彼女の全力疾走の人生にひととき、ほっと息を付ける瞬間が欲しかったとも思えます。
部下たちへのいかにも堅苦しい報告の中に、必死で幸せを感じ取りたい気持ちが盛り込んである。
何もかも全て信頼できる男性がいるとノロケているとも解釈できるんです。

又、オスカルはアンドレと同じ考えでいますという意志表示なわけで、戦う意志はアンドレではなく絶対オスカルが先に思いついたに決まっているという主従の考えはオスカルにもアンドレにもありません。アンドレが先に思いついて、オスカルが彼の行動を見て感じ取ったのかも知れないけれど、それは二人の問題です。
どっちが偉いかを気にしていたのは、彼らではなく視聴者である20年前の私なのです。
ここで話は戻りますが、やはり自分自身が、オスカルを等身大のキャラと言うより、「女は男より強い」という護符にしていたのだなと気がつくのです。

実際、原作よりもアニメのオスカルの方が何かにつけ自分一人で解決しようとするふしがあって、普段からアンドレにもたれかからないでおこうと意識していたとも言えるので、クソ真面目なオスカルがやっとわだかまりを解いてサヤに納まったなと、こっちも安心しましたし。
あ、やっぱり聞かされたアランたち、お気の毒?

この話題はまた、エピソードを追いかける段階で新たな発見があればぶりかえすかも知れませんが、とりあえずまとめますと…
人間としてへりくだった、そして女として妻の幸せを実感したかった。
と言うことで、頭の中で整理しています。
…これだけ色々と意味を含ませられたのはオスカルが女だったからでしょうね。
女だったおかげでドラマがより劇的になったのは嬉しいです。
もしもオスカルが男で、アンドレと共に戦う……と言うことになっても何となくときめきません?!

結果的に、色々と物議を醸し、問題提議となってしまったセリフですが、私はあって良かったと思います。
話の進行上、無くても済んだセリフだし、オスカルというキャラに発言させることでアニメにおける女性観なるものを問題視される危険性を、アニメスタッフが知らなかったはずはありません。
でも有ったおかげで、自分が今までオスカル(特に原作)に対して何を託していたか、何を求めていたかがはっきりとわかりました。…護符に使っていたのです。
そして、今度はオスカルを護符ではなく、一人の人間、一人の女性として捉えることが出来るようになったのは、このセリフについて色々と考えたからです。

確か聞くところによると、これは過去に色々と論争を呼んだ伝説のセリフだそうですが、もし今も問題視する声があるのなら、今までの論争の中にまだ本人に納得のいく回答が出ていないからなのでしょう。
イライラの原因は、自分自身の怒りの原因が自分で分からないからという事もあります。
アニメオスカルはダメだ!という全体否定の批判でボルテージを上げるだけではきっと解決にならないでしょう。
もし今後も批判意見が出るのであればもっとピンポイントに、そのセリフの問題点がどこにあり、自分がどうして納得できないかを明確にすることで、他のファンに対し、一つの解釈としてアピールできると思います。
私の場合は原作オスカルを護符にしていたから、という理由で、従う発言に反発していたと言えます。

パニックにならない程度なら色々想像するのは楽しいですね〜。
ふっ(^^;)、しかし実は今、パニック寸前なので、とりとんのパーツはひとまずここまで。

オモテ・・はい!(^^;)いきなりやってしまいました〜。ポリポリ。
あんなにいきなり、かますつもりはなかったんですが・・やっているうちにどうにも、あそこから軌道修正出来なくなったというか、目がそらせなかったというか・・アニメはここから大きく、原作とは違う内容になっていくので、まずアレを押さえておかないと〜〜という状態になってしまったのですね。

とりとんさんの、原作の強いオスカル像を護符にしていた・・を伺って、また、そして・・その護符が必要ではなくなったと感じたとき、「従う」発言にわだかまりを感じなくなった?と言うお説に・・納得というか、共感を覚えました。
でも、私は実は、あの「従う」発言に、まったくほとんど違和感を感じなかったので、とりとんさんのような自己確認作業がなかったのですよ!?
こんな存在も珍しいでしょ?(^^;)
たぶんそれは、アニメの本放送の打ち切り版を高校生の頃に見て、その後10年以上アニメはおろか、ベルばらそのものからも遠ざかっていた事が要因だったのだと思います。
久しぶりに接したベルばらがアニメで、昔好きだった懐かしいおとぎ話を、暇つぶしに読み返そう・・という程度しか認識がなかったのです。
ですから、原作と比べることなく(というか、もしかしたら忘れていたかも知れない・・^^;)
アニメベルばらの世界に入り込み・・アニメオスカルの行動が一貫していたので「従う」発言も彼女らしいと思ったのです。所々、どうしてこんな歯切れの悪い言動をするのだろう?と思うくらい・・原作があって、原作通りにしか動けない・・
と言うことも忘れるくらい・・アニメにのめり込んでいたんですね。

「従う」発言については、聞いただけでアレルギー反応起こすほどの方々もいまだにいらっしゃると思いますが・・
そもそもアレルギーというのは?体の中に害のあるモノを入れないようにするための反応で?確かに危害を加える恐れのあるモノにも反応するけど、中には過剰反応というか、誤認反応というか?もあるんですよね。
アレルギーの正体見たり卵かな?とか、猫の毛かな??とか(笑)
「従う」という発言(アニメオスカル)を仮想敵国にして、本当は・・一体何にアレルギーを起こしているのか??一度じっくり考えてみませんか?
・・と問いかけるオモテでした・・誰にとは聞かないで(^^;)

さて、とってつけたようにエピソード語ろうかなぁ(爆笑)
そういえばアンドレったら、宿舎で日記らしきモノをつけていましたが、あれは彼の死後どうなったんでしょうねぇ(T_T)
新しい時代への不安が覗く、ちょっと辛い内容でしたが・・この時点でアンドレにはなにも将来への明るい希望材料がなかったのですから、当然だけど。
それでも、投げやりにならず最後は「見つめよう!」と力強く結んでいたのが印象的でした。アニメのアンドレの視力は、原作の彼より良かったみたいですね。
記が書けるくらいだから。
宿舎に寝泊まりしてて、ばあやが傍にいないんだし、いくら仲間が気を使ってくれると言っても、人影が分かる程度では、仕事にもなにもならなかったでしょうしね。
あげくにはオスカルは、死の宣告を受けてるし(T_T)
原作では具体的な病名も症状もわからなかったので、あれは胃潰瘍だと思ってた人多いんですよね。私もその一人でしたが(笑)
と言うか、そう思いたかったんですね。
なにのに、アニメではハッキリ死病だと診断受けちゃって・・
それでも一度も自暴自棄にならなかったアニメオスカルって、凄まじいほどの精神力ですよね。「一人にしないで・・」誰にも・・アンドレにすら言えなかったその強さが、時には歯がゆいほどでしたね・・(-_-;)


とりとん・・私もアニメを久しぶりに見たいなーと思ったこと自体、若い日の苦い思い出すらすっかり忘れていたので、今更、当時の怒りの記憶を引っぱり出すこと自体、労力が要りました。
がしかし、ここ何年か前にアニメにはまってからも「従う」発言が問題になっているという事を聞いたので、色々と考えてみようと思ったわけです。
かくもしつこく自己確認の内容を書いたのは、私と同じような理由で「従う」発言を嫌った人たちへの問いかけと、これ以外の理由で何か他にも嫌う訳があるのかなぁという興味です。
でも、途中打ち切りの憂き目に遭うという経験こそ私は知らないので、オモテさんの当時の落胆は量り知れませんよ〜。

アンドレの日記だなんて、いかにも同人ネタになりそうですね。誰の日記でもネタになりそうだけど。それも死後にとんでもないところで発見されたりなんかして〜〜!
アニメのアンドレはこれまで、勉強会へ行ったりベルナールの元へ様子を見に行ったり、平民の動きを把握しようとしていましたが、ここへきて「見つめよう」で、彼の気持ちがはっと解ったような気がしました。
熱くなってないんですよね。何が正しいか、これからどうなるのか、嵐の予感を感じながらも彼は彼なりに時代の波に突入しようとしている。
オスカルもまた、血が騒ぐアランの前でさえあえて「革命」という言葉が先行することを避けていたようなので、時代の歯車の前でほとんど無力な立場として、「私自身が時代に対してどうにかしてやろう」ではなくて「時代を見つめよう」というは、オスカルにも言えることだと思います。

私は原作のオスカルが血を吐いたとき、結核だと思いました。
だけとそれについての記述がないので、どうにでも解釈すればいいのだな?!と後で安心したんですが、でも主人公がいきなり吐血だなんて、ショックでしたよ。
どのみち、オスカルは近いうちに死ぬんだと思いましたから。
(後で知ったのですがそれが作者?編集者?の思惑だったとか)

アニメはほぼ高い確率で死にますよと言われたわけで、かなりオスカルにとって厳しい。
さらにそこまでしてもアンドレに甘えられない彼女に、計り知れないほどのアンドレへの配慮が見えてしまって、(というか身内の人全てに対してもですが)原作以上に孤独を引きずっていますね。

ちょっと、エピソードを語る代わりに、アニメ版恋愛論をばひとつ・・・。
アンドレは・・特に原作からのイメージでオスカルを陰で支えているという印象が強いんですが、アニメはオスカルもアンドレもお互いに違う世界を知っていて、オスカルは不安な情勢の毎日を、アンドレを心の支えにして生きていないんです。
好きだからと言って・・もしかしてオスカルもアンドレを好きになった事にある日気がついたとしても、やはり自分の立場からして職務を先に優先させていただろうし、彼に色んな意味で迷惑をかけまいと、平静を装っていたと思います。
でもオスカルはふと気がついたんでしょうね。こんなに静かに私を愛している人がいると。
彼だけは強い気持ちで私を愛してくれていると、ひょっとして私の全てを受け止めてくれるはずと。
彼のオスカルを信じる気持ちの強さが、普段からヨイショしてくれるより、心に響いたんだと思います。


オモテ・・アニメアンドレは、オスカルのために時代や社会の時流を見極めようとしていたんだと思います。どう転んでも対処出来るように、言ってみれば情報収集していたんですね。地位も名誉も武力もないけど、また心優しいだけでない、アンドレの案外思慮深い一面が現れていましたよね。アニメでは。
オスカルの完璧な恋人であって欲しいばかりに、アンドレには、つい無理難題の理想を押しつける事ってありませんか?
優しくて、オスカル一筋で、その上性格良くて、頭も良くて、誰からも好かれてて・・見たいな?
けど、よく考えたら、オスカルに対する愛が深くて独占的であればあるほど、オスカル以外の人にとって、アンドレって嫌なヤツ〜になるんじゃないでしょうか?普通。
だって、アンドレにとってオスカルは一番だとしたら、他はどうでもいい!ってことでしょう?

オモテは、アンドレは変わり者だと思っています(笑)
アニメアンドレが、衛兵隊内で浮いているように描かれていたのは、正解だと思います。
あとですね・・アンドレがオスカルより能力がある優れた面を持っていてはいけない・・
という定説が一部ファンの間にあるらしいですよ(苦笑)
以前、現代版のサイド本で、O&Aを医者にしちゃったことがあるんですが、その時に読者さんから、オスカルはともかくアンドレも医者というのおかしい・・
というクレーム?のお便りをもらったことがあります(マジっす・・^^;)
アンドレは理想の恋人なんだけど、オスカルより出しゃばってはいけない・・ってことだったんでしょうね。せっかく実社会では難しい女性上位を体現しているオスカルを・・自分たちと同じ普通の女にしないで・・ってことだったのかも。
でも・・私だったら、自分の男は爪を隠した鷹であって欲しいけどなぁ(^^;)
オスカルほどの女が惚れたのが、彼女にとってただの都合の良い男じゃねぇ。

たぶん、 昔は優しい男はそれだけで希少価値があったんだと思います。
なんの根拠もなく、男がエライ社会だった時期が長く続いてましたからね。
でも、今の女は強くて贅沢。優しいだけで、どうでも“イイ人”なんて、見向きもしませんよぉ。
おっと・・なんだかアンドレを語ると、自分の恋愛観(男性観?)が見えてきますね(爆笑)

さて・・またまたとってつけたようにエピソードを(^^;)
アラン達がダグー大佐の出撃命令を伝えに来たシーンですが・・軍隊もこの時点で相当混乱していただろうに、やっぱり上司の命令に忠実なアランは軍人なんだなぁ・・と、妙な所に感心してしまいました。
後ね、馬の用意をしているアンドレに、ジャルジェ将軍が自分の気持ちを伝えるシーンでもジャルジェ将軍も「私もいずれ出撃する」と言う台詞があるんですが・・ここまで来て今更ながら軍人は戦うために存在しているんだなぁ・・と妙なところで考え込んでしまいました。
いい人は軍人にはなれない?
そうそ・・あの肖像画前のO&Aのシーンですが・・なんか私には力不足で!?
とりとんさんにお願いしてもいいですか〜と、勝手に指名して・・(脱兎)ぴゅぅ〜♪


とりとん・・確かにアンドレがどうとか言う前に、たとえ表面的だけでも女性に優しい男はポイントが高いかも知れません。ただし、その内面がどうかははっきりと見極めなくてはいけませんが。
アンドレは変わり者で充分です。
確かに原作を読んだ時、オスカルは女性の地位向上への希望や、逆にその難しさを感じましたが、アンドレについてはあくまで彼女より控え目で、かつ影の存在でサポートしていました。でも、当時は彼がオスカルより何かの点で優れていることは希望しませんでした。彼が女にとって都合のいい男でいて欲しかったからかも知れません。結局、アンドレについてはオスカルとのふれあい以外の詳細が原作で描かれていないので何とも言えないのが現状です。
解釈は色々と出来るでしょう。

原作の彼がどうあったかは又の機会にして、アニメのアンドレが優しかったかについてはオスカルに向けた眼差し以外では…アランやベルナールとの交流によく出ていたと思います。ただし、二人に対しても一定の距離は置いていますが。
そんな気がするのは、オスカルのことや失明の危機のことを人にはうち明けていないからです。なぜ?というより、彼は自分が抱えている問題を自分一人で抱えるタイプなのでしょう。
隊の中ではアンドレはアランに一番精神的に近い存在になっていたようですし(お給料を持っていったり)、ベルナールも話しぶりからして彼には気を許していたようですね。
彼はオスカルとのいちゃいちゃシーンがとことんないままなのに、なぜか存在感があったのは自分の意志で衛兵隊に入ってしまったり、その場でオスカルと言い合いになり、「お前を守れるのは俺だけだ」と言い放ったことにあると思います。
ナニを守るねん?と、昔のおバカな私は思ったのですが、彼にすれば些細な事から、いざとなれば命をかける事までという、彼のたいそうな決意を有言実行したのだなと…。
(はぁ〜、女に生まれた以上、そんな女冥利に尽きる言葉、言ってほし〜よぉ〜!)
自分自身で存在価値を作り出しちゃったアニメのアンドレが男らしいと思ったのはそんな訳です。

そうそう肖像画のシーンですか??…確か、オモテさん、このシーンつらすぎ…と言われていましたね。
ホント、珍しく二人きりという、傍目にはラブラブのシーンなのですが、中身が壮絶すぎて……(ということで、語らせていただきます)。

今更ですが、原作とのあきらかな違いは、オスカルが命の期限をはっきりと宣告されたことです。
オスカルが肖像画というと、彼女に似合わずナルシストみたいなイメージがあるのですが、原作に有ったエピソードだからこのシーンを入れたという以外に、自分が万が一という場合に(というか高い確率)に備えて、両親に何か残そうと…描かせた肖像画という意味だと感じました。

あの世情からして本来ならバタバタと通り過ぎていく流れに、ちょっと落ち着いたシーンを入れたんでしょうね。夕暮れの静かな時間がうまく表現してありました。
これは原作にあった肖像画を描かせるというエピソードを取り上げる際に、どういういきさつだったのかをアニメのスタッフが自分たちなりに解釈をつけて、具体的に説明したシーンの一例だと思います。
原作の行動にアニメなりの意味づけをしていったというのはこの場面だけではないですが、それらの解釈が原作ファンに受け入れられたかどうかは謎です。
(私もかつては色々と受け入れられなかったので)
とかく、原作にない場面を付け足すと賛否両論になるんですが、両論が出てくることでオスカルの考えがどうだったのか、自分のオスカル像がどんな風なのかを自分なりに考える良いきっかけになります。
つまり、アニメがそういう一つの解釈で描いてあると、ふと考えつくのは逆に、「どうして原作オスカルは肖像画を描かせたのか?」という事です。
これは解釈が色々と出てくるでしょうが、原作についての事はここでのコメントは省きます(自分で言いだしておきながら気になる……誰か語って〜〜!)。

さて、その肖像画のシーンですが多分、屋敷でブラウス姿で二人きりというのは後半に数少ないシーンです。
原作と違う雰囲気になったのは、できあがった肖像画をアンドレと二人きりで眺めるというシチュエーションと、ふたりのそれぞれのモノローグにも似たセリフ。
絵を通じて二人の気持ちがそれぞれ語られています。
普段オスカルに対しては仕事を通じてのつながりがほとんどというアンドレが、ここでは彼女に直に言えなかったことを、絵に向かって告白しています。
現実、面と向かって言われると「さぶぅー」いセリフをうまく処理してありました。
もちろん、この抑えた感情をオスカルが気付かないはずはありません。
その上、語りながら絵がまともに見えない彼はオスカルに目の悪化をはっきりと悟られてしまいます。

それから、オスカルの彼への想いがまたここではっきりと出ています。
彼の想像の絵に対して、彼女は架空の話をつきあっているのです。
彼の目が見えないことが自分の前で決定的になった瞬間なのに、胸を痛めているであろうオスカルはその素振りを彼に感じ取られないよう、そっと涙を流しますが、その涙は次第に彼への感謝の気持ちがおおい被さっていきました……。
目線も合わせていないのに、こんなラブシーンもあるのですね。
下世話な話、私はこの時点で彼女はアンドレに抱かれてもいいと思ったんじゃないかなと思います。(ほほほ、本当に下世話ですわ〜!)

この日、屋敷に帰ろうとアンドレの手を取る彼女がいかにも誘う女と化して、いつもと少し態度が違うと胸騒ぎがしたのですが、いかにもアンドレを手に入れようと(変な意味ではなくて)する女心が見えました。

アランは自分が直接、大切な伝令を持ってきたことで律儀さを感じました。
それからジャルジェ父、もうこのオヤジィ〜、泣けるほどいい演技です。
アンドレの肩に手を置いて、もしお前が貴族なら祝福していたと言いつつ、必ず戻ってこいというのは、祝福している以外にありません。
それとダクー大佐が……いかんっ、長くなるのでこの辺にしときます。
     



対談Bへ続く!

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