ベルばらオンリー掲示板 3

●うさ(478) 題名:はじめまして 投稿日 : 2001年5月26日<土>00時27分/女性
はじめまして。よろしくお願いします。今までこちらをひそかに拝見させていただいていたのですが、最近またアニメを見る機会がありましたので・・。
アニメて、過去に批判されていたのですね。そのことは全然しらなかったのですが、私はアニメの中では、後半部分が好きでよく繰り返し見ておりました。(昔、ビデオを持っていました。)私の中では、原作を読んでも、この後半の落ち着いたオスカルのイメージを持っていました。だから、前半のオスカルが「何か、違う」などと思っていました。
単なる、思い込みですけど・・。
あんまり、感想になっていませんね・・。
また、もうちょっと考えをまとめたら、お邪魔させていただきます。



●ロビー(687) 題名:King of 男 投稿日 : 2001年5月24日<木>16時18分/女性
海音様
アンドレバッシングについて。そ〜んな評価があったのですかっ!私は全く知らなかったので新鮮でした。数ヶ月前に始めたネットを通じてみてもA賛美の方が多いような気がするし、私の中での彼は”King of 男”(笑)なもんですから。。。子供の頃は地味(に当時は思えた)なAより”北欧の貴公子”なる王子様チック(に当時は思えた)なFに目がいっていたのですが、大人になって新たに見て「Aとはな〜んといい男なんだろう!世界中探してもそうはお目にかかれない」と感嘆したクチなので、バッシングされている言葉だけ聞いても理由が分からないのでピンとこない感じです。最近思うのですが、そもそもベルばらを見るときに多くの人が忘れがちなのが2人の間には厳然たる身分差があるってことのような気がするんです(思い切り私の勝手な解釈ですが)。。。当時の身分制度って現代人の想像を絶するものと思うんです。だからOAが日頃いくら主従とは思えない程親しくしていても、彼が彼女に対してひいているのは当たり前。ましてや想いを打ち明けてもどうにもならないから秘めていることも当たり前。平民に生まれついただけで生活力ないのも仕方ない(笑)(思うに彼はとても有能で現代に生まれていたら何かしらでそれなりの成功をおさめていたと思うのですが)。それでも彼女をああいう形で愛し守ることを自らの使命と課し、それを生涯全うした彼は、と〜っても強い人だと思うのです。私には”泣く”=”弱さ”とは思えないですし〜。
それとちょっと話がずれますが、身分に絶望しながらも彼女を諦めなかったのは、彼の一方的な情熱だけではなかった気がするんですよね。熱いけどクールで洞察力があり的確に状況判断もできる彼。彼女が自分を強く求めていたことがよく分かっていたから諦めなかったのではないかと。そうじゃなければ彼はきちんと引くことができる人だと思うんです。彼女への想いに苦しんだのはあ〜んなに魅力的な女性の側に身をおくよう定められてしまった彼の運命じゃないでしょうか(きっと私がAでもOに惚れちゃうでしょう。Aの様な愛し方が出来るかは大いに疑問ですが)?それにベースには彼の楽観主義な性格があったのは間違いないと思いますけど(笑)。

何だかんだいっても結局は好みの問題かもしれませんね。ベルファンではないけどベルを知っている周りの人間に聞いてもバッシングこそないけれど、好き嫌いは結構割れましたから〜。



●なーかる(812) 題名:ウィーンの密使 投稿日 : 2001年5月24日<木>01時20分
なおこさま

私も読みました「ウィーンの密使」。
正確には3分の2ほど読んだところで、結末を先に読んでしまって、そのままコケているという状態です。
藤本ひとみさんのご本はこのほかに何冊か読みましたが、その中で英雄列伝のような3冊連作のお話があって、そのなかでアントワネットを取り上げられていましたが、あまり彼女のことをお好きではないようにお見受け致しました。でも本の中身全体は面白かったです。



●海音(681) 題名:前振り! 投稿日 : 2001年5月24日<木>01時18分/愛知県
>かおるくんさま
はじめまして。おぉー!!っと読ませて頂きました。「見えるのは火だけか」を前振りと踏んでの解釈!おぉっ!なんと深い!そんなところからも捕らえられるのですね!なるほど!!
なーかるさまのおっしゃる通りだと思います。だからこそ、意見を”闘わせる”必要はないのですよね。法律を作らねばならないような、政治のようなものとは違うのですから、気楽に意見交換して世界を広げられるといいですよね。

ちなみに、新たに提起してしまうかもしれないんですが・・・。気になっていたのでひとつ。実は、私が周囲に”アニメバッシング”の雰囲気を見ていた頃、”アンチアンドレ”も結構いたのです(涙 < あ、私は彼が大好きなので)。ジェロ派、アラン派の方だったのかもしれませんが、ともかく、「ひ弱」「優柔不断」「生活力なさげ」などなどなど。彼が身分の違い故に堪え忍んできた姿、泣くことが(草をむしったりとかしながら)多いことが、”弱さ”ととられたのでしょうか。あと、事実、人道的にはずしそうな行動を何度かとりかけましたから・・・(汗)。とにかく、アニメほどのバッシングでないにせよ、悲しい評価がありました。(もちろん、熱烈ファンも大勢おられました。)好き故にいじめてしまう人も多かったようですが(笑)。
オスカル像の解釈もですが、アンドレの解釈もまた、ものすごくそれぞれだろうなぁと、思うのでした。いい男ととるか、情けないととるか、見ている部分は同じでも、解釈ひとつで反対になりますものね。



●なーかる(903) 題名:すごーい、持論がいっぱい! 投稿日 : 2001年5月24日<木>00時48分
かおるくん様
はじめまして。カキコミありがとうございます。
解説のほうはしばらくアップしていませんが、おりを見つけて続けていきますので、しばらくお待ち下さい。
汗(^^;)

それにしても、アンドレの撃たれ方についても、皆さん、色々とお考えがおありだったのですねー。色々聞けてたのしー。
かおるくんさまの「ろうそくの火がみえる=銃の火」はなるほどーと、うなりました。
弾丸よりも早く動けるアンドレ……ホントですね。
この場面、そのままアニメにしたら、きっとスローモーションですね?!
で、弾が「ドァァァァーンンンッッ」とゆっくり発射し、アンドレが本能的にかぎつけて飛び出していたりして?
(誰か私を早く止めて!)

解釈なんて絶対、合ってる正解なんて無いんですよ、きっと。
作品から受けた感動とかについて、自分の気持ちの中で納得がいく解釈が、たまたま誰かと一緒だったら
嬉しいけれど、違っていたら「なるほどー」と新たな発見だと思えばいいし、自分の思い込んでいる「ベルばら」とは別の世界が広がるわけですし。

アンドレの撃たれ方についても色々出てきましたね。
アンドレはオスカルに向かって銃が発射されたことを知っていたのか、知らなかったのか。
アンドレはオスカルをかばったのか、それとも流れ弾だったのか。
アンドレはオスカルをかばって死ぬべき物なのか、そうではないのか。
アンドレはオスカルを守るために死のうと思ったのか、それとも守って共に生きようとしたのか。

こんなの、好みですよね、実際。
どれが正しくてどれが間違いだなんて誰が言えましょうか。
「自分の物差しで人を計るな」とも言いますし。
…うわー、こんなことを考えていたら眠れないっ!



●かおるくん(850) 題名:はじめまして 投稿日 : 2001年5月23日<水>18時57分
こんにちは。2か月ほど前からアニメ対談・解説を見て、そのコ−ナ−がUPされるのを心待ちにしているアニメファンの1人です。数日前にこの掲示板を発見し、皆様の熱い思い入れを感じ、嬉しくて、ネット初心者であるにも関わらず書き込みをしたくなりました。
実は、アニメをリアルタイムで見た頃、バッシンッグされている箇所には私も同じ事を感じていたと思います。(それでもアニベルは大好きでした。大人で、思慮深く落ち着いた雰囲気のO様が大好きだったからです。)だから対談・解説・掲示板を見たとき永年の疑問が解けて「なるほど・・・」と呻ってしまいました。特に「夫婦宣言」や、F伯が謎の貴婦人の正体を暴きに来た理由などのあたりです。
ところで、書き込みたくなったのは「AはOを庇って死んだ」の所の私の解釈を聞いて欲しかったからです。永年私は、「AはOに向けられた銃口が火を噴くのを見て反射的に飛び出して盾になった」と思っていました。それはちょっと前のシ−ンで「だめだ・・・!見えるのは
火だけか・・・」と言ってるのが前振りになっていると思うからです。
そう、思ったのは私だけでしょうか?
でも、1つ変な点は銃弾より早くAが動けるわけないってところですね(笑)
また、みなさんの熱い語らいに参加させてもらうかもしれません。
いろんな、解釈を今後も聞かせてくださいね。



●海音(472) 題名:またもや持論を展開してすみません(汗) 投稿日 : 2001年5月23日<水>14時24分/愛知県/女性
>かばって死んだのではない(原作)
これに関しては、以前別のHPで質問があり、私なりの解釈を述べたことがあります。ので、もしかしたら、読むことが2回目になる方もおられるかもしれませんが・・・。
私の解釈は、こんな感じです。「咳き込んだ(病気を勘付いていた感があるので)オスカルを気遣い、身を翻して駆け寄ったところ、オスカルを狙った敵の砲弾を受けた」ので、”かばって飛び出したわけではないが、結果的には、彼女のうけるはずだった弾を受けてしまった”んじゃないかなという感じです。つまり、アンドレは、オスカルの馬の正面(鼻先)に横向きで走り込んでいますよね?オスカルは司令官ですから、敵に対して正面を向いているはず(敵の動きをみて指示を出しているはずだもの)。ということは、アンドレは確かに、撃たれた時、オスカルと敵の間に立っていたのではないだろうか、と。そして、彼は左から弾を受けていたように思ったのです。あぁ、心臓側だわ(泣)。というのが私の予想したところでした。(結果的にはかばったことになるのかしら。)ロビーさまとは、似た感じの解釈なのでしょうか?
ちなみに、アニばらについては「犬死にだわ」説をよく聞きまして、それもバッシングの対象であった記憶があります。私も最初、「命をかけてオスカルを守るのだ」という彼の信念を貫かせてやりたかったがために、”流れ弾にあたって”という幕のとじ方には大変納得がいかないと思ったことがありました。でも最近、「アニばらは、オスカル自身がいっていた”私は無力だ”という、皆ただの人間であるという部分を、より強調して描いている気がする」と感じてから、いろいろな人の”死に方”というものも、それなりの意味と情緒を感じつつ理解できるようになってきました。まだまだ(私の解釈の)足りないところは多いですが(汗)。

いつもかなり持論を展開してしまうので、どきどきしながら書かせて頂いています。ひとつの解釈として、軽く読んで頂ければ幸いです。自分の意見の穴というものは、自分ではなかなかみつけにくいものです。ですから、他の意見や、私の解釈の不明りょうな部分、つじつまの合わない部分を、みなさんにどしどし指摘頂いて、もっともっと解釈を深めたいわ、な〜んて思っている次第なのです。



●ロビー(716) 題名:ドキドキ。。 投稿日 : 2001年5月23日<水>01時41分/女性
こんにちは。
私も先頃のBSアニメで後半からぐんぐんはまり、おんおん様と同じく28話を見て原作を慌てて買いに本屋に走った者です(爆)。子供時代好きな作品だったにも拘わらず内容は忘却の彼方で、レモンを見て「こんなのあったけ?」(なんと!こんなメジャーなエピソードにも拘わらず)状態だったものですから。。。初めて見た時Oの「記憶にもとどめない」発言は、「私も忘れるから気にしないでいいよ」というOなりのAへの思いやりをこめた発言であると同時に、「でもあなたの気持ちには応えられない」と言っているようにAには聞こえたんじゃないか、と思えて何だかAの立場になったようにがっくりしてしまったものです。これって爆弾発言かもしれませぬが(大汗)、私は逆に死ぬほど愛してる女性と四六時中一緒にいて今までよくあのような類の行動を起こさず耐えてきたな〜とAに同情してしまう様なところがあります。勿論あの行動を肯定する訳じゃあありませんが(というか行動としては間違ってますが)、私的にはOはAを潜在的に愛していたと思っておりますので、あの時点では驚きショックでも結果的には。。。(あ〜やっぱ爆弾かも!!何卒ご容赦を!)OA共日頃あまりに自制心が強いせいか、ある時突然大胆な行動になってしまうみたいですね。Oのドレスといい、 Aの未遂といい。。原作を読んだ後、原作とアニメでレモン後のOAの関係がかなり違うことにも驚きましたが、アニメで未遂事件のその前にすでにOが「もう供はしなくてもよい」とAを遠ざけようとしていた方が実は何か不思議でした。「私1人では何も出来ない」という原作Oに対し、Aなしの自分を想定(?)できてしまうアニメO。レモン後の対応もすぐにAをいたわる原作Oに対し、意識しまくりのアニメOを見るにつけ、どうも私にはアニメの2人を”光と影”という風には見ることが出来ません。原作以上に対等な関係に見えるというか。(逆にすぐにいたわっちゃう原作OってAを対等に見ていたのかな?と思うことも)
ところでBSアニメ放映時、自分以外の人に感想を聞きたくて無理矢理(笑)知人(ベルファンではない)にアニメと原作を見てもらって感想を聞いたのですが、「アニメではOがAの自分への長年の想いを”受け入れた”ように見え、原作ではOが自ら”欲した”ように見える」と言っておりました。私は違う感想を持っておりますが、なるほど見ようによってはアニメOAの関係はそんな風にも見えるのか〜と思いました。

MOMO様
私も原作でのAの死は”かばった”のではないんじゃないかな〜?と思ってました。Oの咳き込む声を聞きつけて思わず飛び出してしまったんじゃないかしら、と。1つの場面でも人によって解釈は様々で、そのいろんな解釈を拝聴できるというのは本当に楽しいものですね!


●MOMO(968) 題名:キャラは作られる。 投稿日 : 2001年5月23日<水>00時06分
ベルばらに限らずその作品のキャラクターは読み手によって作られてゆくものだと思います。万人が同じように感じていたとしても細かい部分で違っていたり・・もちろん大きく違う場合もあるでしょう。作品を浅く読んでる人にはそれなりの作品でしかなく、キャラクターの深い考えなんて計り知れません。逆に思い入れが深い場合には作品以上の・・作者もびっくりするような感想が返って来ると聞きました。他の方の意見を聞きながら、自分なりのキャラがダブった場合、ものすごく嬉しくなるのも当然でしょう。違う場合だとこんな考えもあるのかと感心してしまったりもします。しかし、けっしてしてはいけない事は、自分の好きなものを守る為に、他人の好きなものを否定する、認めない事だと思います。それだけならいいが、本気で攻撃するという行為がいかに無意味な事であるかを認識しなくてはいけません。負のエネルギーで燃える人にはいいのですが、負に耐えられない人もいるものですから。
話はそれてしまいましたが・・作品を読み、素直に感動し、自分なりの解釈で自分の打ち込めるキャラが見つかった時の嬉しさは言いようのないものですね。だから見つけたキャラを大事に守り、育てていくのがその作品を長く楽しむコツだと思う今日この頃です。
余談ですが、私は原作アンドレがオスカルをかばって死んだのではなく、セキをしたオスカルが頭をひょいと下げた為、それた弾が当たって死んだのだと思ってました。これはいっしょに見ていた友人と同意見だったのですが・・・そしてアニメも場所は違えど同じように流れ弾に当たっての最期だと・・・このように読み手のレベルによってキャラはいい迷惑を受けてしまうものなのですね。



●なおこ(737) 題名:ちょっと訂正 投稿日 : 2001年5月22日<火>21時15分/奈良県/女性
32歳のオスカルでした↓

それから今、藤本ひとみさんの「ウィーンの密使」という本を読んでいるのですが、その中のフェルゼンは×です・・・やはりアニメの世界と史実の違いというものが存在するのは当たり前なのですが、なんだかガックリしますね(汗)まだ最後まで読んでいませんが。
この本はツヴァイクのマリー・アントワネットという本と内容が違うのかもしれませんが。
王妃に何も忠告できないでただ傍にいるだけの人・・・けど、この人が後に逃亡計画に関与するので、そこを読んでみないとわかりませんが(汗)



●なおこ(993) 題名:楽しかったです 投稿日 : 2001年5月22日<火>21時03分/奈良県/女性
アニメ版各話解説コーナー、読ませてもらいました。なるとほど〜なるほど〜そうだったのか〜オスカルはそんな想いで・・・・と本当に読んでいて感動しました。オスカルの良き理解者であったアンドレに引けを取らないほどの深い深い愛情を感じさせてくれてました(*^_^*)←スイマセン(^^;愛情と言わせて下さい。
色々な感じ方と個々のオスカル像の違いというものを感じさせない本当に深い解説でした。
私なんかは自分の感想に絶対というものはないし、書いていて本当に感じていることかどうかもわからなくなるけど、解説を読んでいるとそんな迷いを感じさせないすごさがあるんです。

後残りの解説がとっても楽しみです。頑張って下さいね。

因みに私も年齢設定にアレ?と感じることが度々ありました(^^;33歳のオスカルが馬小屋?で二人で背丈を測りあったということを23年前と話していたのが一番混乱するぞーって(^^;5歳で初めて出会っているのにーって。制作者側はそこまで気が回らなかったの?とちょっとしたことが気になる私です。
後、色々ツボにハマってしまうユーモアな解説も笑わせてもらいました(爆)
本当に楽しくてそれでいて内容が深くて、愛情あって。

それから私がツボにハマったのはブイエ将軍です。最初のほうは声優さんも違ってましたが、オスカルとのやりとりの中で「ムハハハハ」と意地悪そうに笑うのがなんだかおかしくて(^^;ヘンなところでハマってしまう(^^;
すいません・・・感じたことを書かせてもらいました(汗)



●なーかる(264) 題名:ひょっとしてアホかも? 投稿日 : 2001年5月21日<月>23時27分
……と思ったんですよ、私の翻訳ソフト!!素直に訳せ〜〜って。
「感情的に外傷を起こす」って、もしかして「心が傷つく」と同義語?
ううっ、すみません、ギンネコ様ぁ。変なところで盛り上がっちゃいました。

ところでいろんな場面一つとっても、受け取り方が同じだったり違っていたり……何か、今更なんですが、オスカルってキャラクター像はやっぱ一人一人、少しずつ違うんだなーってしみじみ思います。

そいでもってオスカル像って、必ず一つでないとダメなのかなーって最近、ふと思うんですよ。
完ぺきにファンに共通するオスカル像は、本当は無いのかも?って。

私は原作やアニメや宝塚や実写版とかを頭の中でごちゃごちゃになってしまっていて、それらを合体させてブレンドしている事もあるし、自分なりにこんなオスカルが良いなと勝手に作っていたりします。
もしかして無意識に他の作品のキャラも合体させてるかも知れない。(^^;)

私も海音さんと同じく、場面ごとにそれぞれが違う解釈を持ち寄るのって、楽しいと思います。



●おんおん(911) 題名:確かに・・・ 投稿日 : 2001年5月21日<月>22時15分/青森県/女性
こんばんは。
皆さまのご意見を読ませていただいて、自分の考えも少し整理できたかなあ、という感じです。
原作にしろ、アニメにしろ、あの事件でオスカルはアンドレのことを一方的に責めてはいない、とは思っているんですよ。
なーかるさまや海音さまがおっしゃるように、アニメではむしろ自責の念の方が強かったんだろうなあ。
なんだか「自分を責める」という考え方が、アニメの場合普通になってしまっていて(アニベルのキャラってみんな責任感が強い気がするんですよ)大前提のように思っていました(^_^;

そうですね、個人的にあの事件は 原作では「アンドレの想いを思い知る機会」だったし、アニメでは「アンドレが男性であることを思い知るきっかけ」だったと思っています。

なーかるさま
私もやってみました、翻訳ソフトで和訳!(笑)結果は

「ある夜、オスカーは彼女がもう彼を必要としないと彼に話して、人〔←やっぱり・・)として彼女の人生を送って欲しい。
アンドレ(絶望的で、感情的に外傷を与えられる)は、制御を失って、neralyに彼女を強●する...」

あんまり変わらないですね・・・(^_^;
ちょっと英文をいじると

「ある夜、オスカルは彼に言う彼女は、もう彼を必要としない、そして、(彼女は、)男として彼女の人生を送りたい。絶望的で感情的に外傷を与えられたアンドレは、制御を失って、ほとんど彼女を強●する...」
(ギンネコさま、勝手にnearlyにしてしまいました(・・;))

うーん、どっちにしてもストレート・・・



●なおこ(665) 題名:奥が深いですねー 投稿日 : 2001年5月21日<月>18時51分/奈良県/女性
みなさまの奥の深い感想にただただ関心しています・・・

オスカルはアンドレの告白に驚きつつ、今は受け入れることができない・・・男として生きる決意(そんなこと無理だとわかっていたのかどうかはわかりませんが・・・)をオスカルなりにしたのだから、オスカルの性格上、そこでアンドレに傾くことはできなかったのではと・・・・一度決心したことに妥協はしたくないという気持ちのほうが勝ってしまってたのではと・・・あの時点では意地になっていたのではと思います・・・男として生きたいという決意を中途半端にはしたくなかったのではと・・・
だけど、否定しようとした女としての自分を認識するしかなかった出来事が、あのケンカでボコボコにされて涙で訴えるアンドレの姿だったのでは・・・これでオスカルの中でなにかブチ切れた気もするのですが(^^;
アンドレの初めての告白を自分の強がりで退けたけど、それ以上に行き場のない、どうしようないオスカルに対する気持ちをコントロールできなくなってるアンドレの姿・・・やはり自分で真正面から受け止めなくてはと思ったのでは。このままではアンドレが・・・というオスカルの優しさが最初はあったのでは・・・そうかこの時点でもう愛情に変わっていたのかもしれません・・・
だけどアンドレが亡くなった後の「愛していましたアンドレ ずうっと以前から」がこの時だったかこの前後かどうかはわかりません(^^;

だけどその後、ジャルジェ将軍が襲われて泣き崩れるオスカルにアンドレはハンカチを渡しますが、この時のオスカルの「ありがとう」という言葉と表情がやはりオスカルの心の中の変化を感じた次第でありますが・・・・


●海音(174) 題名:妥当な対応かも? 投稿日 : 2001年5月21日<月>00時56分/愛知県
未遂事件で、白熱したお話しになってましりましたねーーっ。参加せずにおられましょうか!(いや、無理!参加さしてっ!!)
私は、アニばら始まってすぐ原作の存在を知り、集めに奔走しましたので、正確には、”未遂事件”に関しては原作を先にみました。だから、あの事件が起こるだろうことは予測していたわけです。それでも、映像でみるとかなり心臓は跳ねあがりましたけど。恐怖や不安が伝わってきて、”アンドレの辛さ”が前面に出されていた原作のシーンに比べ、”女性としての立場”で、この未遂事件を受け止めました。お陰様で、しばらくぼーぜん自失ってやつでしたわ。
初め、彼女の「記憶にとどめない」というセリフは、私も心にぐさっっと来ました。でも私は、原作オスカルがアンドレをすぐに許しても違和感を感じなかったのと同様、アニメオスカルがあんなきつい言葉をいってしまったことも不自然には思わないんです。設定されている性格が違うから、違う反応なのかなーというか。
私は、原作もアニメも”服が破られ、ふたりがはっっっと止まってしまった”時点で、アンドレが正気に返り(びりって音に自分でびっくりしたんじゃないかとか思ったんですが/笑)、「自分はなんてことを!?」と後悔していることをオスカルは感じていたと思っています。だから静かに「それで、どうしようというのだ?」と諭したと。そして、ここから、なんですが。原作オスカルは、それが彼らしからぬ行為であったこと、誰より優しい彼がどれほど自分を責めるかもすぐ理解してしまい、優しいオスカル的に、これ以上なにも責められなかったんじゃないか?と。オスカルの手をとってなお愛していると告げるアンドレ。彼に向けられたオスカルの視線は”いたわり”を含んでいる気が。一方のアニメオスカルですが、彼女は切り替えがへたっぴーというのが私の持論でして(汗)。あの夜は”信じられない”気持ちで眠れなかったことでしょう。オスカルの中に生じているのは原作同様、あの行動への非難だけでなく、アンドレに対するいたわりもあるかと思うんです。「すまない、アンドレ」(アナウンスにあるとおり)と思い、「(アンドレが苦しまないですむように)できるだけ顔をあわせるまい」と思う。ただ、不器用な彼女は”何も言わずに、何もなかったように”すごすこともできず、別荘にいく。それを、ショックで引きこもるとか嫌いになったとかいうんじゃないのよっていうのを、「私は怒ってはいない。だが記憶にもとどめない。(お互い、昨日のことは忘れましょう)」という言い方になったのでは?と。しかも、意識しまくりでなんて緊張な面持ちの会話でしょう・・・。
自分に対しても責めるところがあり、アンドレの行動は非難に値する。両成敗。そんな時オスカルは、むしろ自分に対して厳しく見てしまう気がするのです。
っってなわけで、オスカルは被害意識より、アンドレへのいたわり、自責の念のほうが大きかったのでは、というところで、なーかるさまと同じと・・・思ってもいいのでしょうか?

ずいぶん細かく描いてしまいましたが、あくまで、非常に勝手な持論を出してしまいました(汗)。みなさまのどんな御意見も、お待ちいたしております。どうかお聞かせくださいませ。

ところで、外国語の単語のいみや、細かいいい回しのニュアンスって、別の言語に約すと伝わらないこと、多いですよね(汗)。



●なーかる(721) 題名:オスカル真面目な人? 投稿日 : 2001年5月21日<月>00時15分
おんおんさま
実のところ、オスカルってアンドレにあんな目にあわされた……という被害の念より、
彼の気持ちに気がつかなかった自分、今までアンドレを男として見ていなかった自分に対する反省の念のほうが大きいと思うんです。
アニメのオスカルって、何か事が起きた時、まず相手がどうだったかではなくて、まず自分はどうだったかを考える人だったような気がして…

ノルマンディの別荘で独りオスカル……
思い出しては怖〜い出来事だったけれど、フェルゼンに向けた自分の気持ちが、自分に向けたアンドレの気持ちと同じだとわかって、逆にアンドレをいたわる気持ちも持ったんじゃないかなーって。
と言うことは失恋で傷ついた分、アンドレの気持ちも分かることが出来たんだからあれはあれで良い人生経験だっだのかも知れないですね。
うーん、無理矢理、円満解決へ持ち込もうとしている私?


ギンネコさま
アレは、すっごく衝撃のシーンでした!!
アンドレの体重がいかにも重そうなのが、動画でリアルだったし、あれではとうてい力ではアンドレには逆らえない……って事が、ファンには衝撃だったっていうか?!
ところで私は無謀にもあの文章を手持ちの翻訳ソフトで解読しました。

【ある夜、オスカーは、彼に言います 彼女に彼が今はもう必要ではないおよび 人(ここはせめて男と訳して欲しかった)として彼女の生活を送っている希望。
アンドレ、自暴自棄であること、および感情的に外傷を起こすことは、コントロールを失い、彼女をneralyに強●します…】

う〜ん、意味はともかく、どうにも情緒性に欠けてますね〜〜〜(^^;)


●ギンネコ(749) 題名:レモン事件の衝撃(その2) 投稿日 : 2001年5月20日<日>21時29分
実は、以前から不思議に思っていたのです。レモン事件の件、オスカルはどうしてあっさりとアンドレを許せたのだろうか?って。 私がオスカルだったら、衛兵隊にもぐりこんだアンドレを他の隊に異動させると思います。オスカルだって隊長なんだから、それくらいの人事権は持ってるはずだし。だって、やりにくいじゃないですか。自分を押し倒した男が直属の部下なんて・・

 オスカルが浜辺に佇むシーンがありますね。彼女の表情から、どれほどショックだったか分かるような気がします。もう誰も信じられないって思ったかも。

以前、このコーナーのカキコにあった、例の喧嘩シーンのセリフ、「結婚なんて辞めてくれ・・」、あのシーンがアンドレのことを考え直すきっかけになったという意見、目からウロコでした。 でも、レモン・シーンは原作よりショックでしたね。アニメって絵が動きますから。

 カナダのアニメ雑誌、Protoculture Addicts のアニばら各話のあらすじで、28話にこんな表現があるのです。

 One night, Oscar tells him that she will not need him anymore and wishes to live her life as a man. Andre, desperate and emotionally traumatized, loses control and neraly rapes her...
 
洋の東西を問わず、あのシーンはやはり○○未遂に見えるんですね・・



●おんおん(606) 題名:レモン事件(?)の衝撃 投稿日 : 2001年5月20日<日>11時10分/青森県/女性
お久しぶりです<(_ _)>
ここを拝見していると、皆さん同じところに感動していても、視点が色々だったりするんだなあ、と興味深いです。

実は私、アニメの28話で本気でハマッて原作を読んだヤツです(ああ、恥ずかしい・・)
だから原作を読んで、「何でそんなに簡単に許せちゃうの〜」と思ってしまいまして。
原作を先に読んでいたら、また違う印象を持ったんでしょうね。
それはそうと、なーかるさんのおっしゃるように、シャツ引き裂き事件以降、オスカルのアンドレに対する認識は、正に大転換したと思います。
あまりのことに自分の頭と心がついていけなくて、アンドレに対してどういう態度をとればいいのかわからなかったのかも。

「記憶にもとどめない」・・・確かにキツイ言葉ですね・・・
初めて聞いたときも心に突き刺さったし、自分が言われたらと考えると なんかずっぽり沈んでしまいます。
「あ、フラれちゃったんだな」ってお先真っ暗みたいな。
でも、あれってオスカルがアンドレを許すために言った言葉のようにも思えるんです。
自分の中でなかったことにする → アンドレも気にすることはない って感じで。
それと、なかったことにしたい という彼女自身の願望もあるのかも・・・
今までのアンドレとの距離感が、彼女にとっては心地よかったんだと思いますし。
それならもっと優しい言い方にすればいいのにって突っ込まれそうですが・・、あの強い語調には
「でも、びっくりしたんだからねー!」という思いも込められてる気がします。
「怒ってはいない」んだけど、一言恨み言が言いたかっただけかもしれないですね。

ってたったの一言で色々考えちゃいました(^_^;
しかしこうして色々考えてみると、アニベルって言葉だけじゃない、表情だけじゃない、何かその場の空気までひっくるめて「感じる」作品のような気がします。
ビデオを観ていて、まるでその場に居合わせた気持ちになるのは、そのせいなのかも。



●なーかる(313) 題名:心がボロボロ 投稿日 : 2001年5月19日<土>23時25分
ホントに……絶交切った!!って感じでしたね。
オスカルってばシャツが裂けて、初めてアンドレが男であることに気がついたように思えるんです。
あんなに思い詰めるほど好かれていたのに、全然気がつかなくて…
もしかして、男という生き物をあまり知らなかったショック?

アンドレとは別の意味で別荘に頭を冷やしに行ったオスカルですが、彼が凶暴なまでに思っていた気持ちをぶつけてきたのでびっくりして、一人で心の整理をする時間が欲しかったんじゃないかなって。
…後になれば笑い話になっていたりして?!



●なおこ(584) 題名:こんにちは 投稿日 : 2001年5月19日<土>14時36分/奈良県/女性
記憶が薄れていた1話から20話を見ることができて、ようやく私の中のアニベルがつながりましたぁ。1話からの解説コーナーも、自分の中で色々な想いを巡らせながら読むことができます(^O^)

ギンネコさま

本当にそうですね!1話から既に印象に残るオスカルのセリフ・声の変化など、色々な発見がありました。
そうそうオスカルがアントワネットを抱えて落馬して意識がない時、オスカルが見ていた幼い頃の時の夢・・・5歳と6歳だったんでしょうか・・・あの二人のかわいらしさと笑い声にジーンときました(T_T)未来の二人の行方というものを考えるとジーンときますね・・・この時の友情が次第に愛情に変わっていくということを考えると切ないです。
それにアンドレはお母さんを亡くしているんですよね。6歳?で・・・かわいそうです・・・そんな時、オスカルの存在がどんなに重要になっていったか想像つきます・・・ひょっとしてアンドレはオスカルに母親を重ねあわせていたのかもしれませんね。それは死ぬまでずっと続いていたような気もします・・・それではマザコンになってしまうのかな^^;

それにしても、本当に印象に残るセリフが多いですよね。それに色々な表情・・・何も語らなくても、何を想っているのかひしひしと伝わってくるようで。

それからアニメ批判は私もつい最近知ったことですので、あまり詳しく知りませんが、全話を見てきて私がウーンと思ったのは、あのシャツ引き裂き事件の後のオスカルのアンドレに対する態度でしょうか・・・・「記憶にもとどめない」というセリフと、アンドレの「はい」というよそよそしい敬語遣いと、オスカルが去っていく姿をジッと立って見ているだけのあの寂しすぎるアンドレの後ろ姿・・・・原作との違いをあまり感じたことない私がウーンと思ってしまうところです・・・アンドレがかわいそうで・・・ま、色々奥があるセリフなんでしょうが、それまでのことを考えるとあまりにも冷たすぎるって思っちゃいます(^^;



●なーかる(602) 題名:今もあるのかなぁ? 投稿日 : 2001年5月19日<土>01時00分
昔、アニメバッシングがあった事は私も後で知りました。
私も熱くなっていた頃なら、アニメ批判をしていたかも知れませんが幸い、渦中に居ませんでした…。
今どの程度の批判があるのか、それは知りません…。
だからとりあえず、自分が批判をしていたならという仮定で、なおかつ過去形で書きます。

前にひょっこり書いたのですが、原作オスカルは何故か語りにくいのです。
オスカルというキャラを分析せずに、自分たちの理想であり続けて欲しいという願望から、とても特別な人として彼女自身を昇華させてしまったのではないかということです。

私が思うのは、アニメ批判とは原作オスカルを語るための道具だったのでは?と言うことです。
アニメは○○だから嫌…という批判の逆が原作オスカルであり、原作とアニメ比較の優劣は、「優」が原作オスカルであると訴えていたような気がします。
つまり、アニメ批判によって原作オスカルを語らずして高く評価し、浮き彫りにしていたのかも知れないと言うことです。

又は…もう20年も前にアニメを見て「これは私の望んでいるベルばらではない」という感覚を、原作ファン(のうちの何割か)が共通の想いとして抱いたと思います。
ファンが一致団結して高揚できる感覚を共有するためのネタがアニメ批判だったのかも知れません。

そして、自分の経験から言いますが、当時、どうしても「原作通りに」というこだわりを持っていた者にすれば、アニメの内容の出来不出来という以前に、「原作通りの展開を変えた」事について非常に疑問を感じました。
(今はそんなことはどうでもいいですが…)
ただこれに関しては、アニメ化に伴う過程で原作者とアニメ制作者が納得した上でアニメが作られたかどうかを問うもので、「内容の是非」ではありません。
当然、アニメ化の企画にファンが参画できないという歯がゆさもあったでしょう。

もし、アニメ批判そのものが、アニメの「存在の是非」を問うものであれば、アニメの内容を批判する以前に「アニメが原作と違ったことが何より嫌だ」という感情を自己分析して、わかりやすく解説すれば、自然と「原作オスカルとは何か」を語ることにつながっていったのではないかと思います。
…って結局、私、原作を語った物を読みたい…のでありました。(^^)

堅い話になっちゃいましたが、ところで今、流れている志垣さんのアリ●ースのCM、
もうバカウケです。
ちょっと前なら「志垣さんが出てるー」という程度だったけど、この掲示板で色々お話していたせいか、志垣=アンドレモードになってしまい、あのCMってどう見てもアンドレがやっているとしか思えません!!爆爆!!



●MOMO(428) 題名:内容は・・・ 投稿日 : 2001年5月18日<金>23時50分
アニメ批判の内容は夫婦宣言とかアンドレ流れ弾死とか色々あるみたいですが・・・私は昔のアニメ批判を知らないのです。きっと似たようなものの繰り返しだと思います。昔は原作を好きな人が主流だったのでしょうか?きっと原作のみを好きな人にとって他のベルばらは違和感があるのではないでしょうか?私も昔は原作のみが好きでした。連載中は女性の地位がまだ低く、オスカルみたいな女性にひかれました。しかし彼女のような上司はお断りだとは思っていましたが。私がアニメにひかれたのはほんの4年ほど?前だったかしら?こんなにいいさくひんだったとはと感心して見てました。私の大嫌いな毒殺事件もアランセクハラ事件もフランス万歳もなかったし・・・何と言っても後半の絵がいいわ!


●海音(335) 題名:やはりまだあるのですか? 投稿日 : 2001年5月18日<金>23時32分/愛知県/女性
>アニメ批判
やはりまだ、あるのですか?お陰様でわたくし、今はむしろ、アニメ批判を聞くことの方が滅多にない環境におります。10年くらい前までは、バッシングの嵐の中で小さくなっておびえて(ぷっ)いたわけですが。以前は原作の根強いファンが主力年代でしたし、時代の気運的にも女性はかなり”対等”に敏感で一生懸命な感がありましたので、アニメ批判をする人がなにが気に入らないか、(全て同意というわけではないまでも)なるほどと思うこともありました。が、最近では、いわゆる”運営側”の人間にもアニばらから入った人もかなり多く、世の中もさほど”男にまけるもんかーっ!”と気負った感もなく、女性が上司であることもさほど珍しくなくなってきました。20、30代の女性に聞く「今これからどうなりたい?」アンケートも、10年くらい前は”キャリアウーマン的”、ばりばり仕事も続けて自立したい派が半数を越えたのが、現在は「お嫁さん、専業主婦」という意見が逆転して多いとか(ラジオでいってました)。だからというわけではないのですが、自分の耳にあまり入らないせいか、アニメバッシングもかなり少なくなったのかなーなんて思ってました。あぁ、勘違いだったのかしら。なにぶん、井の中の蛙であります(涙)。今って、どんな部分がバッシングの対象なのかしら?批判を聞くのは気持ちよいことではないながら、その意見も気になっている私です。



●MOMO(710) 題名:ベルばらって・・・ 投稿日 : 2001年5月18日<金>00時01分
アニメって未だに批判されているんですね。一体どうしてなんだろうと思う時があります。きらいなら見なきゃいいのにどうしても意識せざるをえない、と言う事は好きの裏返し?それとも本当に憎んでいるのかな?どっちにしてもそのエネルギーを創作にまわせばもっと違う結果を生むのでは?嫌いな事を語るより好きを表現する方が楽しいと思います。私はベルばら何でもOK事務所ですからアニメも原作も好きですよーっ!



●ギンネコ(231) 題名:第1話について 投稿日 : 2001年5月16日<水>20時23分/埼玉県/女性
私も、なおこ様同様、第1話のオスカルの声の変化に注目しました!
初登場の、剣の稽古シーンの声、はつらつとしたおてんばぶりがかわいらしかった。でも、春の嵐のシーン、「走り続けている時はいい・・」の部分、既に14歳の声ではなかったですね。(もう、子供時代は終わったんだわ。おいたわしい・・)
殴り合いのシーン、私も初めて見たときはびっくりしました。手を握るシーンの後、「おまえの生き方を規制したくないんだ。だから、なにも言うまいと心に決めたんだ」ってセリフがありますよね。涙を見せまいとして、馬でかけて行くオスカル、「女に戻るなら今だぞ」と叫ぶアンドレ。このシーンはジ〜ンときます。
前半の長浜演出の中でも、第1話はピカ1だと思います。
それにしても、アニばらって、印象的なセリフが多いわ。とにかく脚本がしっかりしてるな、と思います。


●なおこ(802) 題名:お久しぶりです 投稿日 : 2001年5月16日<水>17時46分/奈良県/女性
ゆりえさま

いいですねぇ。生対談。私の周りにはベルばらを一緒に語れる人はいない^^;どうしても一人でベルばらの世界に入ってしまうみたいな。だけどそれも良いことですよね。こうやってみなさんで語り合うのも良いですけど。

それから縁あってベルばらの1話から初めてちゃんと見ることができたんです!
ジャルジェ将軍の登場から始まるのですね。
対談にも書かれてますけど、オスカルとアンドレの殴り合いはぶっ飛びでしたぁ。グーで殴っていたんですよね^^;だけどその後の手を握るシーンはたまりませんね。その時のオスカルの声ももう素敵ですね。最初は声が幼くきこえたけど、この時はもう14歳の声ではありませんでした。「アンドレ、言ってくれ」というセリフも良いです。



●ゆりえ/オモテ(452) 題名:ナマ対談3 投稿日 : 2001年5月16日<水>09時37分/海外/女性/60才
皆々様
ご報告が遅れてごめんなさい〜〜m(_ _)m
今までバテておりました。ムチャが効かない歳になったのね。悲しい。
先日5月12日・・大阪のイベントへ出るついでに、なーかるさん宅に泊めていただき、なーかるさんのお姉さまMOMOさんプラスでナマ対談ナマチャットをいたしました。大変白熱し、大変楽しゅうございました。
が、その内容は・・・・・・・書けない(笑)
一つだけはっきり言えるのは、アニメオスカルがやっぱり好きだー!ということです。
原作オスカルに比べて・・とかじゃなくです。
強いて言えば、子供と一緒?長女と次女のどっちが好きか?なんて、親だったら絶対決められません。どっちにも良いところがあるし。それは生まれた順番なんか関係ないし。けど誰だって、自分の子供が可愛い。
自分の子供かわいさに、つい、過剰に「いつも一緒にいるあの子のせいで、うちの子が悪い影響を受けている!」・・反応しているのが原作派かな〜〜と・・という意味合いの話はでましたよね?なーかるさん・・ということだけ書いておきましょう(笑)
でも・・どうして可愛い自分の子供?原作・・だけを見ててあげないんでしょうねぇ。
アニメが嫌いならほおっておいてくれればいいのにねぇ(あ、いっちゃった・・^^;)
私たちはアニメが好きだから、田島さんの声がたまらなく好きだし、妙なCMでてても志垣さんが好き(爆笑)
でも、だからってそれに比べて、原作が嫌いなんて思ったことはありません。
原作派の人ももっと建設的な思考を持てば楽しくて、アニメなんか気にならなくならないかなぁ?たとえば、原作の好きなとこだけを語る!何ページのオスカルの、アンドレの、あの表情が、あのセリフが好き!!とか・・余計なお世話??
でも、そういうの・・最近見たことも、聞いたこともないなぁ。
アニメ批判ばっかりで(あ、またいっちゃった・・^^;)
最近アニメの再放送とか再発売とか多いから、アニメからベルばらにはまる人・・案外
増えているのですよー。そして、いろいろ検索してここにたどり着いて、又好きになってくれる人・・増えているのですよ。ホント。
所が、原作を読んでいない人、中に入るんです。
だって、原作って、意外に手に入れにくいんですよ。
案外高いし、昔の絵柄だから、面白いという評判は知ってても、若い人は特に引いちゃう。
だからね、原作ファンの人が、原作って良いですよーって、キャンペーンを?(笑)
やれば、きっと「じゃあ、原作も読んでみよう!」と思う人が増えると思うんですよ。
内にこもっているから、よけい陰になっちゃうんじゃないかなぁ。
誰にも言えない、誰にもみせられないところで、悪口だけ言いあうなんて・・
かなしかないですかぁ?

う・・・・。
何が一つだけだ(爆笑)読み返したらきっと、冷や汗の爆弾発言のオンパレードに
なってる気がするけど、このままアップしますね。
イベント楽しかったんです。ナマ対談、ナマチャットもものすごーーく。
だから、他の人にも楽しい気分になって欲しいなぁ・・と思ったんです。
批判するのが楽しいといわれたら返す言葉はないけれど。
批判を聞いたり読んだりすると楽しくない!と思う人たちはいるわけで。私だけど(笑)
人が楽しくない気分になることを、楽しんでできる人・・この世には
そんなにいないってこと・・私は信じてます。




●なーかる(781) 題名:ナマ対談2 投稿日 : 2001年5月14日<月>23時49分
こんばんわ
オモテさんと久しぶりにお会いできて、嬉しかったですー。
何と言ってもナマ対談!あれもこれもと話をしました。
もちろん、オスカルとアンドレがどーしたこーしたとか、色々。

で、私たちだけではなく、ベルばらファンってみんなそれぞれが色んな「好き」を持ち寄っているんだなーって……。
ここの掲示板で、みんなでマジなことやちょっとした疑問とかカキコんでることも、対談みたいなものなんですよね。

ともすると、オスカルというキャラは雲の上に舞い上がりそうですが、どんな角度からでも、どんな切り口でもいいので、自分の言葉にして語っていくことが大切なんだなぁと思いました。



●なーかる(469) 題名:生対談? 投稿日 : 2001年5月11日<金>01時17分
そーなんです、お互いの家は350キロも離れているのに去年の夏は突然「今、金沢に来たので30分後に行きます」なんていきなりゲリラ訪問してしまったので……
お互いにいきなりすぎて、世間話で終わってしまったという!!(^^;)

今回は生対談!そんなことより本生が飲みたい!となってしまうかも知れませんが、ナマでじっくりと膝をつっつき合わせて対談する予定です。
んー、とはいえ、実際会うとマジな話よりどうでもいい話になってしまうんですが?



●ゆりえ/おもて(890) 題名:生対談。 投稿日 : 2001年5月10日<木>10時58分/海外/女性/60才
うふふふ。明後日、とりとんさんと生対談?いたしますぅ。
大阪のイベントに出るついでに(実はイベントの方がついで・・笑)
3年ぶり?でしょうか??とりとんさんの地元に寄らせていただきます。
うれしくて、うれしくて〜〜笑いが止まりません。うふふふふ〜。
なかなかこちらに書き込み出来ませんが・・対談もアップできませんが・・
実はメールではピンポンラリーのように、熱い討論がなされているのですよぉ。
こんな長文、一度に送信できるのか?・・というようなのばかりが。
でも・・何百何千と文字をつくしても、じかに語り合う様なわけにはいきません。
お会いするのは去年の夏以来・・どんなお話をしようか・・今からわくわく(^O^)内容は出来たら、ここで報告しますね・・って
出来ないような内容だったら、どうしよう!?(爆笑)



●海音(565) 題名:信念の衝突 投稿日 : 2001年5月9日<水>00時26分/愛知県
あぁ、やっとひと段落。ということで、登場させていただきに参りました。

>ギンネコさま
寛大なお言葉、ありがとうございます。お陰様で気持ちが軽くなりました。ほっ・・・。ところで、私も中学の頃、原作オスカルのまっすぐさ、困難に対してひるまないところ、とても憧れました。あの生き方を目指してきたはず・・・なんだよなぁ、と、時々思い出すと反省する今日この頃(汗)。逆に年を経るにつれ、アントワネットが「ありふれた平凡な幸せ」を求めた気持ちに、共感を覚えることもあったりします。

>オスカルとアントワネットの決別
この場面、私も好きです。(余談ですが、よく”オスカルとアントワネットの涙が反対向きに流れていて変”といわれていますが、これって、アントワネット側からオイスカル側に斜めに風が吹いているんですよね。だからあぁいう描写になっていることに、なんら不自然はないと思う私。)オスカルは、アントワネットは進言を受け入れることはできないだろうこと、予測できていたんじゃないかと思うんです。それでもなお、これだけはいわずにおけなかったと。この時点で、オスカルはアントワネットと相入れない方向に向かっている自分を認識していて、けれど直接いいにいかずにおけないところが、アニばらオスカルな気がします。原作のように、その場になって最終決断を下すのではなく、この決別の場面で、決断は下されたのだと感じ鱒ます。原作もアニばらも、いざというときに自分のとるだろう行動は、オスカルにはわかっていたんじゃないかと思うんです。ただ、おそらく覚悟を決めて自分の中で思案し先を見据えるオスカルと、覚悟を決めても、無駄と思われてもあがかずにはいられない(あきらめたくない)オスカル。どちらも、心をうたれてしまいます・・・涙。


●朱夏(892) 題名:36話のラスト 投稿日 : 2001年5月6日<日>02時14分/新潟県/女性
すみません、突然!ギンネコさまのカキコに激しく共感(日本語の遣い方変ですっ;;)して、思わずキーボードに手が伸びました;;。
私にも、36話のラストの、「王室が国民に銃を向けてはなりません」と言うオスカルはとても印象的でした。「言わなければならないこと」として、そして多分、最期の希望を込めて、アントワネットにきっぱりと進言するオスカル。ここで、「それはできません」と言い切るアントワネットも、多分今までにはなかったと思います。賭博や、一般の謁見についても、オスカルが進言する度に聞き入れていたアントワネットが、ここで初めて(・・・かどうかは確かではないのですが;;)、自分の意志で、オスカルの進言を拒む。今までお友達気分で接していたオスカルに対して、初めて1対1の人間として向き合った、そんな気がしています。(せっかく一個人としてお互い向き合えるようになったのに、進むべき道が違っていってしまうのが切ないのですが・・・)

アニメオスカルで好きなのは、変に意地を張らない所です(はっ、いえ別に、原作オスカル嬢が意地をはっているという訳ではありません。ただアニベルではそれが顕著な気がしただけです。・・・私だけかも知れないですが;;)例えば、ド・ゲメネ公爵との決闘の前日、眠れないオスカルに、アンドレが「恐いのか?」と聞く。そういう時に、あっさりと、素直に、「恐い」と言えるところが、私には彼女の魅力の一つです。
でもやっぱり激情的な性格はアニメも原作も同じで、アンドレ・・・苦労してますよね(笑)。


●ギンネコ(200) 題名:アニばらオスカルの魅力 投稿日 : 2001年5月4日<金>15時03分
私の印象では、アニばらオスカルは「寡黙で思慮深く、でもここぞという時にはしっかり自己主張する」女性に見えます。海音さまのおっしゃるように、古いタイプの理想の女性像に近いかもしれない。(もしかして、アニばらオスカルは出崎監督の理想の女性だったりして)
ゆりえ様のおっしゃるように、ブイエ将軍に講義したり、ラボーム大佐を背負いなげしたシーンもかっこいいのですが、私にとって一番印象的なのは、やはり36話のラスト・シーンでしょうね。「軍をお引き下さい。王室が国民に銃を向けてはなりません」(正確ではありませんが、だいたいこういう内容だったとおもいます)フェルゼンとの恋や、トリアノンに引きこもるアントワネットに対しては、彼女の気持ちがわかるだけに何も言えなかったオスカルが、ここでははっきり王妃に対して堂々と自分の気持ちを伝えてますよね。
「それはできません」とはっきり王妃が応えたことによって、オスカルは初めて「この方をもはや守りきれない」と思ったのでしょうね(またしても私の独断が入ってます)

それから、オスカルには結構男性のファンがいるらしいのですが、「もしかして、アニメから入った人では?」なんて想像してしまいます。アニばらオスカルって、「普通の女の子が無理して頑張ってる」って感じだったので、「僕が守ってやりたい」と男性ファンは思うのではないかしら(爆)


●ゆりえ(704) 題名:女性としてのかっこよさ!2 投稿日 : 2001年5月4日<金>07時41分/愛媛県/女性/50才
おひさ〜です!
なーかるさんとの対談がばく進ちゅうで・・こちらを読んでいても、なかなか書き込むまで行かなくて〜〜。なんか私たちって極端なんですよねぇ、なーかるさん?ほどほどって事を知らない(笑)
でも今日は久々私も仲間に入れてください〜(*^_^*)
女性としてのかっこよさ・・というか、アニメオスカルには女性だからこそ格好良く感じる・・ってあんまり思わなくって。
アニメオスカルだから、きっとかっこ良く感じるんだろうと思うんです。

アルデロス公護衛の時のてきぱきとした指示。実はサンジュストの手下だった男をアンドレとアランが撃とうとしたとき「撃つなー!」と叫んだのとか。
三部会の議場閉鎖をブイエ将軍に抗議したときとか、入場制限をした
ラ・ボーム大佐を一本背おいして、一喝したときとか・・いやはやカッコイイ!?
普段水のように静かに見える(画家の証言より)オスカルが、誰も止められない激流になる瞬間とでもいいますか・・。
いつもカッコイイより、ここぞと言うときに真価をを発揮するアニメオスカルって超カッコイイ〜〜と思うのでした。
・・あら?タダのミーハーカキコになってしまった(^_^;)




●なーかる(134) 題名:女性としてのかっこよさ!ナイス表現!! 投稿日 : 2001年5月3日<木>23時45分
原作世代って、どうしても原作のオスカルを基準にしてベルばらを考えてしまうのかも知れませんねー。
原作とアニメは別物として楽しんだらいいじゃないですかと言ってる割には、時々私も頭の中が混乱することがあります。
アニメらしさって何かなーって、ちょうど今、対談しているところなんですが……。
オモテさんの対談速度があまりに早くて、ひーひー言ってます。

私もなおこ様の「女性としてのかっこよさ」大賛成!
大男を負かしたから、あー、すっとした!って感じはないんですよ。
むしろ、オスカルがじーっと考えた末に、さりげなくしなやかに対応するところとかに惹かれます。




●ギンネコ(803) 題名:大丈夫ですよ! 投稿日 : 2001年5月3日<木>01時10分/埼玉県/女性
>海音さま
気になさらないでください。入力ミスなんてよくあることですから。

海音さまのカキコをみて、自分がことばでうまく表現できなかった部分がすっきりしてきたような気がします。原作のオスカルは、うらやましいくらいまっすぐですよね。原作を読んだ中学生の頃はそのまっすぐさがすごくまぶしかった。「私もオスカル様のように信念を持って生きなければ」と思ったくらいですから。
 でも、私も年をとったのでしょうか、いつのまにか安易な生き方をし、恥ずかしい限りです。



●海音(427) 題名:はっっ!(青) 投稿日 : 2001年5月1日<火>22時23分/愛知県
>ギンネコさま
もっ、申し訳ありませんっ(大汗)!!読ませて頂きにまいりまして、何とはなしに前の自分のカキコをみましたら、な、な、なんとっっ、ギンネコさまへのレスが呼び捨てになっているではないですかっ!!?私ってば、ちゃんと敬称をつけさせていただいたつもりでしたのに、このような大切なマナーの部分で失礼をしてしまいました。このような素晴しい場所ですのに、お気を悪くされていらっしゃらないか、とても心配です。ギンネコさま、本当にごめんなさい(涙)m(_ _;)m。

みなさまのお言葉へのレスをさせていただきたいと思いつつ、今週は余裕がないので、また改めて参ります(くぅぅ〜〜っ)。でも本当に、ここはものすごい熱い掲示板ですね。>ゆりえさま、なーかるさま
(あ、蛍の夜については、またゆっくり・・・くすっ > なーかるさま)



●なおこ(108) 題名:こんにちはー 投稿日 : 2001年4月30日<月>14時55分/奈良県/女性
みなさまの表現力には本当に脱帽です。いつもいつも読むだけでお腹がいっぱいで。
なーかるさまの「兵舎へ向かう二人」についての書き込みには本当に見入ってしまいます。私が感じてる以上に、終わりのない架空の世界がこんなにもたくさんあるなんて、ここの掲示板にお邪魔するまではわからなかったことです・・・・
私なんてベルばらを見た後、1、2週間は全く身の回りのことに手が回らなくなってしまうほど(^^;上の空になってしまうのです。何をするのもオスカルの声、印象に残るセリフが寝ても起きても離れない(^^;人の話も耳から耳へ抜けてしまうほどのめり込んでしまうのです(^^;もちろん1、2週間でそんな余韻が消えるわけでもなく。なんというのかなぁ、ものすごい切ない感情が1、2週間は頭から離れなくて。で、その後は別の感情が出てきて一応は気分は軽くなるんだけど。でも難しい。色々な感情が出てくるから(^^;そんなアニメと出会ったのがベルばらだったということです(^^;

それから私のオスカル像は、完璧すぎるカッコ良さではなく、女性としてのカッコ良さが垣間見える・・・そんなオスカルに惹かれますね。
たとえばテロリストのスパイだった男との閲兵式をかけた戦い、アランとの戦いのオスカルにはあまり魅力を感じません(^^;個人的にですが・・・けど、女性としてのカッコ良さが垣間見えるオスカルというのも自分ではよくわかってないので、書けませんが(^^;上手く書けませんね。これを書くとなると、私が好きな名場面を書くしかありません(笑)

そこで好きなシーンを一つ・・・
ジャンヌを捕まえるために偽情報に振り回され、疲れきっていたオスカルが、暖炉の前でワイングラス片手に寝入っているシーン。あの天を仰いでいる?姿と寝ている姿がカッコ良くて私は好きですぅ。ちょっとしたシーンなのに。オスカルは暖炉の前が似合いますよね。キマってます(*^_^*)ロザリーがそのワイングラスを取って、オスカルの頭がしなだれるのもなんとも言えません・・・その時の♪別れ♪も良いですねぇ。なんとも言えない切なさがこみ上げて参ります・・・


●ゆりえ(486) 題名:しみじみ(*^_^*) 投稿日 : 2001年4月30日<月>09時28分/兵庫県/女性/40才
なんかうれしいなぁ〜〜!こんなにたくさんの人に、いっぱい語ってもらって。
最初の頃なんて、私となーかるさんしかいなくて、寂しい思いをしていたのに!
今では毎日ここを覗きに来るのが楽しみになりました〜。
みなさんの真剣な書き込みに半端なレスは出来ないので、よ〜〜く熟考?
してから・・と思うと、そんなしょっちゅうできない・・(-_-;)
でも、きちんと隅々まで読ませてもらっていますので、これからも、ここをアニメに対するご自分の気持ちを整理、吐露、激白、詰問・・する場所にして下さいませ!
・・って、なーかるさんお帰りなさい。びっくりしたでしょ?
カキコミがいっぱいで(笑)
私なんか、圧倒されて、ただただ読みふけるばかり(苦笑)
こんな大きなうねりだったんだ・・アニメを密かに愛する人たちの想いって・・と、あらためて驚いてます。
私たち・・ダム建築したんですね?(爆笑)

そういえば・・アニメの7月12日・・さわりをちょっとだけ描いたことあったなぁ・・。
小さなサークルで、ページ数制限もあったし、技量もなかったし、消化不良もいいとこだったっけ。もう一度きちんと描きたいなぁ。



●ロビー(122) 題名:表現する難しさ 投稿日 : 2001年4月30日<月>05時28分/女性
なーかる様のカキコを読ませていただていたら出崎監督のインタビュー記事をちょっと思い出しました。
OAの恋愛に対し”彼らはやっとあそこ(=蛍)にたどり着いた訳じゃなく、お互い好きという気持ちを確認できた”と。
そして(Oについてという訳ではないけど)”革命で一番大変な時を耐えた奴は結局実は食えないが、そういう人達に限りなくロマンを感じる”とも。
私はアニメ→原作に入り別物として楽しんできたつもりでしたが、気がつくと何故か思考が原作ベースになっているみたいです(原作のここは描いて欲しかった、とか)。でもなーかる様のお話を伺うとアニメのスタンスというかメッセージというか、が自分の中で少しずつ構築されていく様で、無意識の拘りがすーっとひいていくのを感じます。

海音様!今改めて海音様のカキコと、それに対して一方的に書き連ねた自分の解釈を読み返してみてちょっとズレを感じました、ごめんなさいっ!
こちらにお邪魔するようになって感じたのは、(日常生活でも勿論そうですが)相手の真意を読みとるということの難しさもさることながら、自分の考えを文章に表現するのって本当に難しい、ということです。言葉足らずだったり、自分の気持ちとニュアンスが違う表現しかできなかったり。刻一刻と変化する考えや感情のせいか後で読み返すと赤面することも多々。。熱くなりすぎる自分に危険性も感じております(苦笑)。でもこの掲示板に出会い、こうして皆様の意見を拝見し楽しませて頂きながらいろいろ学ぶ(?)ことが出来て、私はとても幸せです(笑)!



●なーかる(753) 題名:どうしてベルばらが好きなのか? 投稿日 : 2001年4月30日<月>02時19分
朱夏さま
初カキコありがとうございました。また何度でもカキコして下さいねー。
どうしてベルばらが好きか、これに対して明確に答えられる人は少ないかも?です。
ファンはとにかく「好き」であることが前提で話をしているし、好きであることを説明しなければいけない場面もなかなか無いです。
それでも色々考えて、一人一人が自分なりに答えるのもいいかも知れません。

明日になれば好きになっている理由が少し変わっているかも知れないし、あさってには好きになった言葉をどこかで発見できるかも知れない。
答えは長い時間をかけて見つけだすのも楽しいですよ、きっと。
確かに何となくニュアンスで分かり合えるファンに対して答える場合と、一般の方に答える場合とでは違うでしょうが…。
突然、何か答えろと言われたらとりあえず、ファン以外の人に対しては「主人公の生き様が好き」とか「激動の時代の中で翻弄される人々の人生が見応え有り」とか「フランス革命の時代が好き」とか言うかも知れません。
それ以上言っても相手が引きそうなので?!

原作オスカル、まっすぐすぎて時々カッコ悪い目に遭ってますね。
生まれ年がそうであるように、猪突猛進型という説があったようななかったような?
原作オスカルが理詰めではない!いえいえ本当にニュアンスでわかりますよ。
原作では時々登場していたジャルジェ母の存在が大きいです。
アニメで母の存在が省かれたのは、オスカル自身に母の性格が入っていたからだと思います。
ここらあたりを取っても、原作とアニメのオスカルのポジションが違いますねー。
私はアニメのオスカルの性格からして、父の困った顔を見たら自ら進んで男になっていたと信じているので、オスカルが男として生きる事自体があまり不幸だったとは思えないんですよ。
むしろ不幸だったのは、人を思いやる事のできる女性が、平民の犠牲の上に成り立っている貴族として生まれた事と、激動の時代に生まれた事……かなぁ。

結構アニメオスカルって、器用貧乏なところを感じるんですよ。
やれば何できてしまう、そしてその能力を自分も知っている。
それが結果的に、人の賞賛を得るためではなく、縁の下でがんばるだけに止まり、本人はそのために燃え尽きてしまった。
アニメを通しで見て、ナニを最初に思ったかと言えば「こんな生き方があるはずない、こんな生き方は許されない」って事です。
この思いが正直、アニメのベルばらを好きになった答えです。
「こんな」のところが説明できてませんが。(^^;)

海音さま
原作でも堂々とそれなりの描写がありましたよ!!削除だなんて??!
でももし自主規制されてるのでしたら、続きはこっそりメールで下さい?




●なーかる(897) 題名:恋愛描写 投稿日 : 2001年4月30日<月>01時31分
さっき帰ってきました。
皆様のカキコミを読ませていただきながら、心に残る名場面が
こんなにも共通していることに驚いています。
さりげないシーンの中にオスカルの気持ちがうまく表現してあって、その気持ちが何とも「優しい」のが伝わって来るんです。
時には、張り詰めたり緩めたりという息づかいまでわかるほどです。これは場面場面の描かれ方が「いい加減に作った」ものではない、レベルの高さだと私は心の中で思っています(なら言うなよって?)。

二人の恋愛描写、確かに少ないです!
アンドレの身もだえる姿より、オスカルの傾いていく気持ちが好き!
というのは私も同感です。
もしかして話数の関係でカットされたのかも知れません。
実は、アニベルにはまってから、二人のあんなシーンやこんなシーンも見たかったと色々と思っていたのですが、いつの頃からか私は、原作での「二人の気持ちが沿っていく過程」をあえてアニメにあてはめるのをしなくなってしまった……のです。
原作は原作として楽しもうと割り切ったのかも知れません。
理由は、そうですね……アンドレと森で過ごした後、二人で馬を並べて兵舎へ向かうシーンがとても好きになったから?
と言えば答えになってません?…よね。
あの場面を見てから、二人の「幼なじみ・友達・相棒」という色々な信頼関係の上に、とても強い絆を感じたのです。
アンドレも子供の頃に半強制的にオスカルのそばに居ることを義務づけられ、二人が一緒にいることは外部の力が加わっていたのに対し、馬で駆けていくシーンは二人がひとりの独立した人間として、対等に生きる者同士が互いの意志で共に歩もうとしている力強い姿に見えるのです。
その基礎になる二人の交流は、色気のない日々の生活の中にあったのだろうし、結果的にホタルシーンで「やっとこういう関係になった」事を確認し、私は「二人が自分たちの絆をこういう形でも実感できたこと」で、幸せに気分になれるのです。
アニメを見ていると「性的」な行為が二人の行き着く先ではないと思っています。
だから突き詰めていくと、二人の強い絆が確認できたのだから、そういう性的なシーンはあくまでイメージとしてぼやかしてしまってはっきりと描写せず、そうと匂わすだけでも良かったかな?
とすら思いました(これって爆弾発言??)。

長くなりそうなので一旦、ここで上げます。



●海音(741) 題名:最近妄想づいてます(爆) 投稿日 : 2001年4月30日<月>01時12分/愛知県
>朱夏さま
”好きな理由”って、難しいですよね。私も答えられません。15年くらいはまってますけど、わかりません(笑)。でも、それでいいんじゃないかしら。なんだかわからないけど好き。それって、理屈じゃないところで好きなんだと思うのです。うまく言えませんが、説明できない”好き”って、すごく深いんじゃないでしょうか。

>ギンネコ
「原作オスカルは自分の信念を大切にする人で、アニメオスカルは他人の気持ちを大切にする人」なる程と思いました。大丈夫ですよ、”原作オスカルは理詰め”ということではなく、ちゃんとニュアンスわかります!(といって、正しくとれているといいんですが・・・。)変ないい方ですが、原作オスカルがリーダー(班の先頭で引率)タイプなら、アニばらオスカルは副リーダー(班の最後尾でみんなをみている)というか。原作オスカルも、人のことを一生懸命考える優しい人ですが、すごくまっすぐゆえ、人の気持ちは”気付く”ことより”気付かされる”ことのほうが多いですよね。そして優しさ故、知らなかった自分を深く責めています。(王妃の気持ちも、パリの食事も、隊員が銃を売っていた理由も、アンドレの目のことさえ)潔白なところはあるかと思います。正しいと思うことを先に考え、行動力あるがために”こうあらねば”が先行しますが、相手の事情というものを知れば、自分がそこまで気付くべきだったと責める。とても素直にまっすぐ、生き生きと育ったのでは、と感じます。性別の意識も、マイナスにはなっていませんよね。自らよく「私は女だ」といっていますし。原作オスカルに関しては、親の愛情を一身に受けてきたと思うんです。対して、アニばら(後半)のオスカルの方が、いつも相手の気持ちを先に先にくみ取ってしまうところを感じます。その分、いいたいことを言えなかったり、悩んでしまったり。いわゆる、よく気のつく、当時の”理想の女性”的面を併せ持っているせいかしら、と思います。そして、オスカルにとって女性ということがマイナスに捕えられている。みなさんのおっしゃる通り、”辛い””孤独”な気持ちを感じてきたことがあったのでしょうね。それゆえ、そういう気持ちに敏感なのかもしれませんね。と、私の勝手な解釈入ってます!?

>蛍の夜
細かく描かれていない部分なだけに、妄想かきたてられて面白いですよね(笑)。いろいろな誘い方を考えてしまいました(汗)。気持ちの上で”押せ押せ(おぉいっ)”だったのは確かだと思いますが、はたしてどのように攻めたのか(だから、お〜ぉいっ/汗)。映画見たいに自分から脱いだ・・・とまではあまりいきそうにない(というより、初めて何だからそれはやってほしくない/汗)ので、それではやはり、原作のように言葉で求めたのかしらん?それともそれとも・・・!?<これ以上は削除?(笑)>ゆりえさま、とりとんさま


●ギンネコ(654) 題名:すみません 投稿日 : 2001年4月29日<日>23時30分
下のカキコ、独断と偏見に満ちていて、読み返すと恥ずかしいです。
これじゃ、原作のオスカルがなんでも理詰めにものを考えるみたい。
それに、ホタル・シーンの「意思表示」にしろ全く私の妄想ですから。
(海音さま、本当に失礼致しました。それから、随分以前の話ですが、某サイトでの「アルザス地方の建築物」の話、本当にどうもありがとうございました。)

それにしても、自分でも理由が分かりません。なぜアニばらにこんなに熱くなれるのかが。



●ロビー(418) 題名:表現力に脱帽です! 投稿日 : 2001年4月29日<日>23時26分/女性
海音様
も〜、一気に視界が開けた気分、海音様の表現力にはひたすら脱帽です!OにはAに他に好きな女性がいないことは”分かっていた”訳ですね(納得)。Oの人の接し方は、相手が自ら話すことは親身になるけど、相手が話したがらないことは無理に聞かないという、常に相手を尊重するスタンスですよね。Aがそんな話をふられて笑いとばしたらやっぱり追求しないでしょうね〜。お互い人間として深く愛していてもAは健全な男性だからOを異性としても求めたけど、Oは”男性に女性として扱われて性を意識する過程を切り捨てたため極度のうぶ”だったため、Aに絶対的異性を感じさせる行為を受けるまでAの異性としての魅力には気づかなかった(というか意識しなかった)のですね!最初Aの気持ちを知った時、OはAの自分への気持ちがF伯に対して自分が抱いた気持ちと同じだという風に考えて(inノルマンディー別荘)、Aの気持ちを受け入れられないと思っていた様ですが、生い立ちを顧みるに相手の気持ちだけでなく自分の気持ちを受け入れるまでも時間は必要だったのでしょうね。徐々に長年何もかも知り尽くした筈の”実質恋人”Aに異性としての新たな魅力を発見し、とまどいながらときめきを覚えるようになっていくという感じでしょうか。。(←海音様のお言葉をお借りし勝手にまとめる奴)なるほど〜!エンディングソングである”♪離れられない2人の絆”を今更ながら体感(?)した感じです(笑)。

ギンネコ様
私もアニメOの特徴で際だっているのは「自分の気持ちより他人の気持ち」を優先させる(将軍も涙ながらに語ってましたが)ところだと思います。日本人のメンタリティにより近づけた結果なのかなぁという風に感じていました。個人的に原作よりアニメOに親近感を感じるのはそのせいもあるように思っています。
あと私も蛍シーンでは”それとなく”ではなく”はっきりと”伝えたのでは?と思います(雰囲気はもちろんあるでしょうが)(自爆)。あの日はやたらに積極的でAもびっくりしただろうなぁ。あの日1日のサイドストーリーがあったら是非読んでみたい!です(妄想炸裂)。



●ギンネコ(400) 題名:原作vsアニメの二人のオスカルについて思ったこと 投稿日 : 2001年4月29日<日>17時20分
アニメと原作、二人のオスカルを比べて、最も異なると私が感じた点は、原作のオスカルが「自分の信念」を大切にする人であったのに対して、アニメのオスカルは「他人の気持ち」を大切にする人だということです。
 このことについて、二つのシーンを比較したいと思います。

 まず、原作では、オスカルは王妃にフェルゼンとの恋愛に対して箴言し、逆に王妃から「あなたに女の心を求めるのは無理だったのでしょうか・・」と言われてショックを受けます。しかし、アニメでは王妃の気持ちが痛いほどわかるゆえに、本人には何も言えず、夕暮れ時に一人河川敷に佇み「陛下には国家の母としての義務があります・・」と独り言を言って、ポロポロと涙をこぼします。(アニメ20話)

 次に、ジャンヌ逮捕の件です。ロザリーからジャンヌの手紙を受け取っても、「しばらく考えさせてくれ」とアンドレに手紙の件を口止めしたり、ジャンヌには密告したのはロザリーではないと言いきったりで、結果的にはうそをついてしまいます。(アニメ24話)
 余命幾ばくもないルイ・ジョゼフに対してもそうですね。「やがて殿下がルイ17世陛下として・・」と言いながら、言葉につまるシーン(アニメ33話のあのシーン、大好きです。ルイ・ジョセフがオスカルに憧れたのが良くわかります。きっと小学生が担任のきれいな女の先生に憧れたのに似てるんじゃないかな?)
 アニメのオスカルは、少女時代に「ありのままの自分が受け入れられなかった」という心の傷をもつゆえでしょうか、他人の痛みに対して原作のオスカルより遥かに敏感な気がします。
 原作ではなく、アニメのオスカルに私がいつのまにか感情移入してしまうのは、多分この点にだと思います。

 それから、ホタル・シーン、実は私もオスカルが誘ったのだとずっと信じていました。レモン事件の後、オスカルを傷つけまいという思いのせいか、アンドレは妙にオスカルと距離を置いていますよね。32話の「私のアンドレ」のシーンの後、帰宅してから、オスカルはアンドレに「ショコラでもどうだ?」といって不器用な誘いかけをするのですが、アンドレに見事に振られてしまいますし。
 37話の冒頭で、オスカルはラソンヌ先生の診察を受け、余命を告げられますよね。自分には時間がないことを知り、ぐずぐずできないと思ったのでしょう、アンドレに対して急に積極的になりますよね。「たまには供をしてして欲しい」と言って手を握ったシーン、ドキっとさせられるものがありました。アンドレの方がとまどってましたけど。
 だから、ホタル・シーン、「それとなく」ではなく「はっきりと」彼女の方から意思表示したのだと思えるのです。残り少ない命のことを考えると、もはや怖いものはなかったと思えるのです。 これ以上書くと、妄想モードへ突入するので、このへんで辞めときます。



●朱夏(692) 題名:(すみません、下の続きです;;) 投稿日 : 2001年4月29日<日>03時14分/新潟県/女性
 ほぼ余談になりますが、私も、原作よりアニメの方が、登場人物の「主人公性」が薄いと思います。だから、オスカルの主人公性の濃い原作の方が、オスカルを「昇華」させ易いことは確かだと思います。 (でも個人的なことを言えば、「主人公性」の強さの違いが、原作とアニメ両方の魅力です。具体的に言えば、アンドレの最期は、「人の命に対する現実性」を描いたアニメの方が、オスカルの最期は劇的に終わった原作の方が、好きだということです。)

 この間、母に「ベルばらの何がそんなに好きなの?」と何気なく訊かれて、良い答えは見あたらず、何も言えませんでした。そしてそれが、自分では結構ショックでした。
 私はまだ、ベルばらに出会ってから1年にも満たないので、自分の中で「ベルサイユのばら」という作品に対する解釈、評価、考えがまだまとまっていない感があります。ここでみなさまの意見を読んでいって、自分なりの「ベルサイユのばら」の解釈ができるといいと思います。
 ここには、ベルばらにおいても、人生においても「先輩」がたくさんいらっしゃるので、とにかく若輩者な私は何だかおそれ多いばかりですが、これからも宜しくお願いいたします。
 
 急なカキコに加え、支離滅裂な文章、更に長すぎて2回に分割など(泣)、どうもすみませんでした;;。ここまで読んでいただいてありがとうございました。



●朱夏(388) 題名:初めましてです;;。 投稿日 : 2001年4月29日<日>03時09分/新潟県/女性
 脈絡なくおじゃましてしまってすみません。初めまして、朱夏と申します。今までもここの掲示板は覗いていたのですが、私はまだアニベルを全部見終わっていないので、そんな状態で話に参加するのも失礼かなと思っていたのです。でも、今久しぶりに訪ねて、今までみなさまがされたカキコを見ていたら、「伝えたい気持ち」というものが溢れ出てきてしまって、今キーボードを打っている次第です。(前置き長いですね、すみません;;)

 (初めましてのくせにいきなりレスるのもどうかと思いますが、)海音さまの、”「人間として愛して」しまっていた人の「異性」に気づいていった”という言葉に、とても納得〜共感いたしました。やっぱり「恋」とか「性」とかいう前に、純粋にただ「愛(?)」があったのだと思います。 逆に、オスカルのフェルゼンへの想いは、「愛」というよりむしろ「恋」に近いのでは?という気がしています。(でもこの時のオスカルには、彼女なりに真剣な恋愛だったと思います。アンドレとの事の”レッスン”だったとは思いたくありません。)

 唐突にかなり前の話題を掘り返して申し訳ありませんが、オスカルの絶対的ヒロイン像(原作)について、私なりに考えたことを書きたいと思います。 いきなりですが、私自身の事について言えば、私は原作オスカルを、絶対的ヒロインのように考えた(少なくとも、そう自覚して思った)事はありませんでした。きっとそれは、私が現在まだ10代で、時代がその頃(〜ここにいらっしゃる大半の方が初めて原作を読んだであろう時代〜)とは違うから、という理由があると思います。せめてもしも、私がベルばら大ブームの時に読んでいたら、誰かと「オスカルさまが・・・」と騒ぐこともできたと思います。でも、私にとって理由はそれだけではありません。確かに、原作オスカルはかっこいいです(いえ、アニベルでもですけど;;)。やること成すこと全部成功しています。女性だというだけでさげすまれる世の中で、凛として強く立っている、そういうオスカルが私もとても好きです。
でも、彼女はそれだけではありません(よね?)。原作で、私が辛くて読めない〜好き好んで繰り返したくないページがあります。それは、オスカルと、ポリニャック伯夫人の家を出たロザリーが再会して、介抱を受けるオスカルが、「食事の前に、ショコラか何か・・・」というシーンです。馬鹿みたいですが打ってて切ないです;;。 多分この時、自覚がなくとも少しくらいは、オスカルの中には「自分は他の貴族に比べたらまだ民衆の事を分かっている〜考えている」という自負があったのだと思います。確かにその通りです。でも、自分が「何気なく」口にした一言で、オスカルは自分が育ってきた環境と、今民衆が陥っている状況のあまりの落差に気づいたと思います。さらに、その瞬間に自分の微かな自負も崩れ落ちたと思います。 多分、ものすんごく恥ずかしかったことでしょう。言い換えれば、無意識の「思い上がり」を見せつけられて、自分で自分が情けなかったと思います。 オスカルさまはかっこいいです。でも同時に、結構かっこわるいのじゃないかと、私は思ってしまいます。(でもどうしてオスカルに「さま」付をしているのかは自分でも分かりません。「オスカルさま」と呼んでいるのは、実質ロザリーとその妹くらいのものなのに・・・)   

(いや〜〜〜っっ、初カキコにも関わらず、文字数多すぎるって言われちゃいました。すみません、分けさせていただきます〜〜;;)



●海音(261) 題名:長いので改めました 投稿日 : 2001年4月28日<土>22時41分/愛知県/女性
先程のと続けると拒否がきますので、わけました。ふたつ続きでごめんなさい。

>ロビーさま
オスカルとアンドレが、長い間ずーっとどういう感じだったのかなって、私もよく考えました。今至っている考えは、こんな感じです。あのふたり、ひとことで幼馴染みといっても、そんじょそこらの”幼馴染み”とはわけが違う。原作でも言っているように、実際”片時も離れず”だったんだろうなぁ、と思うんです。・・・アニばらでは、アンドレが独りで飲みに行ったり勉強会に行ったりしているので、通用しないかもしれないですが(汗)。それで、アンドレに「お前には好きな子はいないのか?」なんて、冗談ぽく聞くくらいしたことはあっても、実際”ない”ことはオスカルにはわかっていたはず。”ない”話を突き詰めようとは、オスカル的にはしなさそうな気がします。また、ふたりには、恋愛話以上に楽しい話や遊び(稽古)、宮廷等での相談事がたくさんあったと思うのです。逆に、アンドレは、オスカルに相談されなくても、フェルゼンへの思いを知っていただろうし、オスカルが秘めた辛い思いを抱いているとわかっている以上、うかつに恋愛話はできなかったでしょう(聞きたくもない、という説も/笑)。
もうひとつ思うのが、このふたり、お互いの傍にいることで満足していて「恋人欲しいな」とか「恋がしたいな」なんて思ったこと、ないんじゃないかしら?オスカルのフェルゼンへの想いは、恋とはいっても、具体的にどうなりたいか(恋人になりたいとか)とかいうものではないと思うのです。オスカルは、長年アンドレを異性として意識しなかったというより、普通のカップルが歩む”異性の意識”から始まり、一緒に居続けることで生じる”穏やかな慣れ”の、後者がすでに存在してしまった、ということではないでしょうか?オスカルが本当の意味での愛を他の男性に抱かなかったのは、「実質恋人(アンドレ)がずっといたから」とも思えます。とはいえ、ふたりの”恋人関係”はプラトニックなものでしたので、”性”を初めて意識したときに、もう一度”ときめきからやりなおした風”というか。つまりは、”異性として愛する”うえで”人間として愛する”ようになっていくのではなく、先に”人間として愛して”しまっていた人の”異性”に気付いていった。(オスカルが”性”を意識するのが遅かったのは、普通の女性が”男性”に”女性”として扱われて”性”を意識するという課程を切り捨てていたため、極度の”ウブ”のままで来たのだと思っています。)アンドレに”女性”を意識させられて、初めて”異性”を意識した関係に気付かされた。彼等は最初から、お互いが溶け合い過ぎていたのでは?”人間的魅力”については良く知っていたアンドレに、”異性の魅力”を見つけ初めてしまったオスカルは、ウブさがすごくかわいかったと思います。(アンドレは人間的にだけでなく、男性としてもなんと魅力的なのだろう!?みたいな?)いかがでしょう?




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