ベルばらオンリー掲示板 7

●なーかる(571) 題名:色々な想い 投稿日 : 2001年10月30日<火>00時32分
オスカルの想いを推測でつらつらと書いてしまいましたが、あの30代前半という(今なら特にこれからという)若さで逝くことはかなり後ろ髪を引かれることだと思います。

一度、幸せについて語っておきながら、全く逆のことを言っているのかも知れませんが、色々な見方をしておきたいので、逆説でも何でも考えてみたいと思っています。コケずにおつきあい下さい。

特にアントワネットとの別れの後、ジャルジェ父が久しぶりに登場したかと思うと、例の一件からかなり落ち着いたと見え、ひたすらオスカルの幸せを願っていました。
これはかなり効き目がある登場でした。
彼はオスカルのこれからの幸せを用意していたんですよね。
少なくとも、アンドレの肩に置いた手の力の入れようがかなりの決意を表している雰囲気でした。
男親が娘の恋人に対して信頼を置いたとき、ああいう感情表現をするのかなと。

それがオスカルの死と共によみがえってきて、私の落ち込みに拍車をかけてくれました。
生きてさえいれば…もし、オスカルが自分たちの生きていく上での幸せを後回しにしなければ、すぐにでも手に入ったものをわざわざ逃してしまったんじゃないだろうかって。
回る寿司屋で出来立てのハマチの皿が目の前を通り過ぎるのを見送ってしまった感じ……<違うだろー、私。

余談ですが、出動前、
父とアンドレは会話をしていますが、オスカルと父は何を話したのか、場面がないんです。
多分、日常と変わらぬ挨拶程度か、特別な風に会わなかったか、だろうと思いますが、会話がなくてもお互いが思いやっているというのがこんなにわかるものなんだなと思いました。
変な言い方ですが、結局、仲の良い親子だったんですね……しみじみ。

ところでうーん、キャンディショック。
とっても複雑な想いです。
ストーリーはもちろん、大切なのは解っているんですがもし、キャラクターがストーリーに合っていなかったり個性がファンに受け入れられなかったら、どこまでヒットしていたか解らないし、かといって、逆もまた言えるんですよね。
詳しい中身が解らないので、つっこんだコメントは出来ませんが、単純に、ストーリーとキャラクターを比較できるか?という質問があれば返答に困ります。

ただ、アニメ版ベルばらも原作者のストーリーにアレンジを加えて、キャラもオリジナル色が出ていたんですが、もし、あの作画がもっとレベルが低くて、印象が悪かったら、ここまでハマってなかっただろうなーと思います。




●おもて咲(348) 題名:ショック(@_@)2 投稿日 : 2001年10月29日<月>22時49分/石川県/女性/38才
キャンディショックで書きそびれました〜(^^;)
対談続きアップしてあります!
いよいよ対談は革新?確信??核心???へ!?
腰抜かさないで下さいね(爆笑)




●ペペ(343) 題名:深い 投稿日 : 2001年10月29日<月>21時59分/女性
ベルばらの登場人物についての、皆様の考察の深いこと深いこと。
私は、オスカルの性格を部分的にしか見ていまかったなあ。彼女は他人への心配りが細やかな人でした。それは大切な所のようです。悔いのない人生だったと思うのは(そんな気持ちもあったでしょうが)、自分がそう思ってむりやり納得させたいからだろうなあ。

 それにしても、この作品にはいろいろな人間が出てきますね。愛しあう人としては、オスカルたち以外にも、アントワネットとフェルゼン、ロザリーとベルナール、ジャンヌたち。
破滅に向かうなど理性で進んでいけない人間の不思議さ、愛情の強さを感じます。原作に
オスカルが「なぜ子どもは大人になって・・・苦しむのだろう」という考える場面がありますが、アニメの方でも、オスカルに限らず、生きていくのは大変なことなんだなあ、とつい思うこのころです。時には楽しい、とか生きていてよかったとかいうこともありますが。
現在の私たちもそうかな。

 おもて様、キャンディキャンディの話を見て複雑な気持ちになりました。
絵の美しさの与える影響は強いですよね。ベルばらに登場する人たちもその通りだと思います。



●海音(234) 題名:(自分に対する)付け足し〜 投稿日 : 2001年10月29日<月>20時17分/愛知県
こんばんは。なーかるさまの、久々の2段構えのカキコを読ませて頂き、わたくし自身のカキコに大きく不足していたことを感じてしまいました。まるで言い訳のようです(汗)が、付け足しをさせてください〜っ。
幸福の時間を思い出し、思い遣り、穏やかに眠るように死を迎えたオスカルは、「充実していた」「幸福であった」人生を表わしているのではないか、と思いましたが、その死の瞬間に、「あぁ、よかった」と神に召されたわけではないと思っております。というのは、まさに、なーかるさまのおっしゃる部分のところなのです。アニばらの彼女は、本当に細やかな優しさがあり、将軍も言っているとおり、周囲のことを自分の事以上に考えてしまう人だと思います。ですから、残された人のことを、思わないはずはないと思います。父や母はもちろん、隊員達にも、志し半ばで先立つことを謝罪する気持ちも、彼等の悲しみを思い、悲しい気持ちもあったかもしれないと思います。自分の人生を振り返り、想像し、穏やかな笑顔を思い起こせる様な幸福な人生であったな、ということとは別に、死に際してはたくさんの人への感謝と謝罪もあったかと。本当にたくさんの意味を込めた、最期のひとことだったのかもしれない・・・。
と、書いてみましたが、なーかるさまのくり返しのようになってしまいました(汗)。すみません。本当に、心から納得なことを書いてくださったので、実はこれ以上申すこともないのですが、いいわけしてしまいました。
本当に、アニばらの中にも、結論をひとつにきめることのできない場面がたくさんありますね。ここの掲示板は、結論を求めるのでなく、みんながお互いの思いを吐き出し、みんなで吟味することによって、ひとつではない、それぞれの”ベルばら世界”を深めることができるので、とても素敵!と感じております。ぺこり。



●おもて咲(293) 題名:ショック(@_@) 投稿日 : 2001年10月29日<月>15時18分/石川県/女性/38才
ちょっとベルばらからはずれますが・・キャンディキャンディの著作権争い?の
裁判で、作画のいがらしさんが敗訴されたそうですね。
今小耳に挟んで、ショック受けてます。
漫画が認められなかった・・と言うことになるのかなぁ。
そりゃ、ストーリィが上手くできていないと、漫画は面白くありませんが・・作画だって大事ですよぉ。
キャンディがあんなかわいらしいキャラでなかったら、あそこまで人気でなかったでしょう。(ちょっと世代がずれているので、私はハマってませんでしたが)
たとえばベルばらだって、原作という漫画があって、すごく面白かったから何年経った今も、たくさんの人に愛されているけど、アニメになってまた別の魅力も発揮されたと私は思うんだけど。
アニメオスカルの憂い顔は、ピカイチですよぉ〜!?(笑)
キャンディとベルばら・・騒動の?形態も違うので比べるのは難しいけど・・
なんかどこか、繋がっているものがあるような気がしてつい、ここにカキコしちゃいました〜(^^;)




●michy(620) 題名:アニばらショック 投稿日 : 2001年10月29日<月>12時03分/三重県
 アニばらショック認定審査をらくらくクリアのmichyです。
 なーかる様、そうでした、たしかアスランでした。彼も貴族で結核を患いながら、娼婦だった妻とかけおちするんでしたね。風と木の詩は、あんまり得意分野でなかったけど、あの父さんのお話しは好きでした。
 アニメベルばらを語る時、なんだか自分の内面と向かい合っている感じがして、結構緊張します。レスがついてるとどきっとします。でも、本当にいろんな考え方があって、楽しいですね。
 オスカルの周りの人々ですか。なかなかその辺りまで、咀嚼でしてないんであんまり語ることはできないんですがジャルジェ将軍、フェルゼン、アントワネット、アラン、ジェローデル、ロザリー、アコーディオンおじさん等々、いっぱいありそうですね。あと、ダグー大佐とか、メルシー伯とか。
アントワネットの最終話の「心が休まります、オスカルに想いをはせると・・。」この台詞から、どんどんふくらみますね。
 ゆり様、さっそくHP拝見しました!ベルばらとの出会いで、人生の方向性が生まれ、その道でいろんなことができたんですね。すばらしい!
 では、夕方から夜にかけてのお仕事なんで、寝ます。アニばらショック患者として、この重症疾患についても語りたいでーす。



●なーかる(002) 題名:続き 投稿日 : 2001年10月29日<月>01時36分
久しぶりにやられました。
コメントの数が多すぎると・・・。

続きです。

まずジャルジェ父。
オスカルの見合い話からこっち、彼女を女性としての生き方に戻そうとしますが、その愛情はすれ違ってしまいました。
こうなれば娘の生き方を見守るしかなくなってしまいましたが、アンドレの気持ちを知った以後、彼なりにオスカルの幸せについて色々と考えたと思います。アンドレへのはなむけのセリフから察するに、たとえ身分が違っていても、娘を彼に託そうと決めていたに違いありません。

父はオスカル本人から気持ちを何も聞いていませんが、彼の頭の中には、二人を強制的に?国外に逃が(追放)し、ささやかな結婚式を挙げるプランもあったかも知れません。
この先、父がラソンヌ先生に事実を聞かされたとしても、彼女が静かな場所でアンドレを伴って、横たわる場所を提供できたはずでした。
そうなれば、少しはオスカルも静かで心が穏やかな時間が持てたはずなのです。
アンドレとのささやかな語らいもあったでしょう。

しかし、出動命令に対してオスカルが飛び出していくのは分かり切っていたことだし、生きて帰る保証はありません。
それに、戦いが起これば、オスカルが民衆側に寝返ることは彼にはうすうす想像がついていたかも知れませんし、手紙を読んだ後はそれを確信したでしょう。
そうでなくても、彼女の出動の意志を尊重して送り出す父の心境は、彼女を男として育てた親の責任もあり、単に愛情という一言だけでは言い表せられません。
ここで、いつかの父の独白がよみがえります。
「あれは小さいときから自分を抑えてしまう、そんな子だから」と。

それにオスカルにしても、色々と苦労をかけた父の気持ちを思いやっていたでしょう。
「許さん!」と肖像画に向かって叫ぶ父の気持ちをオスカルが解らないはずがないと思います。(この場面は泣けます!)
彼女は、そんな父を置いて行く決意をしたのです。 
そして、寝返ったとはいえ、元の女主人アントワネットの事も無視できません。
この先、アントワネットを守れない自分に対する自責の念もあるでしょう。

アデュウ・・のなかに、精一杯生きた満足感…(満足とあえて言い切りたくないので、あるいは予告通りの、生きる苦しみからの解放感のようなもの?)…
だけでなく、愛する人たちを置いていかなければならない気持ちが入っていたことを改めて思い知らされます。
この気持ちを言葉で書けと言われたら、頭が爆発すると思います。
(アカーン、やっぱし落ち込む〜!)




●なーかる(929) 題名:彼の名はアスランでしたか? 投稿日 : 2001年10月29日<月>01時35分
michy様

ははは・・・私はセルジュの父のファンでした。ピアノの名手で将来を有望されていたのに、苦労の果てに死んでしまう人でしたっけ。
(アカーン、これも思い出すと落ち込む〜!)

風邪気味を放って置いたらさすがに胃痛症状が出て、さらにめまいを起こして数日間、書き込みできずに読み専になっていました。

その間に、ナントすごーい、こんなにいっぱいのカキコミが!!
皆さんの深読みを読ませていただいてとっても嬉しいです。
どの事についても私も語りたい〜〜と思うんですが、頭がこんがらがるのでとりあえず、一つだけ。

オスカルの幸せを語ると言うことは、少なくとも自分自身の幸福論を何かの基準にして語ることになります。
皆さんのご意見を伺い、私は彼女が何らかの満足を得て、幸せだったと思いたい気持ちです。彼女の幸せの証拠を掴んで、私自身を納得させたい気持ちももちろんあります。

彼女が最後に見た星空は、アンドレと心を通わせた美しい思い出なのでしょう。
それをどんな想いで彼女が見たのかは、私たちは想像するしかありません。
幸せであったのではないだろうかと願いつつ……。

これからも色々とオスカルの幸せについて考えこそすれ、結論自体はあえて今、早急に出さないでおこうと思います。
私自身を納得させたい気持ちを押さえ、一人一人の幸せが違うように、オスカルの幸せって一体なんだろう……と、再び初心にかえり、私の気持ちの中では、やはり?のままで置いておこうと思います。
言葉に出来ない気持ちもありますし、どうしても人の気持ちは複雑で、一言では語れないようですから…。

ただ、オスカルの幸せ論の周辺の事実として、そばにいた人たちの気持ちも捨てておけません。
オスカルだけでなく、彼らの気持ちも言葉にして言い尽くせません。
そんな場面をいくつか拾ってみますと……。




●ゆり(794) 題名:語りたい事 投稿日 : 2001年10月29日<月>00時59分/埼玉県/女性
みなさんの感想を読んでいると、本当にいろいろな考え方があって、面白いというよりもこっちももっと考えさせられてしまいます。で、もっと考えがまとまらなくなる・・・。

舞の山様
情報ありがとうございます。外伝の方には子供時代のオスカルと泣いているアンドレの絵はありましたが、ダンスの絵はありませんでしたね。しかし、実際に見れたなんて貴重ですね(見たい〜)。タイトル画のコレクション!って何という本に載っていたのでしょうか。わかりましたら教えていただきたいです。それに、ジグゾーパズルについては聞いていたのですが、ネットで探してみたけど見つからず、どこかのおもちゃや出手に入るとは聞きましたが近所にはありません。困ったものです・・・。

さて、ここでも相変わらず盛り上がっていますが、自分の語りたい事なんて山ほどあるので、ついに突貫工事でちょっとしたサイトを立ち上げてみました!先日ご紹介した比較表を少しだけバージョンアップして載せてありますので、寄ってみてください。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9453/Berutop.html

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9453/Berutop.html



●michy(208) 題名:二人の幸せ 投稿日 : 2001年10月28日<日>14時33分/三重県
 私も、今最終話までビデオを観た所です。昨晩は、気分不良ながら、ばばーっと書いたんで
なんか、言い足りない感じがして、再び失礼します。重症アニばらショック状態です。
 オスカルの死は、やっぱり重い気分にさせられます。彼女の死を前に、意味を見出そうとする気持ちと、納得がいかなくて悲しくなる気持ちが入り混じってしまいます。
 やっぱり、オスカルは幸せだったと思いたい。他のエピソードを出すと長くなるんで、やっぱり蛍にしぼって考えたいです。あの37話は、本当にしめつけられる感じがしますね。「かつて私はフェルゼンを愛した。・・。」オスカルは、アンドレの告白を聞く前から、なんとなく彼の気持ちを察していたんじゃないかな。でも、貴族であり、跡取りであるオスカルに、アンドレに飛び込んでいくわけには行かなかった。でも・・、女は勝手なもんで、自分は男を受け入れる事が出来なくても、男には、ずっと待っていて欲しい。ひょっとしたらオスカルもそうだったのかもしれない。心の奥底では。
 肖像画の前で、アンドレの深い傷に改めて気づいたオスカル。彼の静かな告白の前に、泣くしかなかったんでしょう
ね。「生きていたい・・」の他にどんな言葉があったんだろう。泣くでもなく,微笑むでもない二人の表情は、お互いをすでに知り尽くした恋人同志ゆえでしょう。
 あの星空は、オスカルが見た天空だと思ったけど、ちょっと訂正。あれは、二人でぼんやり眺めた二人だけの星空ではなかったかと。見えないアンドレにも、美しく見えた事でしょう。
 あの、アンドレの死後、パリを泣きながら徘徊するオスカルは、見ててやっぱり辛い。「アンドレ、教えて欲しい、もう全ては終ってしまったのか・・。」は彼女の運命を知る私には、悲しくて答え様がない。「あなたの人生には意味があったんだよ!」なんてとても言えない。傷が癒えるには、時間が必要なんだもの。でも、こうやって、悲しいながらも、ただ泣き伏すだけでなく、動かずにおれなかったオスカルに、彼女の人生は激しく情熱に満ちたものなんだなと思う 私も、オスカルが最期に見た鳩には、アンドレの魂があったと思いたい。まぶたに浮かんだ微笑みは、愛し合った夫の見せた、最後のやさしい微笑みだったんでしょう。天国で再びその微笑みに出会っていることでしょう。
 
 ちょっと話しは変わるようですが、「風と木の詩」でセルジュのお父さんの言う、「失ったものじゃないんだよ、得たものを考えてごらん。」って台詞があるんだけど、二人にとって、私達にとって「得たもの」は何なんでしょうね。いろいろありすぎて判りませんね。



 
●オスカルの幸福について(258) 題名:れもん 投稿日 : 2001年10月28日<日>11時47分
 こんにちは。
ビデオの最終巻を借りて見ました。
今まではこの巻だけつらくて見ることができませんでした。
以前より冷静に見ることができました。

彼女ははじめから平凡な幸福というものを望んでいなかったと思います。
特に衛兵隊にいるころは非常にストイックだったと思います。
自分というものを探していたような気もします。
 
特に男性に対してはフェルゼンの告白「もし女性として会っていたら、、」も拒絶しているし、ジェローデルに対しては途中で帰ってしまうし、きつすぎます。
(これは私も経験がありますが子どもですね)
そんな彼女の心を開放したのがアンドレだったのではないのかなと思います。
 彼女が自分のしたことを後悔しているのが死ぬ時でなくてよかったと思いました。
最後に星空がうつっていましたが、その時がもっとも幸せだったのかなと思いました。
死んでしまうのはつらいけれど、そう感じました。
もう一度、見直して、感じてみてください。



●舞の山(303) 題名:少し落ち着いてきました 投稿日 : 2001年10月28日<日>03時28分/神奈川/女性/37才
土曜日出勤の当番が終わったので、ゆっくりしていきます。
先週は食べ物の味もよくわからなかったけれど、もうそんなことはありません。
仕事中や通勤のバスの中で目頭が熱くなるのもおさまったし。

ゆり様
子供時代のダンスシーンのタイトル画、雑誌掲載時に見ました。
立読みだったか借りたんだかして見たんですけど、子供心にもこの回にこの絵を持ってくるとは洒落たことをするなあと思ったものです。
ちなみにその前の週は子供時代の剣の稽古シーンだったと思います。
オスカルに負けたアンドレが泣いてました。
昔買った池田先生関連のB5判位の本にすごく小さく縮小されたタイトル画コレクションの
ページがあって、この2枚も含まれていたはずなのですが、家捜ししないと出てこないんです。
そういえば、ダンスシーンの方はジグソーパズルになったと、どこかで見た気がするんですが、不確かですみません。

ロビー様
>確かに世相は厳しいけどもう少し日常ささいなことでOが楽しんでいたり、あれだけ1人の人(A)と深い信頼関係と愛情をもてる幸福を得たのだから心通わす時間を見ることができたら一視聴者としてもう少し救いがあったのになぁ。。と思います。
同感です。私が前回の書き込みでうまく表現できなかったことをロビーさんが書いてくださいました。
蛍のシーン&ジャルジェ将軍が「許さんぞ」と言うシーンの後、馬に乗ってアラン達の元に向かうふたりに
「ああっ、待って!そんなにさっさと行ってしまわないで〜」と言いたくなります。
一瞬でもいいから、笑顔を見せてほしかったです。
まあ、アランにおめでとうを言われてふたりがうつむくシーンも好きなんですけどね。

海音様
最期の時の絵たち、すごく良いですよね。
オスカルがグラスを持っている絵がいちばん好きです。
当時、放映終了後、アニメ誌「ジ・アニメ」にこの絵たちが載っていると知った私は、返品するために本屋の奥に移動されていたものを出してきてもらって買いました。
まだとってあるかは家捜ししないとわからない(こればっかし)

小学生の時に買った原作単行本があまりにもボロボロなので、文庫版を購入しました。
古い方だって、私の目の黒いうちは捨てませんよ。原点ですから。
DVD、単行本・・・と私のフトコロには北風が吹いております。
かなり長きにわたって読んでいなかったので、結構ストーリーを忘れてる!
ロザリーがベルナールを撃ったことも覚えてなかった。いかん、復習しなければ。
アニメの感慨の後で原作を読むと、原作のオスカルはスーパーオスカルですなあ。

宝塚の昭和・花組は無事に最後まで録画できました。
安奈オスカルが、馬車に乗って迎えにくるアンドレの呼びかける声を遠くに聞いている時の
表情や仕草がたまらないんです。
膠原病で療養中の安奈さんのお手紙も披露されていました。
安奈さんのご回復を祈ってやみません。



●michy(890) 題名:アンドレの幸せ 投稿日 : 2001年10月28日<日>00時34分/三重県
食べ過ぎで気分不良なんですが、うーん、語らずにいられへんのです。
ロビー様、はじめまして。ベルばら暦はずっと後輩ですが、語ってしまう事をお許しくだされ。
私も、アンドレはどうだったのかなって思ってたとこです。前半のアンドレは、オスカルより大人で、「武官は感情で行動してはいけない」を地で言っているような冷静な男の子。ちょっと保護者。
後半、年をとったせいで、立場をわきまえたのか、公の場では、ちゃんと、従者として振舞っている。
幼ななじみとして、親友としてオスカルの側にいながらも、想いを秘めた瞳で彼女を見つめるアンドレ。19話から22話くらいまで、姫野さんの原画で絵もきれいだったし。
衛兵隊に入ってからのアンドレの、なんだか超えてしまったような感じ。表面的に動揺してても、心の底は動かない、強さにたいなものを感じます。自分のオスカルに対する気持ちに絶対的な自信を持っている、のかなぁ。たとえオスカルに、微笑みかけられる事がなくても。
なーかる様の解説にもあったけど、アンドレが袋ダダキに遭った後から、なんとなく二人はいい感じですよね。
アンドレもオスカルの気持ちが自分に向いてるのを判ってるような。
でもでも、あの肖像画の時に思ったんだけど、やっぱりアンドレも傷ついていたんですね。オスカルの気持ちに感情移入しやすいから、アンドレの深い傷に気づかなかった。ごめーーん!って思ったのはオスカルも同じ。だから、「従う」なんでしょう。
アンドレは、幸せだったと思う。長い間、「打ち明けることすら許されない愛」だと、心に秘めてきた愛が実ったんだから。「そのつもりだよ,オスカル。そのつもりさ・・。」重い、重いけど、なんてきれいな言葉なんだろう。
 「男として生きる為、もう供はしなくてよい。」発言は、女として十分弱い所を持ってるオスカルが、女としてアンドレに頼ってしまいたい気持ちを否定するため・・かなと思います。
 食べ過ぎ気分不良が悪化してきました。文章がおかしいのはご容赦を・・。


 

●おもて咲(876) 題名:変えては見たけれど・・(-_-;) 投稿日 : 2001年10月28日<日>00時17分/石川県/女性/10才
私ってセンス悪いなぁ・・(T_T)設定変えてみたんですが・・なんだかなぁ。
また気が向いたらちょこちょこ変えますのでしばらくはこれで我慢して下さい。

ところで(週末なのでオモテはヒマ)・・アニベルを見終わった後、救いようのない虚脱感というか絶望感に襲われる・・というのは、私だけじゃなかったんですね?
アニメのオスカルは死に際も、自分を語ることなくひっそりと逝ってしまいました。
何も語ってくれなかったけど、アニメオスカルも自分の人生を悔いなく生きたんだろうと思いました。
(アンドレへの気持ちに早く気付かなかったことを、えらく悔いていましたが・・それも、選んだ道の一つの結果であって、アンドレを選んだことを悔いてはいませんでしたものね)

不思議なことに、原作オスカルの死に接しても、オスカルらしい最後だった・・良い人生だったからそれで良かったんだ〜って自分を納得させられたんですが。
アニメオスカルにはダメでした。
なんで死んじゃったのぉ〜!!自分だけ納得して先に逝くなんてずるい〜〜。
残された・・見ているだけしかできなかった私達はどうなるの??
〜と、感じたモノでした。
何がなんでも生きていた欲しかった。ずるくても、悪くても、生きていて欲しかった。
あの時ああすれば・・このときこうしてくれれば・・アナタは死ななくて良かったのに・・と、そう思ったのです。

それは、あの安らかな死に顔と、おだやかな辞世の言葉のせいだったんですよね。
なにもかも・・あるがママを受け入れて、精一杯生きて死んだ・・
とりとんさんとオモテの自説の、貧乏くじを好んで引くタイプのアニメオスカルが勝手に一人で、私達の手の届かない高みに登っていってしまったようでそれが何より悲しかったのだと思います。
原作オスカルは手が届かなくて当たり前の存在・・という、子供の頃からの刷り込みのせいでしょうか?(^^;)・・死さえもオスカルの存在を際だたせた様に感じたのですが・・アニメオスカルは、自分に近い存在で、もしかしたら自分の中にもオスカルはいるのかも・・なんて思ったとたんに、手の届かない存在になってしまった・・そのギャップが埋められなくて・・
実はアニメを3日掛けてはじめて全話見通した後は、1週間ろくに食事もとれなくて壊れた蛇口のように、事ある毎に涙を流していたオモテ。

いい年をしてアニメごときに、そこまで心動かされた自分が、当時はまたここまで
オタクでなかったので・・それもまたショックで(笑)
ベルばらファンはみんな自分と同じ様に、アニメベルばらに感動したのだろうと思っていたのに、ぜんぜんそうじゃなかったことに大ショックを受けて、同人活動をはじめたことを・・皆さんの初々しいアニメベルばらショック、略してアニベルショック(笑)を読ませていただいて、思い出しました。

とりとんさん・・ホントだ・・ここに来ると語りたくなるけど、対談ネタが無くなりますね(爆笑)




●海音(716) 題名:遅らばせながら 投稿日 : 2001年10月27日<土>23時41分
いつもながら、遅くなってから口出しして申し訳ありません。どどーーーっと仕事の山を越えまして、ほっとひと息みに参りましたら、盛り上がっていることいること!頑張って読み、ようやく追いついた次第ですわ。本当に、深くうなずきながら読ませて頂きました。
まず、今さらかもしれませんが「アデュー」について。私の中で、アニばらオスカルの幸せは、まだまだ吟味の部分なのでよくわからないのですが、自分が死ぬときに・・・と考えると・・・。原作のように、華々しく人生を振り返って「フランス万歳」といって・・・ということも、なかなかできないことかと思われますが、アニばらの、あのオスカルの若さで、そして戦いの中銃弾に倒れながら、あのように穏やかに「さようなら・・・」ということも、大概できないような気がします。オスカルの最後は、白い鳥など、アンドレの魂を思わせるものが傍らに在ってくれました。少なくとも、鳥を見上げてアンドレ・・・と言ったオスカルは、彼を傍らに感じていたと思いたいです。そして、彼女の臨終の際のたくさんの絵。おそらく、今際の際に彼女が思いだしたのであろう場面、あるいは、これから自分とアンドレが過ごせていたかもしれない場面。それらは、どれもとても穏やかで静かで、清々しい優しさと幸せに溢れた表情をしていると思ったのです。アニばらで、私にとって、この最後の絵たちはとても深く印象に残っています。どこが、というのはわからないんですが、オスカルが自らの人生を「幸福に満たされていた」と(無意識の中だとしても)感じていた故の、あの最期の穏やかさ、幸福な場面なのではないかと、思っております。幸福な未来が過ごせなかった悲しさでなく、幸福な未来を想定できる今の幸福です。あと、アンドレとオスカルが仲良く浜辺を馬で散歩の絵がありました。最後の、オスカルが浜辺を馬で思いっきり駆けていく姿が、アンドレに向かっていく姿で、その後にあの”散歩”の場面があるのだといいな、と、勝手に”死後の出会い”を想定してしまいました(でないとやるせなくって・・・)。なかなか強引な私(笑)。無理がありますかしら(笑)?
といったところで、ロビーさまの提起についても、また改めて私にも参加させて頂ければ・・・と思います(また長くなりそうなもので・・・汗)。本日はこの辺で。



●ペペ(191) 題名:2つの総集編 投稿日 : 2001年10月27日<土>20時46分/女性
ついに総集編を見ました。店に2つあって「?」と思いながらも借りる。
前にも書き込まれていた分だと、やがて気づきました。

主要場面をまとめた総集編。声優がかわっただけで、雰囲気が変わるもんですね。
戸田さんの声で、歯切れの良い、活気の感じられるオスカルのように思います。田島さんの声も後半部分は好きなので、この辺は戸田さん、こっちは田島さん、なんて一人で思いました。(笑)登場人物もしぼっていますね。画像もきれいなのではないですか?

総集編はさらに、監督がちがうんですね。全体の印象は明るいと私は思いました。オスカル、アンドレ、アントワネット、フェルゼンを中心に展開され、時間もちょうどいいのですっと話が進んでいくようです。エンディングシーンが割とながく、軽やかなBGMとともにOとAの共に過ごした日々が流されていたのが気に入りました。ラストはつらいけれど、長い年月を二人はずっと一緒で、男女としても、人間としても、良い関係を持っていた。ストーリーに入っていなくても、彼らが笑い、思春期として多少はお互いを意識してドキドキしたり、一緒に何気ない話をして落ち着いたりと、そんな場面もあったのだろうと想像できるようです。勝手な受け取りですが。また、アンドレが先に逝きますが、これも彼にとってはその逆よりはよかったかななどと思いました。私も、二人はずっと結ばれていると信じています。

41話の総集編。面白いですね。バスティーユ攻撃の前、二人が結ばれ、これからの悲哀をそれとなくほのめかして「FIN」。さらに、予告編集もあり、これまたいいです。次回を期待させる内容を講釈調で語る。時に笑ってしまうところもありましたが。タイトルの漢字全部にふりがながあって、若年層への配慮がある反面、語る内容は難しかったりする。(笑)
これだけ、バラエティあふれる作品に改めて感心します。総集編、観てよかったです〜。




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◎ペペ(483) 題名:アンドレ 投稿日 : 2001年10月27日<土>21時24分/女性
ロビー様、はじめまして。
書き忘れていました。
アンドレ不要説。私もどこかで見たおぼえがあります。

もし、アンドレがいなかったり、オスカルとそれほど深い仲にならなかったとしたら?
オスカルとアントワネットの友情と別れのウェートが大きくなりそうですね。また、彼女が女であることの自覚と葛藤も出しにくかったかな。それと、民衆の側にたつ口実が薄くなってしまいそうですね。でも、別の物語として興味がわいてきます。(やっぱり、アンドレにはいて欲しいですが。)



●ロビー(746) 題名:度々すみません 投稿日 : 2001年10月27日<土>18時59分
すみません、興奮さめやらない状態でまた来てしまいました。
というのも今回一気見してちょっとひっかかった部分がありまして、こちらにいらっしゃる皆様の作品に対する深い理解と愛情にはいつも感服しておりますので是非聞いていただけたらと思いまして。。。
それは黒い騎士からレモンまでのOAの関係についてなのですが。。。
Oは黒い騎士騒動でAを疑い動揺した割にはAが勉強会に通う事実を知るや「事件が解決したら勉強会でも何でもどこへでもゆくがよい。」と言い放ったり、近衛辞職後「もう供はしなくてもよい。」と言ったりして彼を突き放してますよね。前者は動揺したのはAが自分から離れていくのが嫌と思ったんだろ〜な〜と感じた矢先の翻り発言。後者はレモン後も言ってますが、これ、レモン後なら納得ですが既にその前から言っている。黒い騎士事件etcで時代の機運を感じ取りAにはAの考え・領域があることを察知したアニメOらしいAへの思いやりからさせたもので、2人共いい大人だし自分に縛り付けておくのもそろそろ潮時と判断しての一連の発言なのかな〜とは思ったのですが。。。彼女にとってAは唯一自分を出せるかけがえのない存在でその人さえ自分から遠ざけることが出来るってアニメOってつ、つよすぎるぅ〜とか思ってしまいました。
先程のかきこと重なりますが、アニメOは常に自分の感情より相手の感情を最優先させてとても優しく思慮深いと思うのですが、せめてもう少し人間として自分の感情というかエゴ(というとかなり語弊がありますが)みたいなものがかいま見れたら救いがあったのかなあ。何か自分を抑えすぎ、物わかりよすぎ、で見ていて痛々しすぎるのかもしれません。
以前原作連載時にA不要論が出たというお話をお伺いしましたが、アニメの方がそういったことが話題になりそうだな、と。(お気を悪くされた方申し訳ありません、私はそんな風には全く思ってませんし、こちらにいらっしゃる方もそうと思いますが)あのままAが衛兵隊に自力で入隊しなければ(ってそれじゃべるばらになりませんが)、2人の関係は発展することなくほんのたまに屋敷で顔を合わせる程度という感じで(それさえない可能性も)、Oの人生にあれだけの彩りを与えることなく終わったんだな〜なんて(仮定の話をごちゃごちゃしても仕方ありませんね、ごめんなさい)。

支離滅裂で恐縮ですが、皆さんのご意見お伺いできたら嬉しいです。
久々の登場で長々と大変失礼致しました。



●ロビー(703) 題名:オスカルの幸せ? 投稿日 : 2001年10月27日<土>18時41分
こんにちは。ご無沙汰しております。蛍背景とても素敵です☆
先日のBS宝塚放送をきっかけに何だかまたアニメを見たくなり、深夜2日間でアニメDVD一気見というおばかな行為をやってしまいました。初めて見たときよりはずっと軽度にせよ虚脱状態に陥り、こちらにお邪魔させて頂きにやってきてしまいました。
なーかる様おもて様の対談やこちらの掲示板で皆さんのいろんなご意見をお伺いすることができたおかげで当初?だった部分もすんなり受け入れられるようになっていることが多々あり楽しく見られました、ありがとうございます。ですが、やはり残るこのむなしさってなんだろう。。。?自分でもよく分からなかったのですが、今皆様がお話されている”オスカルの幸せ”みたいなものに引っかかるものがあるのかな〜と思ったりしました。幸せの定義って人それぞれですが日々与えられたことを地道に誠実にこなし利他的に生きることって人間としてとても幸せなんじゃないかと個人的に思います。何か宗教みたいで恐縮ですが。結果ではなく過程というか。。だからO自身も過酷な与えられた人生を逃げないで精一杯生きたことで幸せを感じて息を引き取ったと信じたいです。出崎監督も「死に際に鳩をOに見せたのは最後に何か清々しいものを感じさせてやりたかったから」という趣旨のことを仰ってたので、きっと監督もOの人生をそういう風に捉えていたのではないかと勝手に憶測してますが。。。ただ、彼女が日々の生活で歓びを感じていたかと言うとどんなんだろう?後半の彼女って必要なこと以外は話さず、楽しそうに笑っている姿が殆ど見られませんね。Aの死後 Aとの関係さえ後悔していて「与えられた生を一瞬たりとも悔いなく生きた」という原作Oとは対照的でとてもリアル。(でもOAの関係だけでいえば自分がアニメOなら同じ様に感じてしまいそう)
確かに世相は厳しいけどもう少し日常ささいなことでOが楽しんでいたり、あれだけ1人の人(A)と深い信頼関係と愛情をもてる幸福を得たのだから心通わす時間を見ることができたら一視聴者としてもう少し救いがあったのになぁ。。と思います。恐らくAの死後とOの死のシーンから推察するにAと男女として結ばれたことはOの想像を遙かにこえた歓びを得られたのではないかと思うのでその瞬間だけでも心からの安堵と幸福を得たと思ってますが。。。(あ〜、でも出崎さん、それならあの蛍シーンのOの表情はいただけませんよ〜!と思ってしまうのは私だけでしょうか?どうもあのシーンのOってあまりにクールすぎて情熱とか歓びがまるで感じられないわ。とほほ)
ところで幸せというとAはどうだったでしょうか?Aも後半はいつ失明するやもしれない計り知れない不安を抱えながらも、それを周囲に隠しながら生きている。。。男性というだけど悲壮感が緩和されるのでしょうか?う〜ん。。。
何だかひとりごちてしまいましたが、読んでくださった方ありがとうございました。



●ゆり(222) 題名:ちょっと話がずれますが 投稿日 : 2001年10月27日<土>01時53分/埼玉県/女性
なんかホタルが舞っていていいですね、ここ。
アニメの話から反れますが、どこかでオスカルとアンドレの子供時代のダンスシーンの絵があると聞いたのですが、それって二人が結ばれる話のタイトルページだったそうですね。イラスト集とかに載ってるんでしょうか。だったらぜひとも買わなきゃ・・・。ああ、見てみたい。

アンドレの死後、オスカルは半狂乱になってもおかしくはなかったと思います。だから、静かに教会の前に座っているのは、一大事の割りにすぐに冷静さを取り戻したように見えました。でも、教会の前に座るまで時間が幾分かあったので、その間はずっと泣き叫んでいたかもしれませんし、気を失っていたかもしれません。アンドレの遺体に付き添って教会に入ったとは思うのですが、そして最後のキスも交わしたのでは、と想像するのですが、ただ受け入れられない現実(もう息をしていないアンドレ)の前にいられるはずもなかったのではと思います。

私が思うに、彼女が本当に現実を受け止めたのは、アランをアンドレと見間違えた時でしょう。その時はまだ信じられず、夢見心地だったのだと思います。しかし、やっぱり彼女が見た人影はアンドレではなく、アランであってアンドレはもうどこにもいなかった。彼女はそれに気づいた。それは、どんなに辛くとも、彼女が前へ突き進むために受け入れなければいけない現実だったのです。今は革命の最中。民衆と共に戦うため、彼女はで哀しみから抜け出さなければならなかった。彼女にはそれがわかったから、「これで最後だ」とアランの胸で泣いたのでしょう・・・。

オスカルの幸せについては語りきれないので、またにします。



●おもて咲(480) 題名:すいません(-_-;) 投稿日 : 2001年10月27日<土>00時51分/石川県/女性/10才
メンテナンス中、何かの手違いで?ここの設定が飛んでしまったので、あわててテキトーに設定しなおしたら・・見にくいったらありゃしない・・ですが、申し訳ない・・今日丸一日パソコンと格闘したので、もうやり直す気力がありません。
元気になったら、また挑戦しますので、しばらくは、この螢背景と白字で我慢して下さい。目が疲れるねぇ〜(=_=)



●かおるくん(963) 題名:宝塚を観ながらアニメを思い出す・・・ 投稿日 : 2001年10月27日<土>00時42分
こんばんわ。お久しぶりなので、ほとんどはじめまして状態です。ずっと、読み逃げしていてすみませんでした。最近この掲示板活気づいていますね。アニメを愛する方がこんなにいらっしゃるのかといつも感激しながら読んでましたが、なにしろ幼児とずっと過ごしていると頭が低年齢化してまじめな文章を書けなくなってきていて(笑)って、言い訳ですが。
BSの宝塚昭和編を連日観ていまして、安奈オスカルの、アンドレが死んだときの迫真の絶叫を聞いていてアニメの田島オスカルの絶叫をふと、思い出しました。そして、久しぶりにアニメに思いを馳せながら家事をしていたら、素朴な疑問が・・・
アンドレの死後教会の前で座り込むオスカルの姿。ALが「隊長まだ教会の前か?」と。
”なんで教会の前なんだろう・・・?”って思って気になってしまったのです。
いろんなサイド作家様のお話でもよく出てくる、アンドレの臨終シ−ン。オスカルはその夜をアンドレの柩の前で亡骸に語りかけて過ごすものと、ショックで錯乱するなどして柩から引き離されるものと、大別されると思うんですね。(もっと色々なパタ−ンがあるのにと思った方ごめんなさい。)アニメオスカルは何故教会の前か・・・?錯乱するでもなく、かなり冷静に残酷な現実を受けとめているように見えるのですが、(本当に大切な人を失うと何時までも泣いているよりは、ただ呆然としてしまうものかもしれませんね。)どうして柩に寄り添っていないのかなあ・・・?なんて思ってしまって。
一発の心臓を貫く銃弾で亡くなったアンドレ。遺体はそれほど損傷もなくきれいなものだったでしょう。死に顔を眺めているとその死が信じられなくて辛くなるからだったのでしょうか?どうなんでしょうね。ほとんど、独り言のようになってしまいました。ごめんなさい。

ところで、オスカルの幸せについて・・・ですね。アンドレの死後、夜の街を彷徨うときのモノロ−グに「もっと早くあなたを愛している自分に気づいてさえいれば、2人はもっと幸せな時間を過ごせたに違いない」と言ってますけど、って事は、ふたりの思いを言葉で確認しあえたあのホタルの瞬間だけでも幸せだったって事?それとも、愛を確かめ会う前から何となく幸せな雰囲気をほのかに感じていたのでしょうか・・・ああ、上手く言えないですね。考えていたら落ち込んできました。また、出なおします。



●michy(323) 題名:オスカルの幸せ 投稿日 : 2001年10月26日<金>22時52分/三重県
あぁー、なーかる様、本当にそうですね。私なんかは、オスカルの死の前にぼんやりしてしまって
なにか、意味をさがそうとしていたクチです。「あんたらアホや・・でも、ようやったよ。偉いわ、なかなかできへんことや」と言う感じ。
オスカルは幸せだったんでしょうか・・。
32話の「私のアンドレが危ないんだ!」の時思ったんだけど、オスカルは自分の一番大切な人を殺されるかもしれない時に、はじめて自分の魂の声を聞いて、さらに自分で自分にびっくりしたりして。しかも、彼女自身も怪我をしてぼろぼろ状態になって。やっぱり、かわいそうだって思いました。幸せになって欲しかった。
バスティーユの後、長い年月があって、盲目の夫と結核の妻ながら二人で生活し、幸せな時間があって、ふと昔を振り返る時にやっと、「あのがむしゃらな時も、あなたがいて幸せだった・・。」って言えるような、長い時間を必要とするような、試練と苦労の日々。でも、二人の時間は止まってしまったからねぇ・・。
宝塚の、あの観劇後のすっきり感の訳に、二人が天国で結ばれる事の他に、オスカルが民衆を勝利に導いた女神になっていたからだと思うんです。稔オスカルしか知らないんだけど、アンドレが死んでから、怒りと悲しみに震える
オスカルの言う「では諸君、まずバスティーユから攻撃しよう。あそこには君達の同志が多く囚われている!」これは
かっこよかったし、オスカルの死を納得させる要素でもあった。
アニメは違うもんねぇ・・。でも、オスカルに女性を感じてしまうのは、やっぱりアニメだと思うんです。
アンドレも男らしかったし。衛兵隊に入ってからのオスカルは、妙にかわいかった。自分の殻が取れてきつつあった為かなぁ?じゃあ、幸せってことか?
うーんうーん・・答えなんて出ない、判りませんね。
 話しは変わって、BSで今舞台中継がやってるんですか?ビデオデッキが壊れてて録画できない・・悲しい・・。
舞の山様、稔オスカルも素敵でしたよ。香寿アンドレも。あんな華奢なお二人が舞台で、あんなに大きく見えるなんて!大劇場の空気も、いつもと違ってる気がしました。みんな、二人の幸せなフィナーレが観たいのでしょう。
あー、昭和平成のベルばらも観たいな!



●なーかる(590) 題名:幸せって・・ 投稿日 : 2001年10月26日<金>00時26分
久しぶりの昭和版宝塚なのにBSは予定変更が続き、やきもきしてる今日このごろです。
宝塚ベルばらはオスカルが死んでしまったりしますが、フィナーレを見た後はすっきり
できます。見た後は、よかった〜!幸せ〜!!って感じです。

てな事ですが、ドラマとか漫画や小説、やっぱし幸せ探しをしてしまうんですよね。
幸せ症候群?っていうのかなぁ〜、主人公は色んな意味で幸せになって欲しいという気持ち…。
あるいは幸せになって当然!
そういう気持ちってありませんか?

オスカルは幸せだったかって事がやはりどうしても気になる。

もちろん、幸せと感じる基準は人によって違うんでしょうが、例えばオスカルはアンドレと一緒に暮らすとか、なにがしかの人生の苦労に対する見返りを物語の中に期待してしまうんですよ。
宝塚は二人とも死んでしまいますが馬車で迎えに来たり、フィナーレでやはりペアってる姿をみる事が出来る。
原作もアンドレが迎えに来たカットがあったし。
少なくとも、天国では幸せになったんだなと思えました。
そういう姿を見るのはホッとするんですよ。

ところが…アニメ版は、オスカルの苦労に対しての見返りは何だったんだろうって色々と考えてしまいます。
彼女は死ぬべきではないとか、生きて幸せになるべきだとか……

だけど、彼女の人生をたどってみても苦労に見合うほどの見返りの幸せがみつからない。
どうして主人公が幸せになれないのかという、見つからない答えを探して路頭に迷ってしまうんです。
何で幸せじゃなかったんだろうって。いやそんな事はない、さがせばどこかに幸せのカケラでもあるはずだって。
そう思って私も色々と探して来ました。

とは言え、降りかかった災難や、立ち向かった困難に対して出来るだけのことを対処してきた彼女の行為を、
ずっと一緒に見てきた視聴者は「自分の期待している幸せ」以外の何かを感じ取れるものだと思います。
単刀直入にいうと、人生に対する前向きな態度、試練に立ち向かう意志、見たいなモノですが、これを貫けたことも、やはり幸せ?
そういう風に言うとなんだか青春ドラマみたいになってしまいますね…。

とまぁ、幸せってそもそも何だろな?ということで、おやすみなさい〜。



●ペペ(809) 題名:ある意味、幸せ? 投稿日 : 2001年10月25日<木>21時26分/女性
皆様こんばんわ。
ベルばらの最後は、受け手を思い気持ちにさせます。
しかし、本当にお互いを必要とする相手にめぐりあい、愛すことができたのだから、ある意味オスカルとアンドレは幸せかもしれない・・。一生懸命生きた二人に、こちらが勇気づけられさえします。物語の主要人物だから特別にみてしまい二人とも死んでしまうことに読者(視聴者)は抵抗を感じます。ただ、管理人様がたの討論にあったように、アンドレを撃った敵兵も死んでいて、二人とも同じ命の重さがあると思えば、二人の死だけが特別じゃないのですよね。オスカルの部下もラサールをはじめ隊の約半数が命を落としています。もともと彼らはいつ死んでもおかしくない状況で生きていたから、「生きている」ことを大切にしていた、できるだけ気持ちよく生きようとしていたように感じます。オスカルたちもその点は同じでしょうから、真剣に生きてきたと思います。
 もしハッピーエンドだったら、これほど心残りな印象は持たなかっただろうなあ。(グランディエ夫妻には申し訳ないです)
 michy様、ダグー大佐はすてきです。あの機転の利かせ方には参りました。



●舞の山(100) 題名:明日こそは録画できる? 投稿日 : 2001年10月25日<木>03時11分/神奈川/女性/37才
レスをくださった方、ありがとうございます。嬉しいです。

ペペ様
ばあやさん、あったかくて好きですよー。原作だとアンドレがボコボコにされてたけど。

michy様
私が観た宝塚の舞台は「ベルばら 昭和・花組」だけなのです。
小学生の時、親にせがんで連れていってもらいました。
私にとって、安奈オスカル&榛名アンドレ以上に満足する配役はなかったので、それ以後の公演には興味が薄かったです。あの時見に行けて本当に良かったです。
でも、東京宝塚劇場がどんなだったか全然覚えてない・・・
ところで、昭和・花組公演を数年前タイマー録画した時、緊急のニュースか何かで5分ずれててフィナーレで主役の二人が登場するシーンが入っていないという事態になり大ショックでした。
今回も放映日自体が2度も延期され、この公演は祟られているのかーなんて思ったり。
「アンドレとオスカル」編が2本立てとは、明日は凄い日。これもテロ事件の余波。

なーかる様
この掲示板があって良かったです。ひとりで想っていると、やりきれないです。
DVD最終巻のジャケット、姫野美智さん描くところのイラスト、微笑み見詰め合うオスカルとアンドレ。
これを見ていると、アニメ本編でもこういう表情が見たかったなと、つくづく思います。
回想シーンのワンカットではなく、ストーリーの現時点(こんな言葉でいいのかな)でのシーンとして。
愛を誓った後の、世界でいちばん幸せそうな表情の二人の姿を見たかった。
そうしたら見ているこっちも少しは救われたのに。

ベルばら熱が復活する数日前に、ふっと思ったのですが、死に方を選べるなら人生をふりかえって感謝しながらがいいなあ・・・それだとやはり病死か?なんて。
アデュウネタにつながるような、あれは予感だったのでしょうか。
その時はこの掲示板のことは知らなかったですし。




●michy(897) 題名:アデュウネタ再び 投稿日 : 2001年10月25日<木>00時38分/三重県
「さようなら」と言って死ねる逝きかたは幸せですね。(実際は血圧が下がってとかどうとかの話ではなくて。)
一生懸命とか、精一杯とか、がんばるとか、努力するとか、結構簡単に使う言葉なんだけどこれをやりぬくことは、大変な事。オスカルの生き方死に方に、感動もしくは、何か判らないけど何か言いたい人達は、きっと、一生懸命やりぬく事の大変さを知ってる大人なのかもしれません。
アンドレの一人を、どんな事があっても愛し続けることも、同様に大変なこと。ううっ・・。
でも、大変さは不幸ではなく、オスカルにあの後、長い時間があったら、きっと「あれほど一生懸命な時があった自分は幸せ」と思ったはず。長い時間があったら・・。
オスカルの死の間際に見た鳥。あの鳥を見て、彼女はやっと休息が取れると思ったことでしょう、アンドレと一緒に。
ガラスの馬車にアンドレが乗って(超豪華な衣装で)オスカルを迎えにくる宝塚ベルばらは、あれはあれで幸せな結末。「宝塚」だから。
アニメべルばらはやっぱり大人のアニメ。はじめて観た時、「こんなん子供にわかるんかい?!」って思ったし。
アデュウネタいろいろ。「従う」ネタとかも、「僕もいろいろお聞きしたい。」
ぺぺ様
 私はメルシー伯とかダグー大佐とかが好きです。緊張はやわらげてないかもしれませんが・・。




●なーかる(110) 題名:想うこと色々 投稿日 : 2001年10月23日<火>23時41分
舞の山さま
はじめまして。
ベルばらは忘れた頃にやってくる?!
なかなかどうしてあなどれない作品です。
原作、宝塚etc、やはり読み返すと思わずテンションが上がりそうな内容ですし、さらにアニメは独自の解釈の元、綿密に練り混まれたストーリー展開は大人のアニメと言っても言い過ぎでは無いと想います。
ここの掲示板は長文でも、頭でまとまらないままの激白でも何でもOKです。
これからもよろしくお願いしま〜す。

アデュウネタでいきなり最終話で盛り上がってしまいましたが、あのラストの予告……肩こりに●ンメルツと言うほど効きました。
オスカルの人生って、それじゃあ、苦しいことばかりじゃないのって?
確かにそうなんですけど、あれだけ厳しい課題を与えられた人生を精一杯生きたからこそ、アデュウと言えたんじゃないかなーと。
それと、彼女の生き方を理解して最後まで見守っていてくれた人が居たことも幸せだったんじゃないのかなと。

でも本編ではアンドレがオスカルを迎えに来るシーンなんて全然ないし、白い馬車で待ってるわけでもないし、死んだらそれでおしまいって感じがしてめちゃめちゃ寂しいんですよ。
あの予告だけが唯一、オスカルとアンドレがまた一つになれると言っているので、「それ、ホンマやろなぁ〜」とテレビに向かって確認しています。

5分でいい…は本当に痛々しいです。
あれだけの苦しみを生き抜いてきて、彼女に与えられた休息は路地裏の石畳に寝ころばされた5分だけ?と思うと…つらいものがあります。

いかん、あまり考えると落ち込んでしまふ……。(^_^;)




●michy(247) 題名:こんにちは 投稿日 : 2001年10月23日<火>23時27分/三重県
舞の山様こんにちは。私も宝塚からはまったクチなんですよ。2001はご観劇になりましたか?
でも、アニメベルばらとヅカばらは比較を許さない程離れていますね。でも、歴代の生徒さんの
オスカルの解釈は、以外とアニメオスカルに近い感じがするのが不思議ですね。
 比較と言えば、やっぱり原作とつい比べてしまいますねぇ。別の作品なのは判っているんですが
やっぱりたのしい作業ですね。名台詞、名場面の印象の違いなんかも面白いかも。
比べたい場面・・やっぱり、青いレモンとバスlティーユでしょうか。長くなりそう・・。



●ペペ(467) 題名:緊張をやわらげるもの 投稿日 : 2001年10月23日<火>22時57分/女性
皆様の書き込みに読みほれてつい自分も、となってしまいます。
ストーりは全体的に、緊張感が漂いますが(特に後半)、ほっとさせてくれる瞬間があります。それは、ばあやが登場し、お茶やショコラをオスカルに出したり、話をしたりといった場面です。ジャルジュ家のつかの間のやすらぎのようです。ジャルジェ将軍がオスカルとアンドレを成敗せむとする場面で、嗚咽するばあやはこっちも悲しくなりましたが。
「ばあや、ショコラおいしいよ、とっても。」とオスカルがばあやに一言いう言うところもすきなんです。
 あと、アコーデイオンおじさんの「元気だしなよ、兄さん。」と語るところもいいです。
最後にアンドレを亡くしさまようオスカルの横を、息をひきとったアコーデイオン弾きが娘(?)につれられセーヌに向かうところは、うまいタイミングだなと思います。少し心が和んだものです。
 寒くなりました。ショコラ(ココアにたいなもの?)を飲みたくなりました。(笑)



●舞の山(344) 題名:初めまして 投稿日 : 2001年10月23日<火>03時45分/神奈川/女性/37才
初めてお邪魔させていただきます。舞の山と申します。どうぞ宜しくお願い致します。

十年以上もベルばらにはクールに構えていたのに、先週の月曜日が職場の振替休日だったので家にいて、BSで宝塚版やってたっけーとチャンネルをあわせたがために激動の一週間になってしまいました。
放映終了後、数年前に録画した昭和花組版(安奈淳さんのオスカルです)を引っ張り出して見入ってしまい、もう頭の中がベルばらでいっぱいになりました。
翌日は、帰宅するなり原作本を探し出してラストの方を読み、アニメのサントラCDも出してきて聴いていたら、アニメ、見たくなっちゃったんですよー。
再放送時に録画したテープが押し入れのどこかにあるはずだけど、探すのが大変だしレンタルしちゃおうかなと思いつつ、水曜日、ヨドバシカメラのDVDコーナーを覗いたら、ベルばらDVDBOXがあるではありませんか!
姫野美智さんのイラストでオスカルの顔はちょっと童顔?とはいえ、アンドレの眼差しがすごく良くて、いつまでも眺めていたいイラストだったので、参りました。(2の方です)
結局、金曜日に2のみ購入して最後のDISCを見て、そのまま眠るのは気持ちが高ぶって駄目だったのでPCを立ち上げて検索して、なーかるさんのHPにたどりつきました。

土曜日の夜に残りのDISCを見て、なーかるさんの解説ページを見て、何回も涙が出てきてたまりませんでした。
こんなに深い内容の物語だったなんて、昔はちっとも解かりませんでした。
やはり、私の頭にも10トンの石が落ちてきましたね(笑)

日曜日の夜に3時間かけて、アニメ対談を読ませていただきました。
目からウロコと涙がいっぱい落ちました!
お二人の観点が私の嗜好に合っていたので、とても心地良く読みました。

本日、月曜日はBOX2に入っていない20話が入っているビデオをレンタルしてきて見ました。
私が大好きなBGM「優しさの贈り物」は、この20話にはかなり長く入っているのですね。

ベルばら熱が突然復活してしまったので、連日睡眠不足の為、そろそろ力尽きてきました。
書き込みたいことがいろいろあるので、少しずつお邪魔させて下さいね。
まとまりのない文章で申し訳ありません。




●ゆり(126) 題名:アデュウ 投稿日 : 2001年10月23日<火>00時22分/埼玉県/女性
アデュウネタ続いてますね。このシーンを思い出すと無条件で泣けてくるのでつらいのですが・・・。

ギンネコさんが「2人は永遠に一つになった」と書かれていましたが、最終話の予告にもありましたね。私はこれだけで泣いたのですが・・・。
「愛すること、誠実に生きること、今その苦しみから解き放たれるオスカル。
そしてアンドレの待つ天国へ召され、光と影は再び一つになった。
民衆の勝利の声を聴くこともなく・・・・」

2人が結ばれてからたったわずかの時間の間にオスカルはアンドレを永遠に失ってしまった。そして自分も・・・。
その予告の映像はいつもと違って、オスカルが最後に見る情景をずっと映し出していたのが印象的でした。

「ひどく疲れている」昔はなぜ疲れているのか深く考えなかった私ですが、なーかるさんの解説にもありましたが、彼女は、自分の病と最愛の人を失ったことで心身ともにかなりダメージをうけており、彼女の命の灯火はいつ消えてもおかしくなかった。それでも雨の中、咳をしながら、愛する人の面影を追って街をさまよっていたので、疲れは相当なもの。私はこの「ひどく疲れている」と彼女が言うのを聞いて「そりゃあ、もうあなた!」と思わずにはいられませんでした。

「アデュウ」オスカルはもう自分の命がもう終わることを悟り、目を閉じ、この言葉を言ったのだと思います。その場にいた人達と、自分の、精一杯生きた人生に向けて・・・。最期に闇夜に舞う蛍にアンドレの面影を重ね、来世で最愛の人にまた巡り会うことを思いながら・・・。

私もオスカル、ゆっくり休んでね、と言いたいです。



●ペペ(322) 題名:アデユウ 投稿日 : 2001年10月22日<月>23時02分/女性
この言葉は、いいですね。響きもきれい。ところどころに、フランス語が効果的に使われていると思います。(細かいところでは、アラスやパリなどの店、居酒屋の名もフランス語かどうかは不明ですが、アルファベッドでした。)

永遠の別れを表す言葉ですか。これは。としたら、自分と自分が生きてきたフランス(そこに住む人々も含めて)や自分が生きた時代など、自分に関わるこの世のすべてにお別れを告げているような。でも、彼女が考えてではなく自然に口から出たようにも思えるし。とてもオスカルらしい言葉だと私は思います。
 現実的にみると、いくら能力があっても、一定の年齢になると男女の差(力、体の様子など)はいやでもはっきりするし、きっとオスカルも悩んだ時期があっただろうと勝手におもっております。(笑)そんな、葛藤が池田先生の「オルフェウスの窓」のユリウス(男装して男子校に通う美少女)ではリアルに表現されているようです。少しテーマからはずれてしまいました。すみません。



●ギンネコ(787) 題名:アデュウ・ネタ その2 投稿日 : 2001年10月22日<月>22時36分/埼玉県/女性
そうですね、ただ一言でもいろいろにとれますね。多くを語らず、余韻を残して。ここがアニばらの脚本のすごいところだと思います。
「ひどく疲れている。5分でいい、ゆっくり休みたい」は泣けました。「何言ってんの、5分後には、あんた、この世にいないのよ!」ってテレビに向かって叫びたい気持ちでした。

テレビ神奈川では、今日からアニばらの再放送が始まったそうですね。うらやましい限りです。 我等がテレビ埼玉での本日の新番組(?)は、「あらいぐまラスカル」でした。トホホ・・



●michy(498) 題名:レポート提出 投稿日 : 2001年10月22日<月>21時41分/三重県
アデュウネタ。michyのレポート。
私は、オスカルの最期の言葉は、生きている人々に対してと同時に、今までの自分に言った言葉じゃないかと
思ってます。かわいそうに、疲れていたんだな・・と。
なーかる様のおっしゃる通り、オスカルは生まれ落ちてすぐ、自分の性を否定されて育ってしまった。
でも、いくら男として育てられようと、どんくさくて、アホな子なら、ジャルジェ将軍もあきらめたろうに。
ところがオスカルは、出来てしまった。剣を持たせれば上達する才能があり、馬で遠乗りが出来る持久力を持ち、なにより勇気を持っていた。持ってしまったことの悲劇。でも、平凡な女の子なら、アンドレにあれほど
愛されることもなかったろうから、あながち悲劇とも言えないか・・。
彼女の中に歪みがあったであろうと、きっと誰もが想像出来ることでしょう。
本来は女性らしい感性を持った人。後半の辛そうな表情、泣いている顔がやけに印象的でした。
「ひどく疲れている、5分でいい、ゆっくり休みたい・・」
ゆっくり休んでね、もう無理はしなくていい。天国はきっとあって、アンドレが待っているから。
宿題提出です。



●なーかる(027) 題名:こんばんわ 投稿日 : 2001年10月22日<月>00時10分
ギンネコ様
お久しぶりです。
アニメ版は各自で答えを出すようにと、冬休み前に宿題を出されたような気持ちにさせられます。
(おかげで勝手に誇大解釈していたりして??)
またいつでも書き込んで下さいね。笑えるネタでも何でもOKですよ!

私は、あの「アデュウ」は、生きる人、全ての人へ向けられたものだと思います(今日の段階では)。皆さんはどうですか?

michy様
水島さんのアンドレは、甘い感じに仕上がっていました。
マーズの方が男らしい感じがします。
そういえば、本橋さんの絵はあまり詳しくないのですが、切れ長の目のキャラがお得意な方なのでしょうか?
オスカルをイラストで描かれたら、きっとすごくきれいでしようね〜。

ゆり様
良いですね!展覧会。
私もその場にいたら、同じ事を考えていたでしょう。
でもベルばらオタクという立場上、逆に「ベルばら」という単語を口に出せないで居るにちがいありません。(^^;)
それにしても、ベルばらは有名ですね。




●ゆり(592) 題名:伊勢丹の展覧会 投稿日 : 2001年10月21日<日>23時29分/埼玉県/女性
今日は伊勢丹の「フランス王家3人の貴婦人物語展」へ行ってきました。休日ということもあってすごく混んでいました。周りの人の会話を聞いていると、高校生ぐらいの人が「ベルばら読んできた〜」とか、他では「この前の『世界不思議発見』観た(自称「ベルばら」大好き少女がリポーターを務めていたやつ)」と言っている人が多かったです。かのバスティーユの絵の前では「ここにオスカルがいたんだ」と会話している人もいましたし。は〜、やっぱり漫画やこの前のテレビに触発されて来ている人が多いのね(という私もそうです)、とちょっと感動しました。

きれいだったのは当時の陶器や懐中時計などで、印象的でした。マリー・アントワネットの髪の毛とか、彼女の最後の手紙が新聞になっているやつとかも見てきました。




●michy(250) 題名:水島さん壇さん水島さん 投稿日 : 2001年10月21日<日>02時00分/三重県
いつもいつもおじゃましてるんで、しばらく見てるだけにしようと思ったんですが、びっくりの事実を知ってしまったので失礼します。
劇場版の事を教えて頂いてありがとうございます。声優さんが違うとのことなんですが、アンドレは水島裕さんなんですね!水島さんといえば、連想ゲーム。そして、明神タケルことマーズ様じゃないですか?!「兄さんは僕のものだ!」が「オスカルは俺のものだ!」になってるんですね。
志垣さんより、ちょっと高めの声なんでしょうね。
本編の再編集との事ですが、やっぱり再放送で人気がでたからなんでしょうか?



●ギンネコ(371) 題名:ご無沙汰してます 投稿日 : 2001年10月20日<土>23時16分/埼玉県/女性
ご無沙汰してます。先日、書きこみをしようとしたのですが、パソコンの不調から送信できず、なんとなく今日まできてしまいました。
蛍のシーンの星空、オスカルが亡くなる直前にも出てきますよね。 これで、二人は永遠に一つになったのたと思う反面、やはり悲しかった。 
 今日、あるサイトで、何故オスカルの今際の言葉が「フランス万歳」でないのか、アデュウって何に向かってお別れを言ったんだろう、というカキコを見付けましたが、このように
色々解釈できるあいまいさがアニばらの魅力なのではと思えるようになってきました。
原作の「フランス万歳」ってある種の爽快さが感じられますが、やはり後を引くのはアデュウの方だと個人的には思います。最後の最後まで、自分のことより残された人々のことを心配して逝ってしまったのだと思うと、もう泣けちゃって。
また来ますね。



●michy(350) 題名:そうそう 投稿日 : 2001年10月19日<金>10時35分/三重県
おはようございます。職場のPCで、このページをチェックしておりました。みつからないように・・。汗・・って感じです。
原作が明るいってのには、ちょっと言葉足らずだったかも。
私にとって、なんだか元気の素みたいなものだからです。なーかる様のおっしゃるとおり、痛快なオスカルの人生を楽しむ!これがいいんです!原作を読んだ職場のお姉さん達の、「よかったわー!」のニコニコ顔を見ると、私も嬉しくなります。ひったて読めるベルばらにはヒーリング効果さえあるのかなぁ。早く返してくれ〜
男性が作る、女性が作るってのは、作品の質には関係ないんでしょうが、視点を考えると面白いですよね。
その、汗がたらりとか、花瓶ごしの・・とか。なるほど〜。
蛍のシーンで、星空が降ってくるような場面がありましたよね。あれは、オスカルが見た星空なんだろうなーと思うと、しみじみロマンティック(死語)だなぁと思います。
あれは、コンテは出崎さんで、脚本は杉江せい子さん(読み方、判りません・・)でしたね。
それと、なーかる様、「17歳の伝説」です。懐かしい・・!
では、おやすみなさい。



●なーかる(142) 題名:総集編 投稿日 : 2001年10月19日<金>00時15分
michy様のご質問の答えになってなかったことに気がつきました。
総集編は41話とは違い、映画として本編を再編集して作られた映画版です。
1時間半ほどの長さだったと思いますが、主要の声の出演を総替えしてあります。
セリフとかも変えてあるし、声の違いで本編とはかなり違った印象があります。

原作オスカルが元気がいい!?とのことで〜、ふと思ったことですが。
アニメは「女の生き方」を意識したと言うより(女を描いたというより)、一人の人間の生き方を、近いカメラアングルで実録したという感じなのですが、一方の原作は(特に当時の)少女が、こう生きられたらステキだろうな!っていうひとつの理想型として描かれていると思います。
確かに大人になってから見ると、ここまでオスカルが社会の中で絶対的な存在で居られることは現実的では無いとはわかるんですが、私にとっての原作は、男女の関係とか、上下関係のあり方のノウハウを身につけるのではなく、漫画の世界のお話としてオスカルの痛快な生き方を楽しみたいなと思うときに開くようにしています。
(だから原作とアニメのエピソードの一つ一つを優劣をつけるために比較するのは無理かなぁ、やっぱ)

masa様
劇場版ゴッドマーズもあったんですね。
「マーグ・17才のナントカ」というタイトルをどこかで聞いたような・・・。



●ペペ(936) 題名:小説? 投稿日 : 2001年10月18日<木>23時22分/女性
おもて様はじめ、皆様情報をありがとうございました。
そうですか、小説、あったのですね・・・。想像では、所々にコミック画があるような。
自分が言い出してなんですが、読むのは「期待と不安(笑)がいりまじる」気がします。

ただ、アニメ、コミック、俳優(宝塚・映画)などのような視覚的な美しさ、豪華さを文章から思い描ける想像力があれば大丈夫でしょうか。この作品は、「美しさ」なしでは魅力が十分味わえないと私は思うのです。総集編はチャレンジ。




●masa(594) 題名:告知!! 投稿日 : 2001年10月18日<木>22時09分/男性/24才
ども〜ご無沙汰しております。
本日はみなさまにご報告する事がありましてご連絡しました。
じつは今、私が管理人になり、「おもて咲メーリングリスト」なるものを運営しております。
で、そこで、本日からとある企画を立ち上げました。名付けて「第1回ベルサイユのばら私はお前が嫌いなのよ!!コンテスト」

えーっとですねえ。人気投票ではなくて、嫌いなキャラ投票大会です。
嫌いなキャラを3名挙げていただいて、集計発表しようと言うものです。
できれば皆さんにもメーリングリストに登録していただき、投票していただければと思います。
投票は私のメールアドレスとなっていますのでよろしくお願いします。
一応未登録の方からの投票は無効になりますので悪しからず。


ところで、マーズ、マーグってゴッドマーズのことですか?
香港で劇場版のビデオCD買ってきましたよ〜

ではでは




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◎おもて咲(442) 題名:ちょっと補足(^^;) 投稿日 : 2001年10月19日<金>22時50分/石川県/女性/90才
masa君からこんな企画はいかがでしょうか?と連絡もらったのは昨日。
「ああぁ?いいんじゃないのぉ?なんでも。キミがまとめてくれるなら。」
と、テキトーな返事をしてしまったんですが。
嫌いなキャラ〜なんて言うとちょっと刺激的ですよね(笑)
別に、ベルばらキャラをおとしめよう〜なんて気はさらさらなくて・・
軽く遊んでみよう〜!という企画な訳で・・
嫌いイコールいじめてみたい・・位に思っていただければよろしいかと思います。
いじめてみたいキャラ、その理由、どうやっていじめるか?その方法など、お答えいただければ面白いかな?
masa君も一生懸命考えた企画なので(苦笑)良かったら、みなさん参加して
やってください。お願いしま〜す(^_^)/



●海音(232) 題名:は、はやいっ 投稿日 : 2001年10月18日<木>21時30分
こんばんは。ほんのしばらく忙しく、覗くことのできなかった間に、これほど濃いお話しが為されていたのですねっ!ページを戻って、今頑張って追い付きましたわ。ふぅ(汗)。皆様の書き込み、本当に楽しいです!頷きつつ読ませて頂きました。
”男性のつくった”という部分に反応いたしましたので、少し戻りますが・・・。以前、例えば同じ脚本から映像を起こしたとして、男性監督と女性監督では全く描写が違う、というお話しを聞きました。それは、それぞれの性別から見た”理想”が反映されるから、とか。簡単な部分では、ラブシーン。男性が描く方が現実的で、近いアングルから汗ばむお肌なんかちらりと映っちゃったりして(おいおい、いいのかこんな話)。一方の女性が描くと、少し遠目のアングルで、映像の中に花の生けた花瓶が入り、焦点はそちらに合わせた向こう側で、ぼかしのかかったような静かでロマンティックな・・・。などなど。いえ、私は、必ずしもこれが”性別”によるものとは思いませんが。そんなことを頭の片隅におきつつ考えてみると、当時の男性(社会にもまれて生きる)が描くオスカルが、とても中間管理職的で現実的であったり、ラブシーンが全身の裸体を出してしまっていたり(でもあれは、女性視聴者をかなり意識した、譲歩したものだったと思うのですが・・・)というのも頷ける?はたまた、アニメオスカルの優しさって、とっても細やかな部分に見られると思うのです。なんだか、”豪快”というより”奥ゆかしい”というか。一方の原作では、女性が”こんな風に生きたい”と憧れるような部分が惜しみなく出ていた気がして・・・。豪快で輝いて、優しさが”かっこいい”し、仕事のしぶりも気持ちいいというか。8巻も、当時にしては素晴らしくストレートな描写とはいえ、なんだか清涼な感じがするのです。
と、無理矢理話をつなげた風ですが・・・汗。思いつきで書いてしまいました。すみません。私は、アニメに共感して原作に憧れる部分があるみたいですわ。




●michy(817) 題名:原作読みたい・・ 投稿日 : 2001年10月18日<木>20時50分/三重県
アニメベルばらの世界にはまっていると、なんかこー、原作の明るく強いオスカルに
会いたくなりますねぇ・・。
でも、私の単行本は、職場のお姉さんの間をめぐっていて帰ってきません。
あぁー!せめて、池田先生の本が読みたいっ!と言うわけで、古本屋で買ったオルフェウスの窓。
面白いですねぇ!でも、読むのが大変ですねぇ!
 お姉さん方にベルばらは大好評。でも、「アニメは、また違う解釈で面白いですよ!」と言ったところで
「ふーん」と言われるだけ。全40話を丸一日かけて見た私の武勇伝のほうが驚かれました。
 今日は語らずに寝ます。もう少ししたらお仕事ですもの。



●なーかる(074) 題名:追加 投稿日 : 2001年10月18日<木>00時04分
あらー、ぺぺさんの書き込みの後に、一気に3人が駆け込みしていたわけですね!!
おもてさん・・・知らずに同じようなことを書いてしまって、思わず爆笑。

michy様
41話のホタルのシーンですが、ちょっと息が弾んでいて、オスカルの声が
本編より色っぽいですよねー!!(まだの方、必見)
それと、ジャルジェ父に成敗されかけたオスカルのセリフが
本編と違っています。そうそう、アンドレのセリフも違います!

本橋さんの作品はあまり詳しくないのですが、マーズは人気が高かったです。
ほとんど話を見ていない私でも
「兄さんは俺の物だ!」というセリフは知ってますよー。うっ、オタク…



●ゆり(837) 題名:いろいろ読みたい 投稿日 : 2001年10月18日<木>00時00分/埼玉県/女性
おもて咲様
総集編って放映当時を見逃すか、抵抗あって見てなくて、改めて見直したら結構よかったっていう人が多いのでしょうか。アニメ全編通して見た後にこれは、ちょっと物足りないかも?と私は感じていますが。(ところで海外にお住まいなのでしょうか?(真面目^^;))対談また待ってます。
ここはアニメに関して語りたいことを語れるから、あまり緊張しないでいいですね。

ところで、次の日も仕事だというのに、検索したら海外サイトがたくさんあったので、つい夢中になって夜遅くまで読んでしまいました。(アニメに限らず、私は日本のものが海外ではどんなふうに思われているか大変興味があるのです)海外でも、特に本国フランスでも人気!っていうのがすごいですよね。向こうではやはりアニメから入る人が多く、人気はアンドレ・オスカルに集中しているようですね(これは日本でも同じ?)。
印象的だったのは、オスカルについて「身体(外見)的にだけでなく、心も美しい人」と描写されていたことです。確かに、オスカルに関しては、アニメでの数々の言動を思い出しても、何か責めるものが見つかりません。今思えば、後半でアンドレに多少冷たいと思える言葉を言ったのは、彼女にしてみれば、この上ない理にかなった、思いやりの言葉だったんだなあ、と胸にしみました。彼女は表にあまり表さないけど、内面的にあふれる優しさ、思いやり、というのはもちろん、一つにジャルジェ将軍が撃たれた際、猛突進で帰宅し、無事と知ってはらはらと涙をこぼすシーンを思い出します。


ところで私事ですいませんが、ここのいる方で、何か同人誌でも何でも、ベルばら本出しているのでしたら見てみたいので紹介してください(^^)。



●なーかる(166) 題名:こんばんわ 投稿日 : 2001年10月17日<水>23時49分
ここへ来ると、図らずもついつい長々と書き込んでしまいます。
最近、やっと冷え込んできたのか寒くて風邪気味ぃ〜!

そのボケた頭で考えますと、アニメ版にどーして共感したのかはやっぱしオスカルの立場が理解できるからなのでしょう。
立場の違う部下との確執、よかれと思ってしていることがついつい貧乏くじを引く立場になってしまう。
それを現在に置き換えたらなんてこの世は山有り谷有り……だけど明日起きたらまたくじけずがんばらにゃぁーという感じがするんです。

よもやあの緊迫したストーリー展開にそんなのんびりした雰囲気は無いですが、見て見ぬふりが出来なかったアニメのオスカルの生き方が何とも良かったなぁと。
「生きる」ってことを実感せずに生きてる私がいうのも何ですが、精一杯生きてるぞーっていうメッセージが含まれていると思いました。
ということでmichy様、ご遠慮なく語って下さいね。

ぺぺさま
総集編はよくまとまっていましたよ。
ただ、本編40話の方が中身の長さから言っても迫力はありますが、とにかく、何気なしに総集編を見たことがきっかけで人生を踏み外した人が何人かいらっしゃるので、よければご覧になって下さい。

小説は……多分、実写映画版が封切りされた時に、同時期に出版されたような気がしますが、記憶があいまい。
作者は、ハイティーン向けの小説をよく手がけられている方だったと思います。

アンドレとほにゃららするシーンのあたりのオスカルのセリフがすごかった記憶がありますが残念ながら覚えてません。
何がすごかったんだっけ???
ベルばらを一冊の本にまとめるとかなりダイジェスト版にしなければ無理なのか、かけあしの展開だったような。。。
オスカルというキャラクターを語るのにはもう少し長いページが必要だと思いました。




●michy(871) 題名:たびたびすいません 投稿日 : 2001年10月17日<水>23時44分/三重県
 ほんと、たびたびすいません、、。
総集編というと、41話のことですか?あれはレンタルで見ました。内容はあんまり覚えてないです。
蛍のシーンでの会話が、最中の会話みたいになってて、あれはあれで良かったです。
それよりも、全予告のほうか面白かったです。
演出の違いがはっきり判るのに驚きました。予告にちゃんと、次回放映分の映像を使っているのにも感心。
41話の予告の映像のほうが名場面集って感じでした。
子供の頃、原作を読んだ記憶があるんですが、不思議とオスカルが死んでからの記憶しかないんです。
でも、アンドレがオスカルに襲いかかった?場面はなんとなく覚えてるんで、読んでることは確かなんですが。
オスカルが死んでからのベルばらも結構好きです。フェルゼン、男前。
 ビデオを見てたら、原画マンに本橋秀之氏の名前を発見。マーズ、マーグの作画監督さんとは懐かしい!(判るかなぁ・・)前半の絵がきれいなのに納得。
 宝塚、マンガ、アニメを同時に体験してしまい、ショックが抜けない私。このうえ小説が眼の前に現れたら、やっぱり
読んで考え込んでしまいそうです。



●おもて咲(492) 題名:小説あるんですよー(*^_^*) 投稿日 : 2001年10月17日<水>23時38分/海外/女性/20才
ぺぺさま
小説化されてるんですよー。ベルばら。もちろん、同人誌ではありません(爆笑)
草鹿宏さんていったかなぁ・・30代後半の人ならご存じですよね?
あの、コバルトシリーズで往年の少女小説で活躍されていた方です。確か。
当時から、ちょっとこの手の小説が苦手だったオモテは、ほとんど読んだことないのですが・・妹が読んでましてねぇ。
たまにこっそり読んでみたら・・いやはや、こっぱずかしくて(苦笑)ハーレクインロマンスの未成年版って感じだった・・と記憶してます。
表紙は実写版のカトリオーナオスカルで、映画のポスターの構図だったかな?たしか。一度読んで、それきり本棚の奥にしまってしまいました(^^;)
いや・・でも、内容はかなりまとまってたと思いますよー。
文庫1冊にまとめた荒技はさすが!?(笑)
ちょっと大時代的な感じがする表現が目立ちますが・・なにしろ、この草鹿先生今ご健在だったら80才?これを書かれたのが60才??・・そりゃやがて、私の父親のトシでんがな(苦笑)
あ〜本棚の奥から出てきた、出てきた〜!
でも、なんだかんだ言っても、実物を手にすると、やっぱなつかしい・・
今夜はこれを枕元に持っていって、読みながら寝ようかな〜(^O^)





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