ベルばらオンリー掲示板 8

●ギンネコ(684) 題名:ハム太郎、ご覧になりましたか? 投稿日 : 2001年11月13日<火>20時41分/埼玉県/女性
全く関係のない話で申し訳ありません。 
ところで、「とっとこハム太郎」ご覧になりましたか? オスカルとアンドレがゲスト・キャラで出演した、先週放送のやつです。
アニメと宝塚をパロったものですが、もうお腹がよじれるほど笑いました。
オスカルは動物病院の院長先生でアンドレは助手という設定なのですが、オスカル院長・登場のシーン、笑えますよ。左から右に風になびくブロンド、これ完全にアニばらオープニングのパロディなのです。宝塚調の舞台がかったセリフや動物病院の看板も笑えますが、アニばら調の止め絵にはびっくりしました。オスカル院長の背後にバラが現れる長浜調の止め絵、荒い線で描かれた劇画っぽい出崎風止め絵の2種類を、ちゃんと使い分けていました。
一指し指で前髪をかきあげるしぐさは、まるで機動戦士ガンダムの悲劇のヒーロー、ガルマ様みたい!! 20年前にアニばらやガンダムを見た世代が、アニメを作る立場になったのだと思うと、感慨深いものがあります。
それでは、失礼致します。^^;;;



●おもて咲(995) 題名:訂正 投稿日 : 2001年11月12日<月>22時16分/石川県/女性/38才
以前のオモテのカキコミで、「なーかるさん」のことを「とりとんさん」と書き違えたモノがありました。「なーかる」さんはハンドルネームで、「とりとん」さんはペンネームであると、オモテは認識しているのですが・・
なにぶん、とりとんさんとしてのお付き合いが長いので、混乱してしまったことをここにお詫びすると共に、ここの入室条件の、ネームの統一に、なんら、なーかるさんご本人が支障をきたしていないことを、ご理解下さい。
申し訳ない!風邪の熱でぼ〜〜っとしてしまったらしい(^^;)(^^;)(^^;)



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◎なーかる(828) 題名:いゃあー、めっそうもない 投稿日 : 2001年11月13日<火>00時27分
わざわざ訂正などと・・・。
私も対談は「とりとん」でカキコミは「なーかる」というややこしいことをしてますので〜。
とっても恐縮してますです。汗。(^^;)ヾ



●なーかる(003) 題名:オスカルって? 投稿日 : 2001年11月12日<月>18時06分
れもんさま
「従う」発言について語ることは、
それを発言したオスカルの気持ちを推測して語ることが難しいだけではなく「オスカル」という名を聞いて、原作を思い浮かべたりアニメを思い浮かべたり、人によって自分のオスカル像が異なっていることも、話をややこしくしている原因だと思います。
さらに私は、対談や掲示板で、過去の私の感想と現在の私の感想を取り混ぜているので、
れもんさんを混乱させてしまったのかも知れません。
結論として、20年ほど過去の私はこのセリフに納得がいかず、反発したのは確かですが、現在のアニメにはまった後の私は、あのセリフがあったことを納得しています。

私がオスカルにこだわる事についてですが、それはずばり私はオスカルが大好きだからです。
好きだから気になるし、カキコミは長くなります。
それも今は主にアニメのオスカルについてこだわりを語っていると言えます。

また私の言う「許容範囲」は、私個人のオスカル像とご理解していただければ良いと思います。
色々なドラマや小説やアニメや映画などを見て時々、見た目にオスカルに似ている場合と、姿形はオスカルに似ていないのに「このキャラはオスカルが入っている!」と感じるときがあります。
これは「認識範囲」と言ったほうがいいのかも知れません、またの名をオスカルセンサー!
とにかく、理屈で考えるより前に、容姿だけではなく思考やセリフ等に対して「オスカルが入っている」と感じたもの、それが私自身のオスカル像のカケラであり、「許容範囲」に通じるものです。

オスカルに何を求めているか?は、ちょっと難しい質問です。
オスカルに対して私が何を求めていると、れもんさんがお感じになったのか、具体的にわかりませんので…。
ただ求めるという事に関して言うならば、私はオスカルに対しては何も求めていません。
彼女は架空の存在ですが、一人の人間が自分なりに生きて死んだという事実があるだけです。
こういう場面があればなぁという願望はありますが、それはオスカルの考えを知りたいからです。
あえて言うなら、私は私自身のオスカル像とは何かを求めているにすぎません。

カキコミから察するに、れもんさんはオスカルというキャラクターに対してかなり固まったご意見をお持ちではないでしょうか。
これを「れもんさんご本人のオスカル像と何か」という形にして語って下さると良いなと思います。
また、「過労死」説も今の世情が重なっていて興味深いものがあります。
オスカルが過労死に至った理由なども語っていただけると有り難いです。
あ、でも決して強制ではありませんので!!もし気が向いたらで結構ですのでいつでもどうぞ。


(注※この発言の元になった発言は削除されました)



●michy(246) 題名:その2 投稿日 : 2001年11月12日<月>01時14分
皆様の書きこみを、理解力の乏しい私は、なにをおっしゃりたいのか解らない事があります。だから何回も読み返す。人と人の付き合いがそうであるように、すべて理解は出来ないけど、認めていきたい。ここまで連日遊ばせてもらっている以上、楽しくありたいですよね。
 各人の好みで、ベクトル上を移動するオスカル。そして視点の違い、眺めているオスカルの場所が違う以上、いろんなオスカル像かあることは、みなさんも異論のないことでしょう。
 従うねたなんで、最も難解で、この場で熱弁を振るっている私を含めた皆様の中でも、まだまだ言葉にならない胸の中でくすぶっている物があるはずです。きっと、読み専の方も同様だと思います。「そうかな?」「なっとく!」と思う事によって、自分のオスカルが見えてくるんでしょう。原作オスカルにいての思い入れや、宝塚オスカルについても聞きたいな。
 おもて様となーかる様には大感謝です。対談等で、私の胸につっかえてとれなかった物の形のヒントを与えてくださり、この場でもやもやして形になるかどうかといった思いを、すこしづつ語ることで、自分をしずめる事ができました。
 アニメベルばらは、登場人物が黙々と物語のなかで生きている為、夢想癖のある私なんかは、もう広がる広がる!!という訳で、いつもいつもお邪魔してごめんなさいです。(まだまだあります。いいですか?語っても?)
確かに書きこみは重くなってしまいますが、もくもくと生きる登場人物を思うと、つい重く語ってしまいます。
論争といえば、どっかのHPのBBSで「アンドレ、チェリー説論争」!!!で熱い議論を戦わせているのを見ました。
もう一回読みたいんだけど、見つからない〜、面白かったのに〜!
 いろいろ出来そうですねぇ。アランねたとかやりたいなー。バスティーユを生き残ったオスカルは、アンドレを失った悲しみに耐えながら、気丈にも笑顔を浮かべ革命への協力を惜しまなかった。ある日、アランに突然抱きしめられた
オスカルは、罪悪感を感じつつ、アランにアンドレの面影を重ね、彼の腕の中に落ちていくのであった・・。う〜ん、これは同人誌ネタですね。失礼しました・・。



●michy(184) 題名:ベルばらのベクトル、点、視点 投稿日 : 2001年11月12日<月>00時39分
またしても、論文が送信できませんでした。なんでだろ?でも、今回は真っ白ではありません。
 やっと先輩の所から原作が返ってきました。読み返してみると、やっぱり、好きな漫画だなーと思いました。
みなさん同じでしょうが、やっぱり、詩的表現が素敵ですよね。一番好きなのが、アンドレの臨終の場面。終わり無き想いを運べ。これは暗唱できます。音読しても、十分美しい完璧な詩ですね。オスカル臨終場面も好き。フランス万歳は、愛と自分の思想の正義に生きた彼女らしい台詞です。
 同時に宝塚のベルばらを思いだしました。公演時間の関係で解りやすくなったストーリーと華やかな舞台装置のおかげで、いっそうテーマがはっきりします。愛!夢!自由平等博愛!。歌と踊りがついて、さらにこのテーマが華やかに打ち出されます。宝塚の作品のなかでも、ベルばらはいっそうべたべたで華やかな作品です。宝塚の歴史物は、もっと重ーい場面設定であるものが多く舞台装置も地味です。(地味とはいえ宝塚なんだけど・・)
 そしてアニメ。もう語りまくっているように、私が思うテーマは、心、想い、葛藤、理想と現実。
 ベルばらを一本の線に乗せるとする。その左翼が宝塚、ゼロが原作、極右翼がアニメ。べたべた宝塚に向かうベクトルと、ぎりぎりアニメに向かうベクトル。その線上で基本である男装の麗人オスカルを点としてどの辺りに置くかで、作品の方向性や、登場人物の性格が変わってしまうのは当然といえば当然ですね。
 そして視点。線上の点であるオスカルをどの位置から見るか。
プラスからかマイナスからか。また話がややこしくなるけど、男の視点か女の視点か。原作オスカルを少女時代から愛している人の眼か、ついこの間オスカルに出会った30代の眼か。
 視点から眺めるオスカルの場所。頭か足か。女性の部分か、人の部分か、組織の中の人か。
 オスカルの許容範囲は、いろんな視点から見て、ベクトル上を点のオスカルをどのくらいシフト出来ることを許せるかという、各人の好みの問題だと思うんだけど、違うかな・・。
 アニメオスカルを語る時、自分の内面と向かいあっているような、おかしな緊張感があります。オスカルはこういう人だ!と語るとき、なんだか自分の理想像を語っているような錯覚におちいります。アニメの中に自分の環境を投影しているのかもしれません。
 たとえば衛兵隊に入った彼女を思う。上司がいて、身分の違う難しい部下がいる。中隊長という立場から同僚がいることが想像出来る。そしてなんとなく自分の環境と重ねてしまう。上司、先輩、同期、生意気になってくる後輩、Dr、患者さん。
 オスカルは、なにも言わずに死んでしまう。彼女の考えは彼女しか解らない。だから考える。親しい友人がなにも言わず死んでしまったあと、友人の人生を語りあうように。自分の人生と考え方を駆使して考えてしまう。
 オスカルの視点が人によって違うのは、各人の生き方、考え方がそれぞれな為に当然な事ですね。
づづく



●なーかる(620) 題名:記入漏れ 投稿日 : 2001年11月10日<土>01時33分
肝心の兵士の話題のオチを入れるつもりがすっかり落ちてました。

原作はオスカルに気を取られて、昔はあまり考えなかったんですが・・・名も無き英雄になってしまった兵士たち。
読んだのは小学生の頃。
当時もわからないままに戦いは残酷だな・・と思いました。

崇高な理念を掲げた戦い・・・でも現実はオスカルが目の当たりにした、ジャン、フランソワ等の兵士の死、彼女はこの無常の世界をどう思ったんだろうなって・・・考えはじめたのは中学に入ってからかなぁ。
理想を掲げても、全ての人間が理想世界に生き残るわけではないってことに気が付いて。

最期にフランスばんざい、と言った彼女ですが、
アニメ化するにあたり、
自由とは?平等とは?友愛とは?・・・と、葛藤するオスカルを見たいう気持ちもありました(回想)。
あ、それと誰も死なないお気楽ベルばらも?!それじゃあ、ギャグ路線?





●なーかる(644) 題名:2000字で、毎日論文気分? 投稿日 : 2001年11月10日<土>00時44分
オモテさま
修羅場おつかれさまでした。これで私もイスカンダルまで暴走することはなくなる・・・でしょう〜?

兵士の話題なんですけどね、原作では特に兵士のことを取りざたするほどでは無かったし、そんなことよりオスカルをもっと出せ!って感じだったんですが。
それだけ際だったキャラクターで、光り輝く女性だし、とても美しく描いてあった。
原作オスカルは、確かにスーパーヒロインだと今でも思ってます。
常に物語の中心にいるオスカルに対して、永遠のあこがれでいて欲しいというファンには、アニメ版は向いていないかも知れないと、ある程度は思うのです。

まー、色々とアニメ版のことを語っていますが、今、私にとって、このアニメ版のオスカルというキャラクターは心のヒロイン・オスカル様ではなくて、共感を持って語れる一人の登場人物という感じです。
・・と、言ってしまうと何だか影の薄いキャラみたいですが、兵士のおっさんたちだとか、彼女以外のキャラについてもちょっと気になる彼らがいることで、色んな観点から語れるところがまた楽しいところです。

色々とカキコミの話題の内容も重くなりがちで、代えって日常に流されている自分の甘さをさらけ出すような事になっていますが、多分、アニメ版を見て、私同様どうにも何か語らずにいられない人が日本に何人かいるのでは?と思った時から・・はや6年目。
オモテさんの、もっと長い旅路にはかないませんが、こうして語る場が出来たことは良かったなと・・しみじみ感じています。

ぺぺさま
オスカルについての許容範囲が人によってまちまちなのが、楽しいようで、困ったようで・・・。(^^;)ゝ
ぺぺさんのおっしゃる最低条件が基本形かなと思います。

ベルばらジャンル数多い中で・・・ここは特にアニメの中身が主ですが、実はアニメが好きでありながら、多分、一人一人が思うオスカル像は少しずつ違うと思うのです。
自分なりのオスカル像というものを、それぞれの人が、カキコミながら〜、または読みながら〜見つけられたらいいなーという想いがあります。





●ペペ(521) 題名:オスカルって 投稿日 : 2001年11月9日<金>23時35分/女性
原作から、アニメ・映画・宝塚・小説と発展し、リメイク希望のファンも多いベルばら。
しかも、それらからキャラクターやストーリーに関し、いろいろな感じ方ができるのだからすごいです。(としかいえない。)

事情があって、女の身でありながら剣を持ち男のようにふるまう女性を作品に加える。この最低条件のもといろいろなオスカルが生まれているのですね。オスカルの味付け方によって周囲の人物の動きや役割まで変わってしまうのだから面白いです。ただ、骨の部分は原作ですから、原作を見直すことも大切だと思います。池田先生の絵は表情豊かです。
また、言葉がとても美しいとおもうのです。アンドレも情緒豊かで詩人のようです。もちろん、アニメのアンドレも気配りが細かく、ちょっとした発言に彼の優しさが出ていますが、詩的でロマンチックな思考というよりは、論理的な考え方をしていてそれが現実さを増している印象を与えます。原作は、読者にとって理想的な展開をしますが、人物が悩んだり、喜んだりしているときのセリフやモノローグが素敵です。もちろん男女をわけて見るのでなく人間としての姿です。

あら、アニメをほめまくるところで失礼いたしました。原作についての対談も用意されているからそちらも楽しみにしておきます。(苦笑)




●おもて咲(180) 題名:文字数制限変更! 投稿日 : 2001年11月9日<金>08時46分/女性/90才
・・いたしました。今度からは2000文字!存分に語ってくださいませ(笑)・・って
いままで、そんな設定が出来ることも知らなかった大バカモノでございます。
michyさま・・うん、プラウザの?【戻る】で、送信前の画面に戻れる事もあるようです。諦めずに、今度はやってみて下さい!2000文字以上になったら・・って。文字原稿用紙5枚分?(爆笑)
皆々様〜!
活発な書き込み、ご意見、いつもありがとうございます!
やっと、ジョイント本の原稿も完成しました。これでやっと、私もここに参加できるぅ(T_T)
ホラ・・川が背景のシーンは・・フェルゼンがアメリカ遠征を思い立った舞踏会の夜明けもそうでしたよね?
「これはもういらないな・・」と、軍服からちぎりとった階級章?を無造作に捨てるオスカルが良いなぁ(*^_^*)
周りのモノも、ほとんど誰も注目していない所も、なかなか〜。
「従う」イコール何も考えがない訳じゃない!・・そうよねぇ。ウンウン!
男と女・・こだわる人ほど、従う発言にこだわる・・そうかもね〜。
読むだけで、熱い論争に・・これこそ論争よね!・・加われない己の身が悲しゅうございましたが・・今日から復活いたしました〜。
またよろしくお願いいたします(*^_^*)




●なーかる(180) 題名:キャラの行動に説明がいるかどうか? 投稿日 : 2001年11月9日<金>00時26分
michy様
全文、消えてしまったんですか?うううっ・・・お気の毒に・・。
どうにかすると、(ブラウザで戻る?)カキコミの文章が残っている場合もあるみたいですが、私も痛い思いをしたことがあるので、今はワープロソフトに打ち込んでいってます。 そしたらついつい長くなるの何の。(^^;)ゞ

う〜ん、解釈によっては、
上司と部下がいい雰囲気に仕上がって朝帰りという感じですか?!(*^o^*)

なるほどな〜と思うのは、キャラの行動や考えを説明するナレーターやサブキャラクターがいないんですよね、特に後半…。
キャラの動きや数少ないセリフの中の言い回しや、話の流れを見て、視聴者がおのおのが感じたらいいって風になっている。
その場のセリフを聞いて拾い上げたら確かに「結婚した」「従う」ですし、この裏の裏を読もうとした私がアニベルバカと言われたらそれまでですが、オスカルがそんな自分の意志を失った腰抜けには見えなかったのです。
後は、こないだ色々とカキコミしたので以下省略するとして、キャラの言葉には視聴者に対する状況の説明だけではなく、登場人物同士の人間関係の扱い方まであるんだなと・・後半はそういう部分を拾い上げる楽しみがある作品です?!

それに頭の中を真っ白にして見るか、「良い・悪い」いずれかの先入観を持って見るかでは同じシーンでも全然受ける印象が違うと思います。

カードをしていたおっさんたちですが、すでに昨日まで生きていた仲間は半数は死んでしまって、明日は我が身なんですよね。
それでもいつもと変わらずカードをしている。
この人たち、兵士という立場から逃げ出すわけにもいかず、生きていく上で他にどうする事もできないとは言うものの、自分たちのことを消耗品と割り切り、もし生き残ったらめっけもん、という図太い神経の持ち主だったとしたら、何だかかっこいい奴だなーと思いました。

それと、現在修羅場中のオモテさま
「しあわせになりたい」は、今見ても全然違和感ないと思います。
私もMOMO同様、最初に読ませていただいた本ですし。
そんな失神だなんて!!見る側は変だなんて感じていませんよー。



●michy(322) 題名:兵士の気持ち 投稿日 : 2001年11月7日<水>22時22分
なーかる様、私も先日、論文調書きこみをして、送信したら「文字数が多すぎます。」で送信でしなかったんです。もう、かなり時間をかけて書いたのに!く〜っ!
で、真っ白になったんで、もう同じものはかけませんね。
今、一番なりたいベルばらキャラは、衛兵隊のおっさん兵士。あの、アンドレが死んでから、教会の前で
カードをしていたおっさん、なんか、かっこよかったですよね。
アンドレは、衛兵隊で、ちょっと浮いてはいたけど、決して、周りと上手く出来なかった訳じゃないと思う。
ラサールが連行される前も、カードの見学をしてたし。
他人の恋路がおもしろいのは、きっと、古今東西、老若男女同じだと思う。んで、きっと、隊長オスカルに恋しているのがばればれアンドレは、きっと、噂話の的から、からかいの対象になってたとしたら、楽しいですよね。おっさん兵士達も、きっと、アンドレをからかって遊んでいて、照れるアンドレを見て、腹がよじれるくらい笑う。これは楽しそう!
私も、おっさん兵士となって、アンドレをからかって死ぬほど笑いたいなぁ!
「夫婦になった」宣言があることは、見る前から、ネットめぐりで知ってました。朝方、二人で帰ってきて「すまん、遅くなった。私達は夫婦になった!」と言ったみたいな書き方でした。(多分、内容をお忘れの方だったんでしょう。)で、え〜と思いつつビデオをみたら、ちゃんと星空の朝に帰って、兵舎で静かに語るオスカルだったんで、「なんや、おかしくないやん」と思った。
妻になった宣言のあと、兵士達のあの、ほのぼのした様子。人情の厚いおっさん兵士達の、「よかったじゃないか〜」
という様子が、なんか、よかった。
革命に倒れた兵士達の死は、きっと、人情厚い生き残り兵士によって、遺された家族に知らされた事でしょう・・。
海音様
 女ばっかりの部隊?、恐ろしい・・。職場に男性がいるかいないかで、全然空気がちがいますよ、ホント。ばりばりお仕事をなさっているんですね!かっこいい!私なんか、偉そうな事を言っているけど、いつも、「あー早くこんな職場はおさらばしたい〜、やっぱり美しいのは寿やね〜。そして、外来で日勤しかしなくて、毎日5時に家に帰りたい〜」と
常日頃思ってる、あまちゃんですわ。




●なーかる(303) 題名:兵士の気持ちで 投稿日 : 2001年11月6日<火>00時48分
オスカルは容姿から見て、とても脚光を浴びる存在なんですが、あの時、出動命令を聞かされたのは兵士たちも同じなんですよね。
彼らの立場には普段からあまりシンクロしていないのでぴんと来ませんが。
(だってノミがわきそうな兵舎の中にいるイメトレは普通したくないですし)

オスカルが語ったとおり、彼らにすれば直接家族に対して引き金を引くかも知れないと言う緊迫した状況で、彼女が何の覚悟もなく兵舎に戻ってきていたのなら、アランの言葉ではないですが、彼らはオスカルを置いて革命に身を投じていたでしょう。
オスカルの結婚宣言は単なるおノロケではなく、兵士たちに対しては、彼女が貴族の身分も何もかも全部捨てたという事が伝わったことだと思います。
彼女がいきなり職場でまるで会議の席で結果報告するように「ケッコンした!!」と発言して、思わずぶっ飛ぶ兵士もいたでしょうが、(いや、その前に私がぶっ飛んだ!)いわば私は平民になったと言っている彼女は、浮ついた気持ちではないでしょう。
公私混同という批判もあるようですが、この場面は自分の覚悟についての報告だと思います。
最初見たときは(10代でした)とっても恥ずかしい気がしましたが、それは原作のオスカルがこの場面でこのセリフを言ったことを想像していたからです。

ちなみにこの時、従われるはずの夫アンドレが、なぜか一歩引いて地味にしているのがかえっていじらしかったりして。
この場を収めることをオスカルに一任していたのかなぁ、彼。
彼女の良き理解者として信じていたから。

それと、オスカルは彼らとはこれから戦闘という場で共に戦う仲間になったと言っていいでしょう。
アンドレの死後、よれよれになったオスカルの元へアランがやってきて「仲間が待っている、隊長を信じて・・」とアンドレの声で語りかけるんですが、このセリフがまた、効くぅ〜。

オスカルは、着任してから長い時間をかけてやっと仲間を得た。
この先、厳しい状況が待っているのはみんな分かり切っていたけれど、民衆の盾になろうという気持ちは同じだったはずでしょう。
多分、近衛にいたままならこんな瞬間はなかったと思います。

ただ、虚しくなるのは、この先兵士たちはどんどん倒れていって、この兵舎(家みたいなもの?)に帰ってくる者はいなかったという事かなぁ・・。

今日も思わず論文こいてしまった・・・この辺でやめとこう。(^^;)




●なーかる(209) 題名:カキコミ 投稿日 : 2001年11月6日<火>00時46分
海音さま
後からチクッとハチのひとさしが効くのでございますよー。
女性だけの部隊…想像しただけで、男ばかりの兵士より手強そうな気がするのは私だけでしょうか??

ぺぺさま
短大で40ページの原稿用紙がなかなか埋まらなかった過去もありますが、社会に出てから、言葉は毒にも薬にもなるのだと知りました。
短くまとめられないので、思わず長文になるのですが、くどくてコテコテなのをどうにかするがこれからの課題かなぁ・・・


対談・カキコミは自分が書いていて思わずアドレナリンだくだく!以外の時は、出来るだけ「思う」「気がする」というボカシを入れるようにしています。
自分一人で書く解説は一人っきりなので結構言い切ってしまってますが…。
だから、そこは違う!私はこう思う!という別なご意見とか、ひらめいたときはどんどん書き込んで下さい。

アニメへの批判は色々と耳にしますが、やはりアニメのどこが気に入らないかを考えるより、原作のどこが良いかを論じるほうが説得力が有って良いと思います。
もうすでにファンの間では語り尽くされたのかも知れませんが、今、こうやってネットで自由に手に入る原作ヨイショのコーナーがあれば、いいのにと思います。




●ペペ(593) 題名:これほどとは 投稿日 : 2001年11月5日<月>19時19分/女性
なーかる様が、これほど多く語った場面を初めて目にしました。
といっても、ここが設けられてから考えれば私は本当に新参者ですが。
そして皆様がこれほど「従う」発言にこだわり、考えをまとめられようとしている姿に何も言えなくなります。

原作はもちろん、アニメのころもまだ子供であったため捉え方の違いをぬぐえないです。
まじめに原作、アニメにふれたのは今年の夏です。(爆)あまちゃんですねえ。
はじめにビデオで観たときは、「従う」には違和感があり、ちょっと照れくさくなる印象ががありました。ビデオを何度か観たり、コミック版を読んでいるうち、このころからオスカル自身も変わってきていると思えるようになりました。アンドレの意見は、彼だけでなく衛兵隊や平民の考えの一つでもあるようです。原作では「思想」というレベルの高い判断で、オスカルが貴族社会に反旗を翻しますが、アニメでは身近に接する大切な人々の影響で自然に彼女の考えが変わっていったようにみられます。「従う」には、服従の意味でなく、「自分になかったものを、いいと考えて選ぶ」というニュアンスがないでしょうか。

 あまりに頼りないことしか書けません。男女についての社会のあり方が作品に反映されていることをつくづく思い知らされます。オスカルに現代の自分たちを投影し、彼女が議論のたたき台になっている気がしないでもありません。当時の貴族の多くが他国に亡命し、革命時期を生き抜いている中、架空とはいえオスカルの存在は貴重です。おかれた状況で苦しみながらも力一杯生きるオスカルとアンドレの姿は心から消えません。




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◎ペペ(104) 題名:訂正? 投稿日 : 2001年11月5日<月>19時45分/女性
上記中の「あまちゃん」は表現上よくないかもしれません。すみません。
ちょっと神経質になっちゃった?




●海音(922) 題名:すごい・・・! 投稿日 : 2001年11月5日<月>16時22分
 いつも顔出しが遅いでしょうか(汗)。すみません。わたくしも、なーかるさまの情熱溢れた語りを拝見し、心拍数をあげさせていただきました。アドレナリン出まくってます。
 なーかるさまの文章を拝見し、私の頭の中で「あぁ、そうだ」と、糸が解けた部分がありました。それは、michyさまもおっしゃっておられました、”オスカルを、「男社会と戦う女戦士」ととらえると、従うは、男に屈したとなる”という部分です。原作ファン且つアンチアニばらな人々に不快感を与えたのは、このような視点からの「従う」だったのかもしれないですね。もし、衛兵隊が女性の部隊であったなら、そして同じ様に「貴族のお上品なお嬢様の指示になんか従えるか!?」という激しい抵抗を越えてあのような場面があったのなら(それでもやはりオスカルは同じように「従う」立場にたったと思いますが)、「部下を建てる素敵な上司」として許されたのかしら?私も、「私は女だから、男性である夫のいうことに従う」といっているのではなく、「貴族という立場を生きて来た人間だから、この戦いの主導者である平民達に従う」ということと思います。なーかるさまのおっしゃる「女性」と「人間」の立場を混同しないことが、解釈のポイントかもしれませんね。また、ひとりの人間としてみた場合に、私もゴンタさまのおっしゃる通り、「従う=自分で決断することをやめる」とは違うと思います。彼等の行動(戦い)に”従おう”ということ自体が、彼女の人生をかけた大決断ですし。
 といったところが、今の感想でございます。みなさまのおかげさまで、少しずつまとまってきた気分でおりますが、余計に難解でしたらすみません(汗)。

 それにしても、michyさま、リアリティ溢れる設定から推測させて頂きましたとおり、白衣の天使様でいらっしゃいましたのねっ(さらに、ハードそうでいらっしゃる)。私はばりばり男性社会な方の仕事ですが、”女性が卑下される”ことはもはやないので、一般社会の中で頑張ってらっしゃる女性の気持は理解できていないかもしれません。ただ、同職の女性はいわゆる”女性としての生き方(率直にいうと、家庭生活を営むこと、子供をもつこと)”をしない方が多く、そういった意味での”両立の難しさ”は痛感しております。ゆえに、あの後のオスカルがどういう人生を送って行ったか、みたかった〜〜〜と、その死を痛く思っております(涙)。




●なーかる(304) 題名:色々 投稿日 : 2001年11月5日<月>01時45分
書きたいテーマを一気にいくつもドドッと書いてしまって、
結局何が結論なのわからないカキコミになってしまったようで、どぉ〜もすんませんです。
こんな暴発発言の後に、どなたもカキコミする意欲が失せてしまったら
どうしよう・・・と自分の書いた巻物みたいな発言を見直して途方に暮れていたのですが、
暖かい目で見ていて下さってありがとうございました、michy様、ゴンタ様。

オスカルが兵士たちに話すシーンはすごく深いものがあると思ったんですよ。
だから、「従う」が嫌だ!だけで片づけるのかとても惜しかったんです。
これから見る人にもじっくり味わってほしいシーンだし。

オスカルがこれからどうするかを考え、自分の進路を語っているはずが、当時ファンの間では、オスカルが言いたいのは彼女自身のこれからではなく、「ファンに対して、男のカントクがオスカルの口を借りて、女は男に従えと言った」と解釈されていたようです。だから、アニメオスカルはお人形だと言われたのかなぁ〜。
自分では意志を持たない、カントクの操り人形。オスカルの信念は曲げられた!
・・・なーんて書くと、なんとなくその気になって腹が立ってくるものかも知れません。
ファンならオスカルを守りたいですから。
アレは、ベルばらファンへの攻撃だと言うのも聞いたことがあります。
攻撃だ!と言われてとっさに身構えるのは本能でしょうし。

特にあの地味なシーンは、難解ですよね。なんて言うか人間関係の、特に職場(集団)での上下関係を経験した人がシナリオを書いているのかな?と言うんでしょうか?
オスカルの発言を聞いていると、ものすごく人間関係を考えて言っていると思うんです。
だから30過ぎた人間が見ても、あなどれないないな・・とうなってしまったんです。

衛兵隊に入ってからのオスカルと兵士たちの交流なんですが、オスカルが男の中で女一人でがんばっているなという以前に、価値観の違う部下たちと人間関係をまとめていくのが大変だろうなと思いました。
人様に気持ちよく動いてもらうためには、とんでもない気配りをしなげばならない仕組みの世の中ですし、上に立つオスカルの仕事は一匹狼ではとうてい勤まりません。
むしろ、オスカルを拉致監禁した原作の方が男対女の図式があるほどで。

兵士たちに告白するとき、オスカルの指を組んで落ち着き払った態度が、ものすごく目標を捉えているようなのです。決意していたんでしょうね。
だけど、彼女の決意だけではなく、オスカルも兵士たちの決意を知っていたから彼らを信頼してあの場で話したのだと思います。
・・・とまぁ、長くなるのでカキコミはぼちぼちにします。
またそのうち暴発するかも知れませんが。

michy様
やはりその道のプロの方だったんですね。
設定があまりにも専門的だったので・・・。
uccなら知っていますが、ccuなるものはついぞ馴染みがありませんです。
現場での体験を交えてのご意見、ものすごく重みを感じています。

ゴンタ様
お久しぶりです。
オスカルがウルトラマン、の話ですが、ウルトラマンのいる地球と、ウルトラマンのいない地球が、原作とアニメの違いかも?という話は以前ありました。
オスカルが中心で描かれるか、オスカルが一登場人物として描かれるか、その辺のこともファンの好きずきがあるようです。



●ゴンタ(404) 題名:なーかる様の情熱に惚れました 投稿日 : 2001年11月4日<日>22時10分
また、お久しぶりにお邪魔致します。
対談を拝読しました。遂に究極の話題に突入しましたね。楽しみにしておりました。
言葉が合わないかも知れませんが、面白かったです。
私は「従う」論争を体験してませんでしたので、一歩下がった見方しかできないのですが。
放送を見たとき“うわっ!こっ恥ずかしぃ〜。こんなこと口に出すな〜”とは思いましたが、拒否反応は特に無かったです。
原作のオスカルが完全無欠のヒロインと捉えられている様もあるそうですが、私はそう思ってなかったので、原作との違いというのもあんまり感じなかったのです。
(読みが浅いと言われればそうかもしれませんが)表現の違いぐらいかなぁ…程度。
「従う=自分で決断することをやめる」とは違うと思います。
ただアンドレと生きていきたいと言うだけなら、軍隊をやめてとっとと逃げてしまえば済む
ことで、わざわざ革命に参加しなくても、と思うのです(ストーリーにならない?/笑)
「従う」発言を嫌う方々はオスカルに何を求めているのでしょう。
偶像が無くては生きられない・・・わけでもないですよね。どんなに立派な人がいたとしても、世代やおかれている環境も何もかもが違うので、同じ様には生きられない。
自分の生きる方法は自分で考えて、周りと同調しながらやっていくしかないと思うのです。
どんなに立派な事でも、協力してくれる人間がいなくては仕事はなし得ないですよね。
現実では、理想を押しつけられるほど苦痛な事はない。
だけど、架空の世界だからこそ“こうあって欲しい”が確固たるものになるのでしょうね。
以前、オスカルはウルトラマンか?という話題が掲示板にありましたが、私もオスカルが革命の立て役者…という見方にとても違和感を覚えます。
本当なら一人の力でどうなるものでも無い。しかも架空の人物(←おいおい)。
オスカルにどうあって欲しいか。
この考えに他人の意見が入る余地がなければ、論争に終止符は打たれないでしょうね。
宝塚ではありませんが、女にだって意見を言う権利はある。
従うのが女性であったとしても、全く意見を言わないのか、考えをなくすのか、といえばそれはノーですよね。(これは本当に時代が変わったから言える事かもしれません)
オスカルが女性であって、そんな風な発言をしたとしても、たまには肩肘張らない発言をしても良いのではないかなぁと、個人的には思うのです。
話は逸れますが
尽くされるのは心地よいけど、それだけでは飽きますわ、きっと。(爆弾発言)
いろいろな男性を見てきた中で、アンドレを選んだのには意味があるのでは、と思います。

今はまた時代が変わりつつあって、男性も賢くなった女性の上に立ち続けるのは、苦痛に感じているそうです。お互い、背伸びしないで補い合える様になれる日が来るのかな?と思います。
地雷をばらまいて、書き逃げします。ありがとうございました。

michy様の「従うのが嫌いな人ほど、かばって死んで欲しかった」考察。
とっても興味があります。よければ、また聞かせて頂きたいです。




●michy(579) 題名:追記 投稿日 : 2001年11月4日<日>20時16分
仕事にでる前に、ばーっと読んで、だーっと書いたんで、もう一回おじゃまします。
なーかるさまの、文面から伝わってくる情熱に、感動すら覚えます。私の心拍数も上がります。おっしゃる通り、オスカルを、「男社会と戦う女戦士」ととらえると、従うは、男に屈したとなるんでしょう。それでありながら、「従う」が嫌いな
人ほど、「アンドレには、オスカルをかばって死んで欲しかった。」人が多いのではないか、というのが私の観察から導いた結果です。考察はこわいのでやめますが・・。
 専門職で食べている私には、仕事をするにあったて、性差を感じることはほとんどありませんが、少女時代、オスカルにあこがれて、大人になってから彼女のイメージを大事にして、社会で負けまいとして頑張っている女の子には、アニメベルばらはちょっと重かったのかもしれませんね。それはそれで良しとしましょう。
 なーかる様のおっしゃると通り、男だ女だと言っている間は、「従う」発言は、ただ、悪口の標的になるばかりですね。
 オスカルの「従う」発言にいったた経過を考えると、彼女は性別を超えた出来た奴だということが言えると思います。
女性だから出来たのではなく出来る奴が女性だった。彼女には、思想的背景はなく、現実を直視出来る大人だった。社会の動きや、女性上司で貴族である自分を、部下がどう見ているか、どう感じているかをちゃんと知った上での、「従う」とその後の発言なんでしょう。自分が立った立場も、ちゃんとどんなものか判っている。ここら辺の考察は、まだ甘いんですが・・。王妃や父をいずれ裏切ることになる事も、うすうす感じていたことでしょう。他人を大事にする人、というイメージも当然あるんですが、現実を直視し、自分の選択で他人に与える傷も、自分に返ってくる重荷も受け入れようとする、勇気のある人、というのが私のイメージです。
 オスカルの印象は強烈です。善とか悪とか、男とか女とかをかけ離れた、彼女自身の強烈な魂の輝き。同時に、女性としてもまぶしい。もう私には、彼女が架空の人物であると言うのは関係の無い話ですね。
 いろいろ、まとまりなく語ったけど、結局、「オスカルが、決めたことや、ええやんか、立派やんか。」の一言です。
 うーん・・ちょっと疲れた。Drオスカルネタでも考えて、リハビリしよっと。 




●michy(286) 題名:なるほどぉ 投稿日 : 2001年11月4日<日>10時44分
なーかるさま、いつもながら、しっかりしたご意見に感動しました。
男と女、みんな、男社会で苦労してるんですねぇ・・。
私は、ばればれかと思うんですが、女ばっかりの職場で、看護婦です。CCU勤務つまり、
心臓血管疾患専門集中治療室です、ははは〜。
ばりばりプライドのナースの間での人間関係と、どっかとくる責任のなかで、なんとなく、お仕事大変な
男性の気持ちもわかる気がします。が、しかし、長くこの社会にいる私には、会社等で大変な思いを
している、同じ女性の気持ちは、心から共感できるかといえば謎です。
 オスカルは、女として人として悔いなく生きた、好きな人にどこまでも従うと彼女が言うならいいじゃないか、立派じゃないか、と、いろんなBBSをのぞいて思ってましたが、意外と、その問題の底には、社会の歪みがあった・・と言えば納得・・かなぁ。
 オスカルの「私にこうせよと命じた彼らは〜」って台詞に、上手いなーと感じた人は、私だけではないはず。
わたくしごとですが、一緒に働くDrに対して、女であったり、人であったり、パートナーであったり、助手であったりもちろんナースの立場であったりして、彼らを気持ちよく動いて頂けるようにもっていくのは、患者さんを守る
ためにも必要ですのも。別に、「せんせ〜」とかいって、ご機嫌ななめのDrにご機嫌とりをするのだって、なんとも思わない。へりくだりなんて、いつものこと。年下Drだってプライドをたててやらないと、動かないもん。
 うーん・・つまり、何が言いたいのかというと・・、私の中では、オスカルは間違いなく女なんだら、女でいいし、同時に信念の人であって、別にそれは矛盾しない。と思ってます。
 なんと、従う発言は、20年もの間、ファンの間でさえ、難問なんですね。たしかに難問です。しかし、ファンに受け入れられないかもしれないのに、あえてこの台詞をいれた、アニメスタッフには、やっぱり信念があったはずです。
アニメスタッフは、自分たちのオスカルに恋をして愛していたんでしょう。そのオスカルの、納得のいく人生を描きたかったんだと思います。
 以上、自分のことばっかりですいませんでした。まとまらす、失礼しました。




●なーかる(923) 題名:まとめ 投稿日 : 2001年11月4日<日>00時55分
皆様、すんません・・・私はなんて尻が長い奴!とはわかっているんですが、
どこで一区切りを付けていいかを考えずに一気に書いてしまいました。
(というか一気に書かないと、翌日には書きたいことをスカッと忘れてしまうのです)
以下、まとめの部分です。

ややこしい話のようですが、単純に言うと、
「オスカルはあの場面で兵士たちに何を伝えたかったのか」
「オスカルは人として、この先をどう生きるかを考えていたのか」
「オスカルは女として、この先をどう生きるかを考えていたのか」
これらをそれぞれ個別に考えたら、結構まとまりやすいのではないでしょうか。

長くなったので無理矢理まとめに入りますが、従うという言葉を見るだけで腹を立て、延々と20年以上も批判を続けるのもしんどいことですし、従うという言葉について色々考える事は、今の状態ではまるで次々湧いて出てくる批判に対する言い訳をひねり出しているようで虚しくもあります。
が、オスカルを女として生きたと見るか、一人の人間として生きたと見るか、またはそのどちらも色々と取り混ぜていたか、ということを考えると、この場面を通して、自分が生きていくことをどう捉えているかを、色々と考えさせられるきっかけにもなります。

人として・女としてという事は、実際なかなか切り離して別にして考えることは難しい事です。
批判も肯定も、その他、色々な思いが一人の頭の中にごちゃまぜに有ってしかり・・というところでしょうか。・・・長々と失礼しました




●なーかる(785) 題名:ベルばらを通して何を見ているか、何を語りたいか、批判と擁護 投稿日 : 2001年11月4日<日>00時53分
それとここからが肝心なのですが、女として生きることはいじらしいだけでなく、どうしても性差の事を考えてしまいます。
発言が今まで特に問題になってきたのは、私は自分の経験から言うと、「オスカルは女!」という事を私自身が意識してきたからだと思います。
オスカルの行動言動全てに、「男女の性差にかかわる事について、女性にとって有利に場面が描かれているか?」をチェックしていたのです。
世の中を生きていて、女性は常に自分は「女だから」という事を意識し続けているから、こういう事には敏感なのだと思います。(みんながみんなではないでしょうが・・)

で、わかったことは、私は原作世代ですが、当時、オスカルに対して、「人」としての生き方というよりも、「女」という立場での生き方を重点的な視点にして見ていたことに気付かされました。
それも、性差を越えた女というイメージで。

オスカルは性差を越えた女だ!!・・という見方をすれば、この「従う」発言は、オスカルが何を訴えたいのか推察する前に、「女のオスカルが男に対して従った」という言葉を聞いただけで、ぶちっとキレて、ゲームアウトになります。
確かに現実は性差について色々と不満もあるでしょうが、オスカルというキャラを引き合いに出して、性差の問題を語るかどうかは個人個人の判断であり、全てのベルばらファンがこの性差の問題と「ベルばら」を一緒にして語る必要はないと思います。

MOMOは以前、このセリフを「踏み絵のようなセリフだ」と言いましたが、本当にそう思います。
「女だから従うのは変だ!」という考え方でこだわって留まるか、そのまた先の「では人としてどう生きようとしたのか」というところまで思いを馳せるかどうかで、この従う発言は違った解釈が成り立ちます。

私の実経験からすると、「従う」に違和感が強いということは、オスカルというキャラに対し、単に女として生きるという以外に「性差と戦う女戦士」という意味合いを持たせているような気がします。
そして、この考え方は作品そのものを論じるという前に、個人の考え方の中の問題ではないかと、今なら思います。
つまり、「従う」という言葉についてアニベルをいくら批判したとしても、自分自身の中の性差に対する考え方の決着がつかない限り、「従う発言」批判は永遠に続く・・・いわば、自分の中の葛藤についての代理戦争がこのセリフへの批判なんじゃないかと思うのです。
これらのことを踏まえてからアニメを見ると、一登場人物であるオスカルが自分の考えで発言し行動している経過が淡々と描かれているに過ぎず、女はこうあるべきだと決めつけているのではないということを見て取れると思います。要は見る側の受け止め方で悪意にでも善意にでも解釈できるのです。
「従う」発言に対する批判は、女はこうあるべきだと描いてあるという事が前提になって反論が起きている?ので、その前提を外すと批判は、ほこ先を失ってしまうような気もします。

とまあ、色々と自分の経験を組み立てて考えてみましたが、私は私以外の経験談は語れないので、あくまで批判についての考え方の一つのサンプルとして見て下されば良いなと思います。




●なーかる(708) 題名:オスカルが人として生きる上で伝えたかったこと その2 投稿日 : 2001年11月4日<日>00時51分
個人的には計算尽くの策略であっても良いと思います。こうしたいと決めたことに対して、世の中の仕組みを無視してぶつかって挫折するより、目的実現のために考えて工夫すること全てが悪意とは思っていません。
もしオスカルが絶対的な存在であるのなら、いちいち人を説得しなくても勝手に部下は付いてくるかも知れませんが、それはアニメ・ベルばらの世界の中では難しい展開です。
それでもオスカルの計算尽くがどうしても嫌なら、彼女は計算ではなく、本心でへりくだろうとして、兵士らはその気持ちをくみ取った、としてもいいと思います。
どちらにしても、私にとってこの場面で大事なのは計算づくか本心からかと言うこと以上に、オスカルが「諸君と一緒に戦いたい!」という前向きな意志を伝えようとしたことです。それをあの場で訴えていた様子があまりに謙虚で欲がない事について、一種のすがすがしさえ感じました。何せ、全てを捨ててきたオスカルだったのですし(そして紆余曲折の末にアンドレを得たばかりなのですから)、全てに前向きなエネルギーが出ているはずでしょう。そしたらどちらかといえば、計算づくよりも純粋な本音だったのかな…と考えた方がドラマチックで面白いかも知れません。
「戦おう!」と互いに言い合えるのは平民同士だけ、私はその中に入れない貴族だったのだからという意識は有りますが、あの場面でオスカルが何を訴えたかったのかは、平たく言えば「一緒に戦おう!」という事だと思います。

以上、オスカルが女としてというより、人としてどう判断したかという視点で見たものです。
では別の視点は・・というと・・オスカルが女として生きるということです。
女として夫と向き合う事、二人で世の中を渡っていくこと。これは、皆さんの発言の中で色々と書かれているように、妻として夫と共に戦いたいという気持ちがいじらしいと、見て取れます。

幸か不幸かこの場面で、制作者がどういう意図で「従う」発言を実行したのか明らかになっていませんので、解釈は見る側の受け取り方に委ねられています。
と言うことで、この従う発言について、我々がオスカルは女として発言したと解釈するか、人間として発言したと解釈するかは、かなり違うと思います。



●なーかる(620) 題名:オスカルが人として生きる上で伝えたかったこと 投稿日 : 2001年11月4日<日>00時50分
まず、人として生きる事について。
オスカルは、人として生きている。その中で色々な意志決定があり、彼女の進路がある。
人として、あの場面で従うと言ったのだとしたら、彼女は主体性を失ったと言うより、非常に「へりくだった」と言えるのではないかと思っています。
例えば、オスカルがここの場面で男だったとしても、同じセリフを言うと思うのです。
ただし、「夫→友人」「愛する→信頼する」という多少のセリフの変更はあるでしょうが。

オスカルは兵士を先導して当たり前と思っていたものが、アニメの描かれ方ではオスカルは兵士たちにとってそもそも敵であり、彼らから税金を搾り取っている貴族であるという事に気付きます。
「太った豚は死ね!」という民衆の憎しみのセリフは、アントワネットやその他の貴族だけではなくオスカルにも向けられているのです。これは、原作を当たり前と思っていた私には衝撃でした。
兵士たちに自分の考えを述べる場面で彼女は自分の立場をわかっていたことでしょう、兵士たちに対し、謙虚な態度で語ったことは、貴族として過ごしてきた今までの責任を痛いほど感じていたと思います。

時代の流れが平民に傾きはじめたからと言って、アニメの展開においては、もし貴族であるオスカルがそのまま隊長として平民たちの上に立ってしまっていたら、おいしいトコ取りした上、まんまと有利な勢力へ乗り換えたと言われても仕方なかったことでしょう。平民にも、平民のプライドが有るはずです。(ただしこれはあくまでアニメの流れです。原作は原作の流れで読みましょう。)

オスカルはあえて、主人公の花道を兵士たちに譲り、さらに、諸君の陰で民衆を支える場を私に与えてもらえるだろうか?というほどへりくだっています。もしかしてここまでしなくても、兵士たちは今までに色々と実績もある彼女を信用したかも知れません。だけど、オスカルは自分の気持ちをうやむやにせずにはっきりと伝えたかったのでしょう。
その結果兵士たちは、「従う」とまで言ってへりくだったオスカルに対しそれ以上に彼女に対してへりくだり、部下として「従う」決意しています。
彼女が意志を無くしたのではなく、みんなと同じ立場で戦いたいという真意を兵士たちが理解したからです。
貴族だからという高い壁を、兵士とオスカルが乗り越えたのがこの瞬間でした。

ギンネコ様の「女性管理職の高等戦術」は、ものすごくうなずけます。200%ナットクです。
女性が上司である場合、自分の意見を通すために男性の部下を動かすには、普通の上下関係以外の根回しや戦略が必要だと思います。これだけでも立派なドラマになりそうです。

以前、各話解説を本にして出したことがあるのですが、このとき、「オスカルは職場において、男のプライドをへし折らずに彼らを従わせるように、順序立てて語った」と言う風なことを書いたのですが、しばらくして「兵士をついて来させようとする詭弁であり、媚びではないか」という反対意見?が出ていたと間接的に耳にしました。私が直接聞いたことではないのですが、媚びという以上、それはアニメのオスカルに対する批判なのでしょう。
何が何でもアニメは批判の対象であるべき存在ならば、批判とアニメ擁護は、ああいえばこういうという図式だなーと思いました。
(性懲りもなくまだまだ続く)





●なーかる(446) 題名:やっぱり、頭がこんがらがってしまう「従う発言」について 投稿日 : 2001年11月4日<日>00時47分
このセリフを今、色々と語るについて、マイナスからのスタートを感じています。
アニメ版も、もう20年前の作品です。その間、このセリフは何度も議論され、非常に悪い印象のセリフだという事が定着しています。
大抵は、女性の地位を向上させたオスカルを、再び男尊女卑の中におとしめた、という事が批判の基本ではないかと思います。
あるいは、監督が男性であったため、女性はあくまで社会のサブの位置にいるべきだという、「男性の社会力で女性をねじ伏せた」ものだ、とも聞きます。
実はこのどちらも、私は当時、若気の至り・・・少なからず思いました。
オスカルは性差をものともしないという部分について、強い女性だと思ったからです。
ただ、アンドレに抱かれたり、彼を頼ったりすることについては、これは女性問題ではなくアンドレとオスカル二人の事だと割り切って、容認していました。
つまり、女性にとって都合の良い男性像としてアンドレを見ていたとも言えます。
当時はアニメでその「好都合」が省かれていたのにも、ショックを受けました。

普通のシーンを語るように、すんなりとゼロから語るのではなく、「従う」発言はこの内容が何を語っているのか、悪意と言われたマイナスイメージに触れ、その正当性?の理由を述べてから語らなくてはなりません。

正当性というのかどうかは解りませんが、結果的に色々な事を考えるきっかけになり、あってよかったセリフだと私は思っています。ただ、今まで従う発言は、悪意であることが前提で語られてきたので、今この場で、それ以外の意見を出せるようになったのは時代の変化かも知れません。
さて・・・
オスカル(アニメ)は何を考えているのか、彼女が寡黙なため普段からわかりにくいのに、このセリフによってますますわからなくなったということはないでしょうか。

どこかで書きましたが、アニメ版ベルばらには、少なくとも二つの太い柱があり、一つは「自分本来の感情を抑え続けて来た女が、本当の自分を取り戻して行く過程」が描いてあり、そしてもう一つは「貴族という、やがて滅びる側の人間であり、社会的地位もある人間が、名もなき人々のために命をかけて尽くそうとした誠意」と見ています。
こんがらがるのは、オスカルが人として生きていることと、女として生きていることを一緒に考えてしまうからだと思います。
ものの考え方として、これらを別々に分けて考えてみるとこうなります。
(次のコメントに続く)





●なーかる(580) 題名:色々 投稿日 : 2001年11月3日<土>01時29分
従う発言!盛り上がっていますね。私も後日参加させて下さいね。
今日は夜も更けてまいりましたので
とりあえず、それ以外の事をば・・・。

michy様
ナント、しっかりした基本設定なのでしょう?
もしかして、michy様はその筋の関係者なのでしょうか、素人にはなかなか
思い浮かばない場面設定と迫真のセリフに、おおーっと喜びのけぞってます。
まるでオスカルとアランとが言い争っているのが目に浮かぶようです。

ぺぺ様
並木道の名場面、色々ありましたね。
オスカルが泣いていた川は
ジャルジェ父が狙撃されたのも同じ川だったような?
(すんません、メールと同じレスで・・)
オスカルとアンドレが暴徒に襲われたのも同じ川かなぁ。
そしたらあの川は、いろんなドラマを見てきたんですね〜。
それでも川はとうとうと流れる〜なんちって。<泣





●michy(092) 題名:え〜〜っ!! 投稿日 : 2001年11月2日<金>14時48分/三重県
おもて様、完売なんですか?!残念です。貸してもいいわというおやさしい方はご連絡ください〜〜
同人誌で60Pというのは、大作ですね。描くのにも、結構時間がかかったんじゃないですか?うーん、読みたい!
それと、小児科医のアンドレといのものよいですね、「は〜い、もしもししましょうねぇ〜」とか言って聴診したりして。
ほのぼの。




●おもて咲(987) 題名:しあわせになりたい 投稿日 : 2001年11月2日<金>08時39分/鹿児島/女性/90才
父親の経営するパリ郊外の総合病院で、外科医を勤めていたオスカル。
ある時、術中に患者を死なせてしまい、医師を続ける自信をなくし病院を退職する。同じ頃、ばあやの孫で幼なじみのアンドレ(小児科医)に、いきなり愛を告白されたオスカルは、激しく動揺する。
オスカルはアンドレの前から姿を消し、ノルマンディ郊外の診療所で医師として勤務する。
1年後・・幼児や老人を診察するオスカルの姿に、パリの病院時代の厳しい面影はない。しかし、その姿は、本来のオスカルを知るアンドレの目には、ほほえましく映る。
そう・・オスカルが姿を消してから、彼はフランス中を奔走して、オスカルを探しあてた。その一生懸命さに、2人の間に合ったわだかまりは消え、いつしかオスカルは密かにアンドレを愛している自分に気付いていた・・。

というシーンから始まる、三文レデコミまがいの現代版サイド「しあわせになりたい」。
ええ〜っと、発行は5?6?年前で、メインストーリィでも60ページは描きました(で、死にました・・^^;)
♪そうキミがいれば夢は夢じゃない・・始まることいっぱいある・・という沢田千華子?さんだったかの曲が最初のイメージでした。実は。
診療所のオスカルの助手にディアンヌ、オスカルの見合い相手にジェローデル、
父レニエの親友の娘で、アンドレの婚約者!?にロザリー・・というふざけた配役で、楽しく描きました(笑)

ストーリィは、アンドレの結婚疑惑騒動?をへて、ようやく素直になったオスカルが愛を告げてハッピーエンド・・と思ったら、実は全てお茶目な両親の策略だった・・と言うほのぼのラブコメ(死語・・^^;)です。
当時、O&Aの至上の愛を、おちょくったかどで、打ち首獄門になるかなぁ・・
とびくびくしながら描いていたのですが、案外好評で、続編を望むお声が多くて驚いたことを覚えています。
調子の乗って、地域医療に取り組むグランディエ医師夫婦の赤裸々な日常を描く〜〜!と言ってしまってから数年・・下書き数枚から先に進まない今日でございます。
ちなみに「しあわせになりたい」は完売いたしました。
1冊残らずうっぱらってしまいました(^^;)
読みたい方は借りて読んでください。
原稿はありますが、再販の予定は絶対!ありません。だって〜〜〜(-_-;)
描きたい!!と言う気持ちだけで、技術が追いついてない、今見ると失神しそうな位ヘタでキタナイ原稿なんデスものぉ〜〜。
今ならもっと上手く描けるだろうけど、あんな情熱は掛けられません。
そう言う意味では、私の一番の気に入っているサイドです。
でも、恐ろしくて、ここ数年原稿も見てませんが(爆笑)

アニメO&Aをシアワセにしてあげたい!!という一心で描いた
サイドでしたが、実は描いていた自分が一番シアワセだったかも(*^_^*)
描いているうちに、大きく膨らんでしまったオリジナルO&Aの存在が愛おしくて〜、もっともっとシアワセにして上げたくて、続編「もっと しあわせになりたい」は現在細々と執筆中です(ホント、ホント)
きなが〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜に、待っててくださいね(^^;)





●海音(897) 題名:「従う」は砦です〜 投稿日 : 2001年11月2日<金>01時24分
みなさま、こんばんは。お邪魔いたします。
「従う」発言に対するみなさまのご意見、興味深く拝見させていただきました。実は、つい先日、久方ぶりに発掘した”某FC本”の中で、これまた久々の”アニばらバッシングなやりとり”をみたのでした。いやぁ・・・久しぶりだとショックです・・・。やはり、この「従う」発言は、かなりの物議を醸している部分ですね。かくいう私も、放映(再放送)を見た当時、「???」と違和感を覚えた場所でありました。が、こちらでの対談、なーかるさまのアニメ解説、みなさまのご意見等に触れるようになり、少しずつ心にしっくりきた、という感じです。今の自分には、まだまだわからないことが多いです。でも、考えていることを述べさせて頂きたいと思います。
原作オスカルは、民衆の生活を知り、たくさんの疑問を持ち、自分の中で結論を出した気がします。心の中に、「いざという時には、民衆と共に戦う!」と。それに伴う家族、王家などとの別れも、(戦いになってしまったら・・・と)覚悟して。そして、戦い勃発の知らせを受けたとき、その覚悟を遂に現実のものとした気がするのです。が、アニばらについては、ちょっと印象が違います。もしかしたら、オスカルはぎりぎりまで、本当に悩んでいたのではないかと。それは、アニばらのオスカルが、人のことを考えすぎてしまうほどに気が細やかだったり、といったところから思うのですが。家族や王室に対しても、覚悟を決めて切り捨てるには、相手のことを考えすぎてしまい、自らきっぱり切ることができなかったかもしれない・・・と。
そして、ここまでの彼女の”覚醒(真の民衆の生活、身分制度に生じた矛盾などに気づくこと)”は、衛兵隊員やロザリー、ベルナール、アンドレなどによってきっかけを与えられ、教えられてきた気がします。オスカルの中に、そんな謙虚な「君たちに気づかせてもらった」意識があるかもしれない、と思いました。議場封鎖の折りも、「どうしたもんかな」と意見を仰いでいますし、みんなの意見を信頼しているのでは。
彼女の「愛する人、信じる人に従う」という言葉は、これまでに恩のある多くの人を切り捨てる決断にも(これでいいのか?という)不安があり、かといって民衆に発砲することもできない自分が取る道として、素直に、信頼している人達に意見を仰ごうとした姿にみえました。発砲を命じられない、身分も捨てよう、そして一人の人間に立ち返った自分。そんな自分の中にあるひとつの光、確信。それは、アンドレを信じていること。彼の行く道は信じられる。だから、教えてくれ、と。(かといって、みんなの前で意見を仰ぐ辺り、ふたりのことだけを考えているのではなく、みんなの意見も聞こうとしている感じで、よいなと思ったのですが。)michyさま同様、ものすごい信頼と決意に裏打ちされた、すごい”愛の言葉”だと思いました。ちなみに、「夫と共に歩む妻」という言い回しはいろいろと取れますが、私も「妻と共に歩む夫」と同義だと捕らえました。夫婦はお互いに歩み寄る、ですわよね?
と、偉そうに語ってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。またみなさんのお話を聞きつつ、自分の中でどんどん発酵させていきたいです。

>ぺぺさま
同感!アコーディオンおじさんは、アンドレに「大切なのは目に見えない光」と諭し、彼に自信を与えた偉大な人だと思いますわ!




●ペペ(173) 題名:まとまりもなく 投稿日 : 2001年11月1日<木>22時26分/女性
「従う」発言と直接は関係ないにですが、あのシーンに並木のきれいな川が出てきますよね。あの川、並木は他にも使われていませんでしたか?オスカルが「アントワネット様はオスカルごときに・・・・・愛し合う者達に何を言う・・。」とフェルゼンへの自分の気持ちに混乱しているシーンもあそこじゃなかったかなあ。ちがうかもしれません。何回か観たような気がします。

ほっとするキャラクターですが、アコーディオンおじさん。ほっとするというか、好きなキャラクターです。あの哀愁のただよう音色、パリをよく表しているようで好きです。また、目の悪い彼はすごく大切なことを知っている。優しくもあり、たくましい。原作には登場しませんが、彼の存在を軽く思えません。セーヌとともに生きていて、ロマンチック。そしてオスカルたちと自然にタイアップしていて、名脇役といった感じ。こんなに、この人をたてているのは私だけでしょうか。(笑)




●michy(890) 題名:でましたね 投稿日 : 2001年11月1日<木>21時31分/三重県
 出ましたね、従うネタ。これは難解です。アデュウネタは、いくらでも美しくまとめることが出きるけど・・。
これを語るのは、結構勇気がいりますね。いろんな意見があるだろうし。でも、それも、活発に意見交換できる、この場の良い所ですね。
 はじめて見た時の従うの印象は、「スゴイ事言うなぁ、このねぇちゃんは!!」と、いう感じでした。何がスゴイのかはわかりませんでしたが。妻になったは、「かわいいやーん!」と思った・・。
 「従う」この言葉には、なんだか主体性が無いみたいだけど、実は、ものすごい意志と覚悟を感じます。「あなたを信じているから、ついていきます。」なんてなまやさしいもんじゃなく、「もし、あなたが間違っていて地獄に落ちても、私はあなたに従う。」と、言っているのではないかと。こんな覚悟と決意に満ちた愛の言葉を向けられた男は、どんな気がするんだろう。でも、アンドレも、男の立場から、ちゃんと従う発言をしてるから、別に動じることはない。「お前がどう思っても、お前を守るのは俺だ」。どんな選択をオスカルがしようとも、彼女を守ろうとアンドレも決めていたはず。つまり「従う」。
 運命にただ流されるだけでも、生きていくだけでもすごい事なのに、天に見出されて、運命に与えられた試練を、血を吐く思いで乗り越えてきたオスカル。彼女は、運命に従って生きてきた。だからこそ、アンドレの運命に従って、自分も生きると言えたんじゃないかな。「あなたに従う。」これは、男にとって、自分を試されているような怖い台詞なんじゃないでしょうか。
 魂がすでに硬く結びついている二人だからこその言葉。こんなに強い決意と覚悟に満ちた愛の言葉を、私は知らない。まだまだ考察が足りないんで、ここでドロンしまーす。

MOMO様、ありがとうございました。あんなアホ書き込みをこのまじめな場でしてしまったにもかかわらず、レスをつけて頂けて嬉しかったです。でも、あの書き込みは、考えててホント、楽しかったです!




●MOMO(173) 題名:書き忘れ・・ 投稿日 : 2001年11月1日<木>07時59分/海外/女性/34才
さっき間違って送信してしまいました。michyさんのオリジナルストーリー、面白いです♪高額医療のところではうんうんうなづきながら読んでました。おもてさんの「幸せになりたい」という個人誌は私がおもてさんと知り合うきっかけになった本だけに印象に残っています。続きが読みたいわ!


●MOMO(941) 題名:従う・・・ 投稿日 : 2001年11月1日<木>07時55分/海外/女性/34才
こんにちはー!というより初めましてかもしれない・・・おもてさんここは盛り上がってますね。皆さん真剣に自分の言葉で自分の中にある謎を解いて行きながら時間をかけて書き込みされておられるのが印象的です。自分が違和感を感じた所を漠然と違う、と言うのではなく一時的にでも普遍的にでも結論づけて行く、感情論でものを言っていないだけにすごいなぁと感じました。体質的に嫌いー、と言うだけならばお子様の論理ですもの。で、従う発言ですが私はこの言葉を聞いた時に原作オスカルの「もう生きられない、ひとりでは」と泣きながら言うセリフを思い出しました。当時はもうショックで・・オスカルー、あんたってばそんなに弱い女だったの?と何度も憤慨したものでした。それに匹敵するのが従うなんでしょうね。しかし自分が歳をとり、違った目でみると彼女がどうしてそのセリフを言ったのかが分かってきて、改めて考えてあるなぁと感じたものです。こうやって作品で遊べる、楽しめるっていいもんですね。作品を深くするのは見る側の洞察力によるものが大きいのではないでしょうか?




●ギンネコ(180) 題名:「従う」発言について 投稿日 : 2001年10月31日<水>21時26分
本放送の時、私も「従う」発言についてはびっくりしました。もっとショックだったのは例の結婚宣言です。憧れのオスカル様に、急に「生身の女」を感じたんですよね。

再放送の時は、もっと冷静に見ることができました。その時思ったのは、「従う」のあとに
「彼が民衆と共に戦うなら、私も一緒に戦う」と付け加えているでしょう。 あの話の流れなら、アンドレは「共に戦おう」と言わなければ引っ込みがつかないですよね。結局、アンドレは一言も言わないうちに、「あんたがその気なら話しは早い」となってしまった。
これ、もしかして女性管理職の高等戦術かも?とも思いました。
聞き方によって、「残された日々をこの人と共に生きていきたい」にもとれるし。今まですべて自分でしょいこんでいた彼女がやっと心の鎧を脱捨てたというか。このシーンもいろいろ解釈できて、本放送から20年以上たった今も、まだ私の中で結論はでていません。

話は変わりますが、ラソンヌ先生から「余命半年」と宣告されますよね。「半年」というと、なぜか黒澤明の「生きる」を思い出すんですよ。半年といえば、決して長くはないけど、なにか一つくらいは成し遂げることができますよね。残された日々に何をすべきか、
彼女なりに考えに考えたのではないでしょうか? 




●michy(663) 題名:ほっとするベルばら・何でもバージョン 投稿日 : 2001年10月31日<水>21時17分/三重県
対談で気になった個所、それは、おもて様が書いた?描いた?という、医者ネタベルばら。
うっ!こんな楽しみ方もあったんですね!なんか、まじめに語るのに疲れ気味なんで、私も遊んでいいですか??

V大学病院で繰り広げられる愛と葛藤のドラマ。登場人物紹介。
 Drオスカルは、30歳、若手心臓血管外科医のホープ。すでにメインスタッフとして周3回のOPEをこなしている凄腕。医大をストレートで卒業した秀才。患者急変時には、たとえ深夜であっても金髪をと白衣をなびかせて、全力疾走で病棟に現れるその姿は、マコトにすがすがしく、患者や看護婦の憧れの的。利益追求主義のブイエ外科部長とは折り合いが悪い。院長夫人の愛人、フェルゼン助教授に片思い中。J総合病院の跡取り。
 Drアンドレは、オスカルの幼ななじみ。一年先に大学に入学し、これで先輩風が吹かせると思った矢先、アルバイトのしすぎであっさり留年。結局同期で医局員に。心臓外科医。派手さはないが、誠実な仕事ぶりに患者の信頼を集めている。自称楽天家の彼の言う「だいじょぶ!!」は、みんなを元気にさせたり不安にさせたりしている。緊急OPEで救命した患者が退院後、高額医療費が払えず自殺された事をきっかけに、いまのままでいいのか悩んでいる。もちろん、オスカルに恋をしている。
 Drアラン。アンドレの先輩。同じ苦学生同志、気が合ったらしい。凄腕外科医として、将来を嘱望されていたが、利潤追求型のV大学病院に嫌気がさし、今は民間NGOの医療機関で低所得者の診察にあったている。以前、「命は地球より重い!」と言い、無理な延命治療をしようとしたオスカルと、「残されて、高額医療費を払う家族のことは考えたことはあるのか!」とケンカした経験がある。

うーん、楽しいじゃないですか!私だけかもしれんけど。あのー、同人誌、在庫ありですか?
失礼しました・・。




●れもん(707) 投稿日 : 2001年10月31日<水>13時48分
 キャンディ問題については、漫画家が独占していた著作権を原作者にも認めた結果となったのでよかったと思います。
なぜいがらしさんが独占して無断使用されていたのかと思います。
彼女の漫画は非常に好きなので、大変残念です。

 対談を読みました。自分も加わりたい気持ちにもなりますが、自分の視点と違うし、結論はでないのだろうと思います。
 ふと37話の恋愛はサービスだったのかなと思いました。
ここがなくても、話は成立します。
 38話の彼女が自分の意見を述べるところが心に残っています。
ここで自分の意思でなく、相手が望むから自分もそれに従うといっているのに失望した人は多かったのではないでしょうか。
 相手によって自分が変わるのってジェーン・フォンダみたい。
違和感はあるけれど、私は嫌いではないです。



●なーかる(984) 題名:アデュウは尽きないテーマ? 投稿日 : 2001年10月30日<火>23時43分
そうですね〜、あの「アデュウ」はとても透明感のある言葉でした。
アニメではなく、漫画であのシーンを描くとしたら、オスカルの廻りは高い木や、青い空などのきれいな自然の風景にしようかなー。

彼女が生きてきた世界と、これから生きていく人たち、それと、彼女が生きてきた30数年の記憶そのものが彼女自身とするのならば、「オスカル」そのものに対しても永遠にお別れなのですから。

ところで前から気になっていたんですが、ほっとするキャラクター。
ばあやとかも、もちろんばあやですから!
(名前を聞くだけでほっとしそうです)
オスカルが「ばあや」と呼びかける時って、いつも声が優しいしー。

ふと思いつくのはジョゼフ殿下かなぁ。
オスカルと馬で駆けいてるところなんて、アンドレといるのとはまた違い、とても女性的でした。





●michy(941) 題名:あれぇ〜 投稿日 : 2001年10月30日<火>23時09分/三重県
あー、今一生懸命対談の感想を書いたのに、送信出来なくてパーになってしまいました。
かいつまんでご報告。
1・「従う」論争がやっぱりあったこと
2・「アンドレ、オスカルより出来てはいけない」説があったこと
3・ベルばらが歴史大河ドラマだと言うことを思いだしたこと
4・やさしく現実主義のオスカルは、どの道長生きできなかったかなぁと思ったこと・・です。
 
ぺぺ様
 うーん、アニメベルばらは語れば語るほど、いろんな想いが湧いてきて、ますますわからなくなりますね。結局、自分の魂の核で感じた事が正解なんでしょね。崖っプチすれすれで、周りの人の幸せと自分の信念に生きたオスカル
だからこそ、死の瞬間は真っ白で穏やかだったと思いたいなーと、自分の事を最期にいたわって欲しいなーと言うのが私の欲望です。おっしゃる通り、パリを徘徊するオスカルは人間味が感じられて愛しい程でしたね。崖っプチを一緒に走ったアンドレが先だった痛みは、測りしれませんね。「生きていて欲しかった」だろうし「生きていたかった」んだろうなぁー・・。
なんか、えらいもんに足を突っ込んだ気がしてきた・・。うーんうーん・・。




●ペペ(966) 題名:弱さと人間味 投稿日 : 2001年10月30日<火>22時02分/女性
皆様こんばんわ。ご意見を読むと、はたまた、知恵の輪をいじくっているように私自身いろんなことを考えてしまいます。

オスカルは「気高く、優しく」とアンドレが肖像がを語ったような人でしょう。「歓び」がもっとあればいうことはないのですが。自分を抑えてまで人のことを案じるのは、フェルゼンの幸せを願っているところからも分かります。

でも、アンドレを理解し、彼の妻となってからはそれまでの彼女とちょと変わったんじゃないかと思っています。父親とアンドレの緊張した場面を見たり、自分の病気のことを知ってから、自分に素直になりたいという気持ちが出てき始めたような。彼女自身、「私も死にたくはない。」と医者に言っているし、アンドレにも「生きていたい。」と言っています。
他への心配りが減ったわけではありませんが、自分や自分を愛する人を大切にしたいというごく自然な気持ちが前にでるようになったのではないでしょうか。それと、以前のオスカルなら、人前で泣いたり、プライベートな言動をしたりしなかったようにも思います。アンドレが逝った後の、おろおろさまよう姿、見ている方はやるせないですがこらえて冷たい表情をしているよりは、ずっと人間味があるような気がしてなりません。革命後もこの二人がもし生きながらえておれば、これまでと違うささやかな生活をしていたかもしれませんね。彼らもそんなことを頭にちらつかせていたのかも。




●michy(450) 題名:うーん・・ 投稿日 : 2001年10月30日<火>02時44分/三重県
なんだか、みなさんの書き込みを見てると落ち着きます。
オスカルのやさしさって、深いですよね。私的には、さりげなく、本人も気づかないけど慈悲深い人だと思うなー。
周りの人に微笑みかける慈悲ではなく、魂の核がやさしい人。だから分かりにくい。誤解も受ける。「なんや、あいつ
えらっそーやん!」って言われてしまう人。上手く言えないけど。
 自分の死が近いうちに確実に来るって感じた時には、やっぱり、残して行く人々の事とか自分のそれまでの人生を考えるんでしょうね。オスカルもそうだったんでしょう。
 でも、死の瞬間っていのは、きっと魂の核がそのままの姿を見せる時ではないかと。いろんな死があるし、いい人が決して安らかに死ねる訳じゃないってことは判ってるけど。
 どうも職業柄、物語の中の死に違和感があって。宝塚は夢の世界だからいいんだけど、アンドレのあの死に方は
ちょっと痒かった。でも、アニメオスカルのあの死に方は、なんだかとても納得のいくものでした。リアルという訳じゃなくて、うーんなんというか・・とても静かだったからとでもいいましょうか。「アデュウ・・」も私には、オスカルが周りに言った言葉とは思わなかった。オスカルのやさしく透明な魂が、何に対して言った言葉なのかは、いまだに判らないんですが。海音様の、「幸福であったであろう時間」があの後の風景だったのでは・・という書き込みに、本当にジーンときました。魂が天に昇る時に見た、幸福な時間。美しい魂にやっと訪れた安らぎの時、解放の時だったのではないかと。いつも、ぎりぎりで崖っぷちすれすれを、駆け続ける生き方だったと、私は思うものですから。
 なんだか、みなさんみたいに上手く言えないのがもどかしいなぁ・・。いろいろ語ってきたけど、結論、「わからない」です。




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◎michy(966) 題名:訂正! 投稿日 : 2001年10月30日<火>03時09分/三重県
宝塚は夢の世界だからいいんだけど、アンドレのあの死に方は痒かった・・。宝塚のアンドレです。誤解があってはいかーん!香寿アンドレ、素敵だったけど、撃たれてしゃべて倒れて、「あぁ〜死んじゃった〜」って思ったらまた喋る、そして倒れて歌って喋ってガクン、さらに・・。という印象だったもので・・。
 アニメは、心臓を貫通してたらああはいかないだろうけど、あの医者の誤診で、肺の損傷のよるものなら納得!かなぁ・・。失礼しました・・。




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